はじめまして。
HP拝見致しました。 文章の裏側に深い意味があり噛み締めるように拝読させていただいています。
私という自分が無くなり、全てが愛で満たされているという世界を体験してみたくて、瞑想、自我のお掃除、ワークなどここ数年してきました。
数年前に比べたら、比べ物にならないくらい生きるのが楽になりました。
でも一向に自我は、なくなりません。
>ただ自分の 行動、発言、思考を学ぶのです。 そうすれば、 覚醒、悟り、光明、超意識、至高体験 などと呼ばれていることが、 日常生活の中で、 突然に起こります。
この文面にあるようにとある一日を根気よく観察しました。 愕然としました。 今までこんなにも自分を内観してきて苦しみ、自由になってきたと思っていたのですが、全てが自我に始まり自我で終わるのです。
ひとつひとつの行動が、思考が、感情が。
結局のところ、至高体験とは恩寵でしかないのでしょうか? 自我に気づくことなくとも、自我があるということさえ知らない人でも至高体験をする人はいるのですよね。
私は本当の愛を知りません。 知っていると思っていましたが、本当の愛を知らない。 自分の子供を愛していると思っていますが、もしかしてそれは本当の愛でないかも知れない。 果たして覚醒していない人がどれだけ本当の愛を知っているのでしょうか?
何だか虚しくなって話す相手もなくつい書き込んでしまいました。
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No.3663 - 2011/09/09(Fri) 09:10:10
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