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記事No.3679に関するスレッドです

逆は真? / ubik0101
まず自我の成り立ちを振り返ってみます。たとえば歩くこと、怒ること、思考することによって、その中心が生じるのですが・・・予め・・・つまり時間を溯って・・・逆に・・・自分が歩く、自分が怒る、自分が思考する。と感じるのです。このように、機能する仕組みだけあって、その中心は実体が、ない、つまり自我は虚構です。

ここで、ない、とは思いもして、ない、ゆえの当然の誤認、自分が、ある、があります。そのことには。すでに、その自分ではない、ほかの、もの、こと・・・樹、鳥、ほかの人、なにかの思考など・・・が、対象にされ得る個別のこととして、ある、という距離(空間)が生じているのです。

そこで、たとえば自分の何かと自分の何か、自分と何か、何かと何かを較べるということが起こり得ます。すでに、そのことには。何かと何かとの関係という限定された距離(空間)と、限定された時間の要素が前提にされています。 それが、 いわゆる分離を、生じさせてるのでしょう。

続きます。

No.3668 - 2011/09/10(Sat) 22:18:26

Re: 逆は真? / ubik0101
ここで自我の構造に関する、ほとんど無意識的な、自分が、ない、ある、の問題よりも・・・葛藤、軋轢、苦痛などを生じる、騒がしい・・・世界と自分、自分と自分という、分離のほうが知覚されやすいのです。その観察され得る思考や感情を自我と見なしやすいのでしょう。

それは、ああでもない、こうでもない、という過去、未来、そこから見た現在、という空想の時間としての。またなん度も繰り返す思考、また比較、非難、正当化、として観察されます。

それは、自我そのことというよりは、その機能です。その形式としては、原因・・・時間・・・結果の、因果の思考です。自我という時間による虚構、その特性が、そうなので、それが生活に現れてるのでしょう。

それでは、まずは。そいう意味での因果をなくしてみては、どうでしょう。たとえば、明日なく、昨日なく、今日なく。もの、ことの根拠を過去に求めず、未来に求めず、理由なく、意味なく、無根拠に、なにとも較べずに、生きる。こうしてみてはどうでしょう。

続きます。

No.3669 - 2011/09/10(Sat) 22:19:16

Re: 逆は真? / ubik0101
あるいは、おなじようなことですが。ない、自我は、いまここに、ない、もの、ことを求める傾向があります。なので、いまある、もの、ことに、おいて何か無い物ねだりをせずに、生きてみましょう。

でも、もしこれを意図してすれば。そこには、時間なく、望みなく生きる。という思考が生じ、その思考が対象になり、それを対象にするという距離があります。つまり、その距離において自分が生じてある、かもしれません。これは、思考と、自分との軋轢を生じるかも知れません。では、それもなくしてみましょう。

つまり、この特定の個別の自分をなくしてみると、どうでしょう。それを、自分は、ある、の反対の、自分は、ない、ではなくて。主観の、反対の、客観的に見る、をしないで。この青空に、まったく見えない飛行機雲。ありのままとか、無選択とか、無比較とか、どのようにも呼ばずに生きてみましょう。

・・・で、これで充分でしょうか。なにか違うでしょうか。これは、自我が生じ得るその前提。限定された時間、空間ではない、つまり世界を問題にしてないかもしれません。世界は、あるとあらゆることが活動しあってる状態ではないでしょうか。それあって、自我は生じ得るのです。

もしかして、続きます。

No.3670 - 2011/09/10(Sat) 22:20:30

Re: 逆は真? / ubik0101&hato
それで、ふつうは、その限定され逆転した自我の構造のことを、時間、と呼ぶようです。そして、その仮の中心から見た距離、関係のことを、空間、と呼ぶようです。

たとえば嫌な、もの、こと、と距離を置く。好きなもの、こと、と接近する。それは時間が解決する。とか表現されたりするでしょう。いわゆる心理的な時空間です。それは、この仮に切り取られたと見なされて認識される、もの、こと、自我の範疇の話です。

この時間と空間、どちらも・・・あまり境は明確ではあり得ないのですが・・・どこか始まりと終わりが仮に設定された、限られた、もの、ことの背後にあると空想されて。それは、いわゆる思考の対象になり得ると思われるだけです。

できません。それを曖昧なまま、できるとして運動してるのが・・・たとえば過去はない、未来はない、あるのは、いま・・・いわゆる知覚の範疇にある自我の機能です。

その自我の機能する限られた範疇は、人知を超えた時空とも呼べない、その何かに含まれる。その部分。と空想できるだけです。それはすでに、もの、こと、がその何かから、仮に切り取ったとして思考されています。

その、切り取られない、その何か様子を、時間がない、距離がない、と呼ばれます。始まりも終わりもない、と呼ばれたりはします。

が、それは自我の時空から見た表現です。それは、いま、そのことかどうかも、始まりもなく終わりも知覚できないというだけで、永遠かどうかも判らない、です。

もし仮に例えば、いま、それが永遠であっても、だから何でしょう。なぜ、それが、それ、なんでしょう。それは、それでなくてもいいのに、それ。というだけです。

どうなるか予想もできませんが・・・たぶん続きます。

No.3677 - 2011/09/13(Tue) 13:38:47

Re: 逆は真? / hato

今日のみどりの庭の、ナナミの木に、ナナホシテントウを見つけました。枝えだに、たくさんいました。

No.3678 - 2011/09/14(Wed) 23:54:06

Re: 逆は真? / hato

玉すだれ、ほんとうにきれいです。

No.3679 - 2011/09/14(Wed) 23:55:57

Re: 逆は真? / 青雀(suho)
ごぶさたしてます。suhoです。
青雀(アオガラ)というヨーロッパのほうに生息するかわいらしいけどきりっとした顔の小鳥がいます。
とても気に入りましたのでハンドルネームをsuhoから青雀に変えました(笑
ご参考:青雀→http://www.wildlife-photography.uk.com/blog/?p=1338

名づけや因果で構築される意味空間は、非意味空間(未知)において運動してますね。説明する場合はどうしても意味空間を通じて表現しなければならないわけですが。
精神が意味空間に閉じていることで余計な心理反応が起こるように感じますね。

全ては未知そのものとして開いているのですが、ubiさんがおっしゃるように、名づけられたもの、因果、概念が実体ではないことを日常にみないと、どうしても意味空間が「世界の前提」になってしまい精神が閉塞し、身動きがとれなくなる。がゆえに息苦しい。
これが自我の様々な反応、行為としてあらわれているように感じます。エネルギーが開こうとしてもがいている感じ。

ところで、念願の一眼レフカメラを中古で入手しつつあります。はじめての望遠レンズなのでとても楽しみです。これまでよりもいろんな画の切り取り方ができそうです^^

No.3680 - 2011/09/15(Thu) 11:19:55

Re: 逆は真? / ubik0101
なんか、半分真面目に怒ってるような、すねてるような、愛らしい表情の青雀です。嬉しくなってしまいました。

たしかに青雀さん(こう呼ぶのは変な感じ)、その通りなんですが、既知と未知の区別を失った様子を、なんとか説明したいとは思ってるのですが、なかなか困難でいます。

とりあえず、マツムシたちが虚空に銀の鈴を転がすように・・・ 聞こうとしなくても、聞こうとしても、聞くまいとしても・・・響いています。

No.3682 - 2011/09/15(Thu) 21:00:50

Re: 逆は真? / 青雀
> とりあえず、マツムシたちが虚空に銀の鈴を転がすように・・・ 聞こうとしなくても、聞こうとしても、聞くまいとしても・・・響いています。

ああ、ちょうどいまこちらも虫が鳴いてます。
(虫の名前はよく知らない。。)

虫の声や鳥の声は本当に気持ちがいいですね。

熱いコーヒーをすすりたくなってきました。。

No.3684 - 2011/09/15(Thu) 21:56:05

Re: 逆は真? / hato

青雀って、はじめて見ました。素敵な青。かわいいですね。賢そうな目。回転が早そうな感じがします。

非意味、という言葉が、あるのを知りませんでした。それ、を言葉にするなら、非意味だったのです。ずっとあとで、言葉としては、既にさまざまな場所で使われてることを知りました。

それで、hpのハンドルネームがhiimi(ひいみ)・・・。とても可愛くないです。これは、プロバイダーにネーム登録しようとしたら、hato0101・・・himi0101・・・ubik0101さんと考えてみたけれど、すでに誰かに登録されていて。hiimi0101、しかなかったのです。それしかなかったのです。

0101。時期でいえばちょうどubik0101さんがhpの下地を暖めていた頃に、母から貰ったダイヤの刻印がそれで。刻印はだいぶ後に見つけて、あらフシギ。そんな不思議。夫婦や親しい仲に、よくあるのでは、と思います。

青雀さんの熱い珈琲に惹かれて、ubik0101さんに熱い珈琲をおねだりしました。マツムシ、鈴虫、クツワムシ・・・絶妙な合唱を耳に、秋の夜長の珈琲です。そういえば最近、ナナがいきなりバッタに飛びつき、バリバリ食べるのを見て、仰天しました。

No.3685 - 2011/09/15(Thu) 23:01:33

Re: 逆は真? / 青雀
> 非意味、という言葉が、あるのを知りませんでした。それ、を言葉にするなら、非意味だったのです。ずっとあとで、言葉としては、既にさまざまな場所で使われてることを知りました。

非意味という表現はしっくりきますね。
否定系の表現が正確と感じます。

> それで、hpのハンドルネームがhiimi(ひいみ)・・・。とても可愛くないです。これは、プロバイダーにネーム登録しようとしたら、hato0101・・・himi0101・・・ubik0101さんと考えてみたけれど、すでに誰かに登録されていて。hiimi0101、しかなかったのです。それしかなかったのです。
>
> 0101。時期でいえばちょうどubik0101さんがhpの下地を暖めていた頃に、母から貰ったダイヤの刻印がそれで。刻印はだいぶ後に見つけて、あらフシギ。そんな不思議。夫婦や親しい仲に、よくあるのでは、と思います。


ほんと、ご縁は不思議っす。。
不思議と思っても思わなくとも、ご縁は起こる。。

> 青雀さんの熱い珈琲に惹かれて、ubik0101さんに熱い珈琲をおねだりしました。マツムシ、鈴虫、クツワムシ・・・絶妙な合唱を耳に、秋の夜長の珈琲です。そういえば最近、ナナがいきなりバッタに飛びつき、バリバリ食べるのを見て、仰天しました。

わははは。自然は美しさと同じくらい残虐な側面がありますね。
以前、アフリカのヌーの大移動のドキュメント番組で、川をうまく泳げずにのろのろしていたヌーの子供が大きなワニに頭をかみつかれて水面下にひきこまれるシーンを視て全身凍りついてしまったことがありました。。

現象は問答無用に"全部のせ"ですね。。

No.3686 - 2011/09/16(Fri) 00:04:59

Re: 逆は真? / ubik0101&hato

> 非意味という表現はしっくりきますね。
> 否定系の表現が正確と感じます。


もちろん、経験としてそこに言葉はありませんが、それは、なにかとてつもない断絶のあと、と表現できます。

> ほんと、ご縁は不思議っす。。
> 不思議と思っても思わなくとも、ご縁は起こる。。


総て総てが起きてるのに、なぜ、その縁、なのか?それが問題です。おもしろいですね。なぜ、これは、こう、なのか?
なぜ、そう、でなくてもいいのに、そう、なのか。

> わははは。自然は美しさと同じくらい残虐な側面がありますね。

ナナがバッタを食べてるのを見たときは、こちらふたりはどちらかといえば、食われてるバッタに憐憫というよりも、ナナの、なにしろ凄い勢いで食する様相に仰天したのでした。たんぱく質が必要だったのでしょうか。

hato

ところで《素カメラ》も、改名しなければ。というわけで《アオガラカメラ》略して《ガメラ》と、しました。

ubik0101


青い露草が、庭のあちこちで満開です。

No.3690 - 2011/09/16(Fri) 23:00:14

Re: 逆は真? / 青雀
> 総て総てが起きてるのに、なぜ、その縁、なのか?それが問題です。おもしろいですね。なぜ、これは、こう、なのか?
> なぜ、そう、でなくてもいいのに、そう、なのか。


手の甲をじっと見つめていると、手の甲じゃなくなる。
なにかしわしわの得たいの知れない有機物が現れます。

> ところで《素カメラ》も、改名しなければ。というわけで《アオガラカメラ》略して《ガメラ》と、しました。

あはははっ。流石です♪
明日はいよいよガメラ3号(中古カメラ)と初顔合わせd(*^0^*)d
ドキドキ♥♥♥

No.3691 - 2011/09/17(Sat) 00:30:02