>旅人は、自分が裸だと思い込んでいるから、着こみたがる。 >というか〜裸だと思い込んでいるから旅をしたがる。 >ということもあるかしら?
そのように。自分は、裸なのに、その裸と思う、そのことに囚われて、旅してしまうこともあるでしょう。
ここでは裸の自分を裸と認識することを。A=Aの思考と呼んでいますが、それが可能になるには、世界、森羅万象の活動が必要です。それは、たとえば裸と着服、二項目を 比較対照する思考、あるいは自分で自分の状態を対象化する分裂の思考とは、趣、意味、構造が違います。
(たぶん高校生の頃です。ラジオから、♪♪とても淋しい海〜。そこには誰もいなかった〜。という歌が聞こえました。なぜ自分一人しかいないのに、誰もいなかったことが判ったんだろう?そんな疑問を持ちました)。
これが明確でないと。それが思考、認識だというだけで、比較対照する思考、あるいは分裂の思考、と思いこんで、自分が裸だと認識するそのことは・・・どこか箪笥・・・無意識に服を隠し持ってないわけではないか?と思って、北風と太陽に出会ってしまうこともあり得ます。
どうでもいい話なんですが、「無我がある」なんてことを言った人に。なんですか、それは?と聞いてみました。すると・・・しばらく考えて・・・無我って状態があるんだ・・・と呟きます。
それは、そうです。でも、それは無我を対象にしてるかもしれません。そんなことより見るべきは、そんなことを言う、その日常の自分が、どうか、と言うことだけです。
続きます。
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No.3835 - 2011/11/29(Tue) 17:11:13
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