| ここで自我の構造に関する、ほとんど無意識的な、自分が、ない、ある、の問題よりも・・・葛藤、軋轢、苦痛などを生じる、騒がしい・・・世界と自分、自分と自分という、分離のほうが知覚されやすいのです。その観察され得る思考や感情を自我と見なしやすいのでしょう。
それは、ああでもない、こうでもない、という過去、未来、そこから見た現在、という空想の時間としての。またなん度も繰り返す思考、また比較、非難、正当化、として観察されます。
それは、自我そのことというよりは、その機能です。その形式としては、原因・・・時間・・・結果の、因果の思考です。自我という時間による虚構、その特性が、そうなので、それが生活に現れてるのでしょう。
それでは、まずは。そいう意味での因果をなくしてみては、どうでしょう。たとえば、明日なく、昨日なく、今日なく。もの、ことの根拠を過去に求めず、未来に求めず、理由なく、意味なく、無根拠に、なにとも較べずに、生きる。こうしてみてはどうでしょう。
続きます。
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No.3669 - 2011/09/10(Sat) 22:19:16 |