自我、というものは、現象としてない、ながら、人の生きる「未知ながらの道」に自ずから起きてくる不可思議であり、意味は過剰にありません。眼耳鼻舌 心意、その機能とは元来、相互に関係がない故に、関係作ることができます。その働きに、自ずから生じた個別性、すなわち自我を通じ、人は、自己とは、世界とは、なにか。を学ぶことができます。
自我の有無で表現される、人にとっての大事とは、人の状態が、とある有り様、たとえばなにか事象、関係にことさら依存してある様相を、「超えること」です。この場合の状態とは厳密に、人が世界で、それ、に於ける閾値にて判明されます。
そのことは、人の様子や言葉としての表現に、現れざるを得ませんが、この世界の、なにか個別の限定された様相、状態にあてはめるとしたなら、困難なことでしょう。不可逆とは、それが世界に対応する仕方は、限定され得ない、ということでもあります。
孫メダカを、3匹、ガラス瓶に移しました。
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No.3661 - 2011/09/03(Sat) 23:37:41
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