では、素直さ、注意深さなどの、良い特質は、どうして機能していて知覚されない、と認識できるのか?という疑問があるかもしれません。それは、自我に関係します。たとえば、自我は、ああでもない、こうでもないと争う思考、葛藤、だとします。
それは思考の動きであり、知覚されることです。そうではなくて、自我そのこと、は知覚できません。その知覚されない自我が、生活において折に触れて、人の行動、発言、思考に現れるようになって、知覚される、です。
たとえば、自我の機能である、自分は特別だという感覚も、それが自覚される場合があります。また特別感だとは、自覚されずに、現状が不満で、過去や未来に逃げて、それを作りかえること・・・として現れることがあります。それは、苦痛を伴うかもしれません。
でも、空想だとしても、神のように世界を作りかえてるという愉悦でもあり、そうだとは知覚されない特別感だということもあり得ます。それは現実と空想の区別ができない自分を作ってるかもしれません。それは、その人が、そう望んでるほかではありません。
続きます。
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No.3639 - 2011/08/28(Sun) 15:31:30
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