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記事No.3961に関するスレッドです

名称と形態 2 / ubik0101
スッタニパータ/874・・・仏陀の言葉・・・「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する」。

まず当たり前ですが、ありのままに想うこと、誤って想うこと、想いがないこと、想いを消滅すること。その総ての経緯を辿った、ということが前提です。そして、そのどれかひとつでも、総てでも、形態に縛られてる、という意味です。

ふつうに考えると、なにかを解釈したり、判断することは、どうしても主観的な狭い視野から、ものごとを見る必要があって、それは、世界と自分との、ほかの人と自分の分裂です。あるいは、ここにないものごととしての空想の過去とか、未来とか想定して・・・自分と自分が分裂して・・・見ることです。

そうする、そのことで優劣とか損得とか善悪とかの比較とか、不公平が原因の、価値観を成立させてるような気がすることができます。それはすでに、ほかの人との、自分との、世界との争いです。と、解されることがあります。

それは、ありのままに想ってないからで、それが問題。なので、ありのままに想えばいいのです。と思う人がいるかも知れません。それは、でも、ありのままに思ってない人が思うことかもしれません。それは問題ですが、仏陀の言うことは、まず、ありのままに想うというそのこと、それが問題だ、ということです。

続きます。

No.3935 - 2012/01/18(Wed) 20:10:56

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
たとえば、もう「ほかの人の、どんな見解も気にならない」ただ一人で歩いています。と、考えたとします。でも、そう思考しつつ、ほかの人の見解が気になってるなら、その思考そのことと、その人の事態が異なる、そんなことがあります。 また、「ほかの人の、どんな見解も気にならない」と考えつつ、気にならない、ということがあります。それは、思考とその事態は一緒です。

しかし、思考とその事態は一緒でも、それはその人が、その思考の領域から出られずに・・・たとえば鎖に繋がれたロバのように、その「ほかの人の、どんな見解も気にならない」という思考のある位置からしか見ることができない、ほかの様々な可能性を拒んでしまう、ということがあります。これは思考依存です。

たとえば、もう、「ほかの人のどんな見解も気にならない」という想いを消して、ほかのことを想う・・・たとえば、自分に切り込むのです。いかなる世界観も不要です。ただ、ありのまま。とか考えたりもするでしょう。そのように、どう無関係なことを考えても、ほかの人のことが気になる、という事態に囚われてる、もあります。

これは、思考しても、思考しなくても、ほかの思考をしてても・・・どのような内容の思考とその事態が違っても、一緒でも・・・囚われです。つまり「ほかの人の、どんな見解も気にならない」と思考して、その事態が違っても一緒でも、そんなことを思考してなくても、ほかのことを思考しても、囚われです。

それは、たとえば真理(たしかな事実)を思考しつつその事態と一緒でも、これは自分は意識。と感じてないでも意識に依存してる事態。つまり意識依存です。それは、たとえば真理(であろうこと)を思考しても、その真理ではないことを拒む、つまり守ってる、という傾向が見られるようです。

続きます。

すっかり枝も葉も落ちていますが、春先には、タラの芽ができそうです。スーパーなどで売ってるのは、ふかし栽培と言って、このようなタラの木を小さくぶつ切りにして・・・水耕栽培のようにして・・・それぞれの節から芽を出させたもので。たくさん収穫できますが、自然の味とは違うそうです。

No.3950 - 2012/01/23(Mon) 13:00:46

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
そして、「ほかの人の、どんな見解も気にならない」と思考してないで、その事態に囚われない、ということがあります。そして、そう思考してその事態に囚われない、ということもあります。すると、なにか思考すると、しないと、その事態。その総ての順列組み合わせはでき得るのですが、その思考はその事態を証明する密接な関係はない、ということです。 ここでとりあえずですが、思考は、その事態からの解放を獲得します。

これを逆に言うと思考はあまりにも自由なので、なにかのもの、こと、出来事、人間関係、また思考に、依存してしまう傾向があるということです。たとえば優越感があるというそのこと、劣等感があるというそのことが、優越感、劣等感であり得たりもします。

また、 たとえば、自分と世界、自分とほかの人、自分と自分が分裂したとして・・・そうするそのことで優劣とか損得とか善悪とかの比較とか、不公平が原因の、価値観を成立させてるとしても・・・そのような気がするだけ、あるいはそんな解釈、変調というだけ、もあります。

ところで、思考の自由度に、その混沌さに囚われて、なんの根拠も根も葉もない空想の嘘、勝手な投影に縛られて気がつかないことがあるかもしれません。ここは、ストレートに思考とその事態の自由を求めても困難です。

そこで・・・知覚は差の認識とか・・・AはAの思考とか・・・変調とか・・・不完全もない完全は完全ではないとか・・・一人あること(それまで人の間に隠れて生きてたということは、とても見えにくいのですが)とかを経緯して・・・それが思考されてなくても、それが機能してることの了解・・・とかが、正確に見るためには、望ましいように思います。

続きます。

No.3953 - 2012/01/25(Wed) 14:57:57

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
ここでもし思考依存、意識依存の囚われがあるならば、たとえ次々に思考の内容は変わって見えても、始まりも終わりもない繰り返し・・・その範疇にいて、メリーゴーランドを見て喜ぶ赤ちゃんのように、ぐるぐる廻って、そのことに気がつかないでも、気がついても、ぐるぐる廻ってるかもしれません。

それは見える思考に依存、そしてその背景の見えない意識に依存。しかし、なんであれ、その、その自分の有り様を自発的に思考するならば・・・毒を食べるなら、真摯に正確に、その皿まで舐める・・・そんな思考は思考の背後の破綻、依存からの非常階段、を見つけるのです。

ところで、です。そもそも、ふつうの日常で、「ほかの人の、どんな見解も気にならない」、も。自分に切り込むのです、も。いかなる世界観も不要です、も。ほかの人の、どんな見解も気になる、も。特に、思考する、主張する、必要がないとしたら、どうでしょう。

そんな必要は実際、ないのです。なんでもあるゆえに世界は、なんでもないで。何度でも言いますが、それなら、どんな思考も、偏りがあって、あらかじめその基礎に破綻があって生起しています。ということに気がつきます。人は日常という虚空から掴み取るように思考を掴みとってるゆえに、それから離れられず、その背景を大切に感じて依存してしまうということもあるでしょう。

続きます。

No.3954 - 2012/01/25(Wed) 18:00:34

Re: 名称と形態 2 / hato

九州のほうでは、餅を小麦粉でまぶして、油で揚げる、という技術があるそうです。

お〜いしい!軽く油で揚げた餅に、ゴマ和えの素をかけて頂きます。サクサクでモチモチ、食感もよくて。塩味も効いておいしいの。potanpotanさんの料理ページからヒントを得たそうな。

仕事の合間、夜食やおやつに出してくれます。

ん〜食べすぎてしまいまふ。困ります。

すこち太りまちた。

No.3955 - 2012/01/26(Thu) 23:01:18

Re: 名称と形態 2 / potanpotan
なるほどー。お餅をあげるという発想がなかったです。
香ばしさが増しそう!

お餅を揚げるという新しい世界に魅せられます。

お餅・チーズ・海苔・ささみかベーコンの組み合わせのフライとか・・
お餅の揚げ物レシピ・・・研究しがいがありますねーー


> 九州のほうでは、餅を小麦粉でまぶして、油で揚げる、という技術があるそうです。
>
> お〜いしい!軽く油で揚げた餅に、ゴマ和えの素をかけて頂きます。サクサクでモチモチ、食感もよくて。塩味も効いておいしいの。potanpotanさんの料理ページからヒントを得たそうな。
>
> 仕事の合間、夜食やおやつに出してくれます。
>
> ん〜食べすぎてしまいまふ。困ります。
>
> すこち太りまちた。

No.3956 - 2012/01/27(Fri) 22:32:58

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
なんか面倒な説明になってしまいましたが、要するに・・・これこれ思考する、また思考しないということだけが問題、ということではないのです。ただ思考したりしなかったりしての、その背景になってる意識に、同一化、依存してるなら、それは、ありのままに想うとしても、誤って想うとしても、その人は意識に依存してる。執着、倒錯、顛倒です。ということです。

たとえば心理的な思考、技術的な思考、天気とか趣味とかの思考、それらを判断したり検討したりさまざまなテーマが変わっても、その背景、意識に依存してるなら、依存です。なので、あれこれ思考することによって、この問題に気がつくことは困難といえば困難です。ただ自己を知る(これは明らかに知れるのです。が、それを意識は知ることはできないのです)。ことによってそれは一気に解決します。

ただそれを自分に納得させる、明確に了解する、これが困難だといえば困難なのです。が、自然に探究は道を辿っていくので、努力は不要なところです。この過程にあって学ぶことができます。たとえば「想うでも、想わないでもない」と、いえば凄い境地のようですが、思考とその事態の固着からの自由。

ふつうの、なんでもない日常が、世界が、そんな有り様です。いつも人は、そこから始めてはいるのです。そんなふつうの有り様の自分を見ることによって人は、ここまでは、とくになんだかの体験の有無は問わず、了解できるのではないかと思っています。

No.3957 - 2012/01/27(Fri) 22:37:19

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
くり返しますが、ありのままに想う人、誤って想う人、共に、思うことの背景、意識に依存しています。それは自分を、意識だと、見なしてるのです。あるいは意識が人には、ある、ということを背景にしています。また、想いのない人、想いを消滅した人。それは知覚依存の事態です。

おそらくですが知覚依存から意識依存は見やすく、意識依存から知覚依存は見やすいように、補完してるように感じます。そのどちらも経緯して、どこにも囚われない、根拠にしない、依存しない・・・名称と形態、それは、この意識依存、知覚依存、からの解脱です。

とりあえず知覚依存・・・それは視覚、聴覚など・・・熱い、寒いなどの感覚・・・そして喜怒哀楽などの感情・・・そして思考が、知覚と感じられます。意識は・・・人が生まれる・・・世界・・・死ぬ、ことの説明概念にすぎません。

そして意識は感じられないという意味で、ない、です。ここで、あるない、の意味を思考し尽くす・・・そのようなことは、それを狙ってではなく、それを探究するようになってしまうのですが・・・ことで明確になります。

たぶん誰でも実験、実際に経験できると思うのですが・・・ゆっくり椅子にでも座ってどこか気持の片隅で重力感などの身体感覚を感じながら、思考を止めて、主に視界に注意して部屋の中を見回してください。その部屋にあるテーブルとか壁とかではなく、空間が、自分と感じられます。

No.3958 - 2012/01/27(Fri) 22:38:40

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
そのまま窓の外を見ます。世界と自分、繋がって、浸透、素通しです。その空間が自分です。では、眼を閉じてみます。その真っ暗ではない、とくに限定されない空間?が、自分です。ただ、この自分と言うことは、まったく曖昧な言い方です。

ほかに自分を感じられるものがないので、この空間を自分、と呼んでるくらいの感じです。でも空間そのことは知覚はできないで、壁とか樹とか雲とかの距離からの説明概念のようです。このような意味では知覚依存は空間依存。そして意識依存は時間依存。と言えるでしょう。

たとえば壁に掛かってる絵を見る。その絵との距離がありません。なのに見えるのは不思議ですが、たぶんテレビとか映画を見るときは、誰でもそうなのだと思います。聴覚もそうです。あそこで鳴いてる鳥の、あそこから距離を伝わって聞こえるのではありません。

それは眼で見て、耳で聞くので当然です。そして距離のあるないの切り替えは、ほとんど自覚できないのですが、カメラのズームアウトの過程のように自覚できることもあります。

ところで仏陀の言う十二縁起は、相依性で・・・無明があるから・・・行があり、行があるのは・・・識があるからで・・・識があるから、名称と形態つまり意識(時間)依存、知覚(空間)依存)があり・・・名称と形態があるのは六入(眼、耳などの感覚器官)があるから・・・と、なって整います。

No.3959 - 2012/01/27(Fri) 22:39:56

Re: 名称と形態 2 / ubik0101&hato
> なるほどー。お餅をあげるという発想がなかったです。
> 香ばしさが増しそう!


そうですね。サクサクで、もちもち・・・楽しい食感でもあります。今夜は、hatoさんのリクエストで、きな粉をまぶして、デザートにしました。大好評です。お試しあれ、です。

No.3960 - 2012/01/27(Fri) 22:43:48

Re: 名称と形態 2 / ubik0101&hato

一昨日だったでしょうか。

ubik0101さんがメダカの鉢を棒で掻き回していて、水草に付いた やご を発見したようです。なんと3匹もいました。まだ、いるかも知れません。

そういえば夏の終わりに、トンボが水場で産卵していましたね。トンボは嬉しいですけど、やご はメダカたちを食べてしまうのです。メタボンを救わねば。

やごは明日、近い川に放しにいきます。

No.3961 - 2012/01/28(Sat) 19:56:53

Re: 名称と形態 2 / ubik0101
し、しまった。炊飯器に御飯がほとんど残ってない・・・ど、しよう・・・というわけで天啓のように閃きました。トーストに御飯を乗せて、さらにベーコンエッグを乗せてみました。結果。サルサとか、ソースを工夫すれば改良の余地はありますが、ま、想像通りの、こんなもんかな、でした。
No.3962 - 2012/02/01(Wed) 13:19:28

Re: 名称と形態 2 / potanpotan
> し、しまった。炊飯器に御飯がほとんど残ってない・・・ど、しよう・・・というわけで天啓のように閃きました。トーストに御飯を乗せて、さらにベーコンエッグを乗せてみました。結果。サルサとか、ソースを工夫すれば改良の余地はありますが、ま、想像通りの、こんなもんかな、でした。

なるほどですね。たまごの半熟がご飯にもパンにもあいまって・・両方を一度に楽しめるという素晴らしさと贅沢さも感じられます。

炭水化物同士の組み合わせは、どうしてもノドゴシをどうするかという問題が生じるかもしれませんね。

そうすると・・やっぱりソースというテーマが出てくるわけですね。

No.3963 - 2012/02/01(Wed) 18:38:20

Re: 名称と形態 2 / hato

> なるほどですね。たまごの半熟がご飯にもパンにもあいまって・・両方を一度に楽しめるという素晴らしさと贅沢さも感じられます。

そう〜、これから改良を重ねて・・・もっともっと美味しくなるかも知れません。ライスバーガーを思い出しますが、やはりトマト、キュウリ、レタス・・・新鮮野菜が沢山入ってるといけそうです。

それで、話は変わりますが、この刺身包丁。友達の料理人さんが、とても好みそうな包丁。ダーリンここのところ、ずっと、見入りつつ手入れしつつ、製作中です。人造漆の研ぎ出しです。

No.3964 - 2012/02/01(Wed) 21:33:02

Re: 名称と形態 2 / hato

そんなこんなの2月。なんて寒いんでしょう。静岡は温暖で、雪はめったに降らんよ〜、と聞いてきたのに、昨年も今年も雪。

本日のubik0101風味噌汁(酒粕入り)。なんて可愛いんでしょう。葱がハートになってます。

No.3965 - 2012/02/03(Fri) 19:01:48