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記事No.3897に関するスレッドです

分離 / peer
>その、解放ゆえの分離はないでしょうか。

悲しかったら悲しいままに、腹立たしかったら腹立たしいままに。
放置しても、そのまま、消えていくものだから、そのまま感じていればいい、ということもあります。
しかし、こうして分離して「何が自分に起きているか」を知りたがるのは、自我の働きでしょう。
つまり「なぜ」を発したがる傾向を持っている。とも言えそうです。
自分と他者とを分け。自分と世界とを分け。自分をA自分B自分に分け。

自我が、理由を知らなくても原因を知らなくても、事実として在る。
ということは、本来は、全部「知っている」・・・のでしょう。
なぜここはこうなのか。なぜこうしているのか。なぜ自分なのか。を。
もしかして「知っている」は、「信じている」といえますか。
それが、ゆらぐことで自我が働く隙間が生じる。
自我には、理由がなくて「愛されている」ことを信じる事が出来ない・・・のかもね。
たとえば、いまここに在ることは、愛によって・・・・。

No.3881 - 2011/12/12(Mon) 14:47:24

Re: 分離 / ubik0101
>悲しかったら悲しいままに、腹立たしかったら腹立たしいままに。
>放置しても、そのまま、消えていくものだから、そのまま感じていればいい、ということもあります。


たとえば悲しみながら悲しみに、怒りながら怒りに依存しない、ということはないでしょうか? とりあえずは、依存する自分がなければ、なにがあっても、依存しない、依存できようがないのです。

また、たとえば悲しみや怒りが、現れて消えたとして、とくにそれを感じてない日常、消えた悲しさ、消えた怒りは、どうなってる?では、悲しみや怒りを、感じるということは、どいうこと?こんな疑問が生じないでしょうか。

>しかし、こうして分離して「何が自分に起きているか」を知りたがるのは、自我の働きで>しょう。つまり「なぜ」を発したがる傾向を持っている。とも言えそうです。

たとえば自我は、分離、を切り口にして見ることもできます。でも、自分が自分を自覚したいこと。また、とくに特定の自分がしてることではないのに、自分がしてると思いたいこと。ひとつの切り口だけではなく、さまざまな自我の現れを見る必要がありそうです。

>たとえば、いまここに在ることは、愛によって・・・・。

だとしても、その愛を感じないと、愛ではないでしょうか。愛を感じなくても、いや感じないからこそ、愛かもしれません。また自我だと思いもしなくても、自我ってこともあるでしょう。自我だと思いもしなくて、自我ではないもあるでしょう。これが違うとして、違いは明確です。

スッタニパータ・仏陀の言葉。

874 「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する」。

No.3882 - 2011/12/12(Mon) 20:45:43

Re: 分離 / peer
>悲しみながら悲しみに、怒りながら怒りに依存しない、
>ということはないでしょうか?


哀しみも怒りも・・・すべての根底に愛がある。
そこと、つながったとき、哀しみと言う怒りと言う姿は消える。
たとえば愛するヒト・モノ・コトを物質・現象として失いますが、しかし、愛は消え去りはしません。

アインシュタインの言葉に
「精神異常とは、同じ事を繰り返しやり続けて
 違う結果を期待することである。」
というものがあります。
悲しみとか怒りとは、同じ事をやり続けて
違う結果を求める人が、してしまうコト。かも。
「それ」をそのまま受容し味わったら、全ては終了する。
のかも知れませんねぇ。

No.3883 - 2011/12/14(Wed) 14:40:11

Re: 分離 / ubik0101
たとえpeerさんが失われても、消え去らない愛?それならそれで、です。
No.3884 - 2011/12/14(Wed) 18:04:17

Re: 分離 / peer
そう。だから「なぜ」は、認識したい「なぜ」とは違うモノです。
No.3885 - 2011/12/16(Fri) 15:25:48

Re: 分離 / ubik0101
ならば・・・意識が機能していながら、意識に依存しない、です。 「そう」も、「そうでない」も壊滅です。
No.3886 - 2011/12/16(Fri) 22:04:47

Re: 分離 / peer
意識が機能していながら、意識に依存しない、は
なにも所有しない。ということね。

No.3887 - 2011/12/18(Sun) 10:47:03

Re: 分離 / ubik0101
そこだけで言うならばですが・・・なにも所有しない、も所有しない、です。
No.3888 - 2011/12/18(Sun) 11:36:41

Re: 分離 / peer
なにも所有しない、も所有しない・・・と意識は何にも取りつかない。
とうぜん・・・所有できるモノなんて、なにひとつナイのよね。

No.3889 - 2011/12/20(Tue) 03:59:57

Re: 分離 / ubik0101
たとえば所有していて所有からの、所有してないで所有してないからの、解脱・・・という思考も壊滅して。そのまま現前する世界の知覚が機能しながら、それに依存しない・・・です。それは、

すでに、自分がないとか、自分があるとか、も壊滅して・・・これが、こうでなくていいのに、これ・・・なぜ、これは、これ・・・神秘、不思議の真っ直中・・・です。ここから一人、探究が始まります。

No.3890 - 2011/12/20(Tue) 07:50:39

Re: 分離 / hato

> なにも所有しない、も所有しない・・・と意識は何にも取りつかない。
> とうぜん・・・所有できるモノなんて、なにひとつナイのよね。


その言葉の遊戯が本当に終わったとき。本当の探究が始まる、と思います。


死んでしまったと思ったタヌキの子は健在で、ときどき会います。これは母でしょうか。昨年の今頃は、疥癬かで毛がなくて、本当に気の毒だったけれど。まるでチャウチャウ犬のように、まるまると立派です。

No.3892 - 2011/12/20(Tue) 23:21:53

Re: 分離 / peer
>> なにも所有しない、も所有しない・・・と意識は何にも取りつかない。
>> とうぜん・・・所有できるモノなんて、なにひとつナイのよね。


>その言葉の遊戯が本当に終わったとき。本当の探究が始まる、と思います。

探求してこその「所有できるモノが、なかった」実感となる。
というか〜それが始まりであり終わり、かなと。
頭でなく、腑に落ちる「気づき」は、探求する必要さえなく事実です。よね。
所有しよう・所有している。それが生活のすべてだった。
意識にとって世界は奪うためにあった。そのことが終わる。

No.3893 - 2011/12/22(Thu) 10:54:41

Re: 分離 / hato

> 探求してこその「所有できるモノが、なかった」実感となる。
> というか〜それが始まりであり終わり、かなと。
> 頭でなく、腑に落ちる「気づき」は、探求する必要さえなく事実です。よね。


> 所有しよう・所有している。それが生活のすべてだった。
> 意識にとって世界は奪うためにあった。そのことが終わる。



意識がそのように用いられたとして。
それが本当に終わるなら・・・・幸いでしょう。

しかしその意識は本当に、終わってる、でしょうか。

所有が云々されるとき、人はまだ、自我、無我に捕まれているでしょう。所有無所有に係ることもなくして探究、というとき、既に人はその、自我無我、にないのです。

その探究とは、人が正真正銘、自己で在ることによって、進まれる道です。まず自己であること、から、進むことができます。


太平洋の、波打ち際です。

No.3895 - 2011/12/23(Fri) 10:10:55

Re: 分離 / peer
>意識がそのように用いられたとして。
>それが本当に終わるなら・・・・幸いでしょう。
>しかしその意識は本当に、終わってる、でしょうか。


なぜ終わらないか、というと
元に戻りたがってしまうからじゃないかなぁ。
本来、何も持たないことが、全てを持っていることであろうし
何かを持つということは、何かを持てないことだし。

夢を見て、感激して・・・目が覚める。
それを意識的に論理的に解釈しようとしているうちに、
なんにも面白くもなんともないお話に変化してしまう。
なんてこと・・・ないですか?
そして「さて、生活もあることだし」になったりして〜
確かに、変性意識のまま社会生活するのは、混乱します。
家に帰る道を思い出せなくなったり・・・「私って何」とか。
まぁ、それでも「変わってる人」くらいのもんでしょう。
突入せよ。ですね。ホントに。

No.3896 - 2011/12/23(Fri) 11:26:56

Re: 分離 / hato

> なぜ終わらないか、というと
> 元に戻りたがってしまうからじゃないかなぁ。
> 本来、何も持たないことが、全てを持っていることであろうし
> 何かを持つということは、何かを持てないことだし。
>
> 夢を見て、感激して・・・目が覚める。
> それを意識的に論理的に解釈しようとしているうちに、
> なんにも面白くもなんともないお話に変化してしまう。
> なんてこと・・・ないですか?
> そして「さて、生活もあることだし」になったりして〜
> 確かに、変性意識のまま社会生活するのは、混乱します。
> 家に帰る道を思い出せなくなったり・・・「私って何」とか。



> まぁ、それでも「変わってる人」くらいのもんでしょう。
> 突入せよ。ですね。ホントに。



さまざまな体験は頓着されず、突き抜けて、尚、自己に突入なら、その通りでしょう。変わってる人よりは、素直な人、でしょうか。素直にあることは、理解をよく助けてくれると思います。そして、ときにはこうした場で、言葉で分かち合い、学ぶことも大事、と思いますね。


戻りたがる誰かがいるなら、元、という事態がすでに幻想です。

意識は、ただ、意識です。

自己にあること、それはたとえば人生に於いて奇抜なこともない、といって凡庸でもない、生きるなら、ほかでもないその世界を生きる・・・・ようです。


庭の、すこし広がったダイカンドラの緑が明るく、目を引きます。その向こうに、今年は水仙が、早くから群生していました。

No.3897 - 2011/12/24(Sat) 10:51:32