| > だからね。やっぱり〜ね。 > 北風より太陽なのです。
太陽は、人を蒸し焼きにしてしまえますもんね。たとえば愛は、表現としていつも慈愛とは、限らないでしょう。比喩としての北風と太陽・・・これはどちらの働きが・・・ということでは、ないでしょうね。人はいつも、優しいものが好き、気分のよくなることが好き・・・でも、成長とは、あらゆる機微を通して起こると思います。
そして尚、愛は、愛。と思いますね。
> 相手の幸せを一番に願うって、自分も気持ちいいじゃない。 > 願える自分である事を発見する。ような感じなのだなぁ。
愛は、愛。それは、こういう仕方・・・ああいう仕方・・・或いはその、感じ・・・にとくに関係するもない・・・愛。
ピカリと光ったなにかは、大切なテーマです。たとえば愛は、どれかの状態、だけのものではないのに、人はその形式と内容をくっつけておきたい、或いは、くっついてる・・・と思い込んでいる、かも知れません。けれどそれは本当は、とてもとても、膠着ない、フレキシブルなものでしょう。
神奈川に行ってきましたが、やはり関東のほうが、すこし冷えるかも知れません。もう11月なのにこちら、昼間は半袖でいます。
hato
たぶん怒りは、愚かさへの攻撃反応で。ほかの人に顕れてる愚かさと闘わなくてはならない、という理由がありそうです。それにしても、その理由(思考)そのことには、その理由(思考)が正当か不当かを判断する機能はない。とか。自分は自分と距離がなく、自分を怒ることは困難。とか。そこにも気がつくことがあるようです。
それと劣等感とかは。その言葉を、ほかの人が話してるのを聞くまでは、それが自分にないことにも、まったく気がついてなかった。ということに気がついて、なぜなくなったんだろうと。たとえば自我とかが、あるとかないとかいう自覚できる思考とは違っていて、ちょっと驚き、ということがあります。
ubik0101
玄関の、小さなプリペットです。葉が大きくて、生長が楽しみです。
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No.3797 - 2011/11/12(Sat) 21:26:34 |