| それで、ほかの人の言動を、なにか意味づけて変調することもできます。それは投影と呼ばれることでもあるのですが・・・たとえば、あの人の、あの言動は自我なのです。また、その言動は正当化なんです。また、かの言動は投影なんです。と思考しても、それはあくまで解釈、判断です。
たとえば、あの人があの場で怒ることは、自己保存だ、とか。そこで話されてる、あの人も、その解釈、判断してる人も、それを聴いてる人も、みんなが同じような変調をしてるので、それは解釈、判断ではなく、事実だと感じ、また話が合ってるように思うだけということもあります。
そうすると解釈、判断するその人が、自分は自分で見えないというだけで自分のことを度外視して判断する、その領域に固着してしまうかもしれません。ほかの人よりも、まずはそんな自分に切り込むこと、が大事に思います。
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No.3937 - 2012/01/19(Thu) 17:43:25 |