たとえば、ゆっくり静かにくつろいでるとき、玄関のチャイムが鳴ります。なんで、この自分の静けさを妨害するのだ?といって現れるのは怒りかもしれません。その場合、この自分の静かさ、に同一化してるかもしれません。
このように怒りとは、こう《私》は《ある》、を邪魔されたときの、それを追い払いたい、攻撃的反応ではないでしょうか。そして、その私、は。あまりに当然、明確で、客観的に認識する必要もないほどに。なにかに同一化されてる、私、かもしれません。
たとえば、自分の能力、地位、思考、時間、空間・・・或いは、思い込んでるに過ぎない、好みに過ぎない、身勝手に良し、とするところ・・・それらに依存してある自分の状態を邪魔されて、攻撃的に反応が現れると、それが怒り、かも知れません。
この場合、その 自分の能力、姿勢、地位、思考、時間、空間・・・を、知らないことを知らない・・・知ってることと見なして、それに依存してる。それを怒りの根拠にしてる。のではないでしょうか。
続きます。
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No.3756 - 2011/10/22(Sat) 13:43:40
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