>たとえば所有していて所有からの、所有してないで所有してないからの、解脱・・・という思考も壊滅して。そのまま現前する世界の知覚が機能しながら、それに依存しない・・・です。
その「所有観」を人は「愛」と錯覚する。 所有されるのも、所有するのも。 愛されていると見る、愛していると見る。 投影の機能。思考の性質。
>たとえば悲しみながら悲しみに、怒りながら怒りに依存しない、ということはないでしょうか? >とりあえずは、依存する自分がなければ、なにがあっても、依存しない、依存できようがないのです。
悲しむことも怒る事も、すでに依存なのかも。
>また、たとえば悲しみや怒りが、現れて消えたとして、とくにそれを感じてない日常、消えた悲しさ、 >消えた怒りは、どうなってる?では、悲しみや怒りを、感じるということは、どいうこと? 書かれてきたことからすると、悲しみや怒りを感じることは、自分があることの確認でしょうか? 「消えた」と言っても「今の時点で必要がないから持ち出さない」だけでしょうか。
|
No.3900 - 2011/12/29(Thu) 14:22:16
|