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記事No.3981に関するスレッドです

説明概念 2 / ubik0101
なんでもいいのですが、たとえば自我とは、世界と、ほかの人と、あるいは自分との分離のことでしょうか?あるいは自分の外の視点を仮定して、そこから自分を見るということでしょうか?あるいは自分が、ある、という感覚でしょうか?

あるいは、なにかを知ってる、という思いでしょうか?葛藤のことでしょうか?さまざまな意見があります。が、そんなことは、みな説明概念にすぎません。

しかしそれを具体的な事実として受け取ると、そのそれぞれの特定の個別の反対概念が、自我からの解放と見なされる恐れがあります。それは、みな空想です。

そして、特定の個別のことは、世界から仮に切り取ったことであり、対象にできることであり、なんとなく具体的なことのように感じるのではないでしょうか。

とても単純に説明してのことですが人が解放されてるとして(a)・・・たとえば分離がない、自分が自分を自覚できない、自分がない、とか思考、表現しながら・・・自分が自分を自覚できない、自分がない、とかの事態でしょうか?

たとえば知覚からの直接行動、と思考しながら・・・知覚からの直接行動をしてるでしょうか? 意識がなくて、意識がない、という表現そのことが念頭にあるでしょうか?ならばどのようにして、それが意識がない、という表現ができるでしょう。

続きます。

100円の3LEDの懐中電灯、2個買い増ししてしまいました。これで2人で2個ずつ持って夜の散歩ができます。

No.3974 - 2012/02/14(Tue) 21:16:07

Re: 説明概念 2 / ubik0101
たとえば意識がないで、意識がないという表現、思考が可能なのは。意識がないという思考がなくても、意識がない事態だからです。なら、意識がないという思考があっても、意識がないのです。

この意識がないという思考があっても、なくても、変わらず、意識がない、です。では、その思考のあるないで、その事態は、説明できない、ということもあります。それが事実を現してるかどうかは、その説明の背後、その事態にあるのです。

そしてなんであれ・・・たとえば誰かの言うことを受け入れるということは・・・その背後なしに、その事態なしに、説明を特定の個別の具体的な事実と見なすことになりやすいのです。そうならその事実ではない、単なる思考です。観念的、とも呼ばれます。

その表現は人の事態を示さないでしょう。それは自分で自分に嘘をついてるのではないでしょうか。そして誰かが言ったことは、溢れるほどあって、それらを渡り歩いて、自分を自分に隠すことができるのです。

ちょっと角度を変えて見てみます。たとえば知覚からの直接行動をしてるなら、知覚からの直接行動という意識、思考することもない何かの有り様なのでしょうか?

そうだとすると、それを、たとえば知覚からの直接行動という、特定の個別の表現、思考をする意味も、根拠もないことになります。あるいは自分がない、意識がない、時間がない・・・という表現をする必要がないことになります。

それなら、まったくなにも表現しない、できない・・・または探究が正確であるためには、ありとあらゆる表現の理解が必要だということです。実際、自我をなにか、とある概念で説明した場合、実情にあっているようには見えても、その見えてることしか見えず、その反対概念・・・たとえば葛藤がない、主張がない、自分がない、分離がない・・・ということに止まらされてしまう恐れがあります。

続きます。

モズが、後で食べようとして、置き忘れてしまったのでしょうか。なにかの虫が木の枝に刺さっていました。

No.3975 - 2012/02/15(Wed) 22:14:15

Re: 説明概念 2 / ubik0101
そうでなく、その表現が自発的なら、たとえば自分がない、葛藤がない、その表現、思考、その背後に自分で切り込むことができます。というより自発的な思考は常に、その思考の背景、根拠を探究する特質があり、ほとんど自動で、そうなっていくのです。

それは難しいことを思考する必要はないです。 たとえば嘘について考えたら、ほかのなにか・・・知識、常識、哲学、宗教・・・に依らず、ただ真っ正直に思考し抜くのです。

たとえば損得について考えたら、そのことについて。好奇心について考えたら、そのことについて。ただ意識の飛び火する性質に乗じて、あれこれ知ってることを根拠に思考を展開せず、問題、課題に踏みとどまること、が大事です。

そうしないと、過去、知識から見ての、嘘、損得、好奇心となり、それは対象としての嘘、損得、好奇心であり・・・決して自分事ではなく・・・その関係に支配され、自分に切り込むのは困難なようです。

その自発的な問いに踏み止まるなら・・・たとえば自分があるない、時間があるない、葛藤があるない・・・と表現するにしても、ただ、あるない、と言ってるだけでは、あるないの意味を知らない愚かさの上で、あるない、などど言ってることに雰囲気として気がつきます。

それは自分からそれを課題にしようとしなくても、あるない、の意味の探究に結びつくのです。それは日常という何か、世界のエネルギーが、それを推進してくれるのです。そうでなければ、なにか、あるない、と言ってることも、その根本は自分にも意味不明なままなのです。

続きます。

No.3976 - 2012/02/17(Fri) 07:56:53

Re: 説明概念 2 / ubik0101
そしてまた、思考とその事態を表現するならば、あるいは名称と形態の探究に、結びつくのではないでしょうか。その探究は、何度でも言いますが、自然に世界の歩みと一緒に探究が進み、努力も不要です。ただ問いに踏みとどまること、その問いに生きること、要求されるとしたら、これだけしかありません。

そいうことは、すでに人は、どこかで知ってるとも言えるのですが、それを言葉にすること、思考することで、学ぶことが多々あります。もしとくに考えることがないなら、たとえば明るい風景、空気、それを全身全霊で感じて、なにもないと思われる日常を掘り下げるのです。

ところで、なにか人が束縛されてるとして(b)説明概念ですが・・・世界と、ほかの人と、あるいは自分との分離、とその人に自覚されて、その人に束縛が機能してるのでしょうか?そうでありながらそうであることに埋没して気がつかないということかもしれません。

それだけではなくて、自分を自分で自覚。も、自分がある。も、そう意図的ではないけれど、そうさせられてる、そしてそうであることを学ばさせられてる、それさえ埋没されてる日常。それは(a)と、なんでもあるという意味で、日常という素材が違うわけではありません。

そこは総ての光の色が混じって透明、真っ白で見えないようなことで、そこから解析して、赤、青、黄などの意味を汲み取り学べばいいのです。

そして自分で自分に切り込むことは、その赤、青、黄とかの内容も大事だとしても、それよりもいかなる哲学、宗教、賢者の言葉など、なにも頼らずに思考することこそ、大事です。でないと、結果だけを求めてるのであり、力がつかないのです。

たとえばシベリアの永久凍土を朝から深く深く掘っては、夜には埋め戻させられる刑罰があったそうです。そんな、なにも結果が得られない、徒労なことに思えても、そこで意図しないでも身体に気持に、力がつくようなことで、飛躍の力がつくのです。それ自体は増えも減りもせず触媒として、世界は、常に働いています。

どんな説明概念もない・・・日常の自分が、このようにある、そこから始める、そうすれば思考とその事態が違うのに気がつかない、などの余計な問題は起こりようがないです。そしてそれで充分です。また、そんな日常からしか始めようがないのです。

と言うのも、理由は解りませんが、この世界は人を導いて、自己であらしめ・・・この世界は、この世界である必要さえない、この世界に依存するな、と・・・そんな了解をもたらす機能があるのです。

No.3977 - 2012/02/18(Sat) 13:08:24

Re: 説明概念 2 / hato

そして探究が、真の探究に進むために、

不要な自己主義、不要なプライドは、完全に破壊されねばならないでしょう。先ず、蔓延する精神の魍魎は破壊されねばならないでしょう。先ず、あらゆる誤解は解かれなければならないでしょう。さらに先ず、世間の関係性に無用に生きたい性質は、破壊されねばなりません。それらを失わずして、何にも拠らずの道を、明晰に進むことは、困難です。容易でない、ことを知ることは大事です。

素直であること。これがすべての探究に先立ちます。素直にないとき、その人は必ず大事を見逃すでしょう。どんなに探究しても、ひとりでいても、仲間といても、苦労しても、修行しても、それがないなら、的を得ることは不可能です。透明な白は、映ることができないでしょう。

先ず、雄々しく臨ばねばなりません。本当に臨まれるには、狂おしく希求せねばなりません。

こうしたことは、人や書物の話を鵜呑みにする・・・しない・・・の界隈に立つこともできない、正真正銘、ただそのようにあることです。

これがこれであること自体(事態)への探求、その発心のないとき、

人は、いつかに意図されただけの周辺を彷徨うその人です。なにか一流でありたい・・・なにか成功したい・・・なに
か人から注目されていたい・・・なにか楽に生きたい・・・なにか葛藤したくない・・・なにか仲良くしたい・・・なにか成長したい・・・これはなんでもどうでもありなだけの、世間に生きる、その人です。

根本の動機が違う場所で、素直であることはできません。その禅も、その念仏も、その探究も、世間で脚光を浴びることや、どうでもよい相互作用に浪費されてしまうでしょう。

それであることは、とくに人から見つけられること、そうでないことがあります。それで在ることは、関係に無関係です。人に認知される・・・されない・・・・そんな関係性とは、人生で表現されたこととその世界、世間の関係です。


そして尚。


それであるとき、雪は、別所に落ちることがありません。

それは必ず、世間のあらゆるところでなく、

世界に垂れた目に見えぬ、とある蜘蛛の糸上です。


よい雪は、よい雪に出会います。

そうでなければ、こうして出会っても、会ってなくても、
会えないのなら、会っていないのです。


嘘のない、隠し事ない、人を蔑むはかりごとない、よい雪はさらりと爽やかに。うつくしい出会いは、世界を超えていくことができるでしょう。


これは、それであること、への進言です。

好雪片々不落別處

とも、言うことができます。


すこし前の雪の日。
ポストが、冬景色です。

No.3978 - 2012/02/19(Sun) 14:33:15

Re: 説明概念 2 / のり
のり、です。
こんにちは。
> そして探究が、真の探究に進むために、
→ありがとうございます。
でも、hatoさん、潔いと言いますか、キッパリと言いますか、凄いですね。
最初の頃と随分変わりましたね。
あの初々しさというか、可愛らしさが消滅の表現ですね。ウビさんの影響なら、ペン(お尻を叩く音)ですね。
あのhatoさんも大好きでしたので(笑い)。

それにしても、この世界って何なんでしょうか?

No.3979 - 2012/02/20(Mon) 11:19:28

Re: 説明概念 2 / hato

のり、さん。
こんばんは。やっぱり大好き、のり、さんです。


> それにしても、この世界って何なんでしょうか?


この世界はどこまでも、それ自身は変化せずに、人を変化させる・・・成長させる・・・・

なので、世界のあらゆることに、人は正真正銘、依存することができません。それはもう、決定的な理解としか、いうことができませんね。


好雪片々不落別處


よい雪は、別の場所に落ちない・・・

もちろんそれは、不知 よりほかの場所でもない・・・

として、無闇に不明でない、こと。いつかの、世界は必ず決着しない、ながらにして必ず決着している・・・・ということです。

けれど、ひとりひとりが、行き着かねば行き着けない、という命があるのでしょう。


必死の希求がなければ、自分の場合、体験したことを理解することが難しいことを得ていました。それが何かは知りませんでしたが、本気の本気であり、嘘偽りなく切実に希求した・・・それは、意識されないところでそのようであったけれど、そのようにあることが、恥外聞なく大事であることを得ていました。それは、とても幸いなことでした。


> 最初の頃と随分変わりましたね。
> あの初々しさというか、可愛らしさが消滅の表現ですね。ウビさんの影響なら、ペン(お尻を叩く音)ですね。



ここの掲示板でのゲストブックは、自身のそれまでの準備が終了したところで、ちょうどよく、同時に開始されました。自分にとっても、どういうわけか成長記録です。上手く言えませんが、それはよく知らされていた・・・経緯があるとしても(わかりにくいかも知れませんが、)経験への理解が開示されるための希求は、とても逼迫した、切迫した、一歩外せばもう進めない、ほどの決死の、大事な「表明」であり、道のりです。大袈裟でなく、そのように。今も、言葉にするときはそのようです。それは、希求し合って出てくることができる、との感じです。


>あのhatoさんも大好きでしたので(笑い)。


じつはhatoちゃんは、結構な、おやじキラーです。(のりさんは、おじさんでしょうか?)今も、とあるおじさんが近いうち、我が家の珍獣と一緒に、田舎饅頭を作る予定です。

けっこうまだまだ可愛いじゃんと、鳥界隈では評判です。

冬の空です。

No.3981 - 2012/02/20(Mon) 22:19:15

Re: 説明概念 2 / のり
アハハ♪、空気読みませんので、怒られるんじゃないかと少しヒヤヒヤでした。良かったです。
のりは53才の空気読まないりっぱなおじさんです。
> じつはhatoちゃんは、結構な、おやじキラーです。
→キャハハ、やっぱり♪ そんな感じがしてました!

> 世界のあらゆることに、人は正真正銘、依存することができません。それはもう、決定的な理解としか、いうことができませんね。> けれど、ひとりひとりが、行き着かねば行き着けない、という命があるのでしょう。
→はい、一人ひとりもその世界みたいですね。
あれから意識の研究をしていく内にそんなモノなくなって、
あの体験みたいのを何十回かしている内に出入り自由みたいになってきました。なんだか知覚があるだけ私の場合、感覚派で理論とか理解が疎かでしたので今頃、仏教とか勉強し始めています。


>
>
> 必死の希求がなければ、自分の場合、体験したことを理解することが難しいことを得ていました。それが何かは知りませんでしたが、本気の本気であり、嘘偽りなく切実に希求した・>
> ここの掲示板でのゲストブックは、自身のそれまでの準備が終了したところで、ちょうどよく、同時に開始されました。自分にとっても、どういうわけか成長記録です。上手く言えませんが、それはよく知らされていた・・・経緯があるとしても(わかりにくいかも知れませんが、)経験への理解が開示されるための希求は、とても逼迫した、切迫した、一歩外せばもう進めない、ほどの決死の、大事な「表明」であり、道のりです。

No.3982 - 2012/02/21(Tue) 15:22:50

Re: 説明概念 2 / のり
ぎゃ〜、途中で投稿されてしまいました。おじさんだ!
文章が変なところから続けます。

なんだか知覚があるだけ みたいです。あの体験も知覚が作っているだけみたいです。知覚ですので主体も実体もないみたいです。この知覚も勝手で自動的にイメージや思考を製造するマシンのようで手が付けられません。ひえ〜!
私の場合感覚派で、理論とか理解が疎かでしたので今頃、仏教とか勉強し始めています。

> ここの掲示板でのゲストブックは、自分にとっても、どういうわけか成長記録です。経験への理解が開示されるための希求は、とても逼迫した、切迫した、一歩外せばもう進めない、ほどの決死の、大事な「表明」であり、道のりです。
→うっ、凄い、息ができない!経験への理解の開示、できます範囲で徒然なるままに、ご教授のほどお願いします。

以上。

No.3983 - 2012/02/21(Tue) 15:53:29

Re: 説明概念 2 / hato

こんばんは。

> ぎゃ〜、途中で投稿されてしまいました。おじさんだ!
> 文章が変なところから続けます。


もう。なんてすてきなの、て思ってしまいます。

空気を読まないおじさんの、のりさんは世界の人気者でしょう。そういえばubik0101さんが、「剣道をやる人は、皆かっこいいんだよー」て言ってました。


> なんだか知覚があるだけ みたいです。あの体験も知覚が作っているだけみたいです。知覚ですので主体も実体もないみたいです。この知覚も勝手で自動的にイメージや思考を製造するマシンのようで手が付けられません。ひえ〜!
> 私の場合感覚派で、理論とか理解が疎かでしたので今頃、仏教とか勉強し始めています。



自分がこのように、のりさんとお話させていただけるのが嬉しいです。いつもこちらこそ、ありがとうございます。と思います。のりさんは稀なお方では、と思います。

言葉で見るとき、おそらく、感受、との感じがありません。自分としては、そのようです。


> > ここの掲示板でのゲストブックは、自分にとっても、どういうわけか成長記録です。経験への理解が開示されるための希求は、とても逼迫した、切迫した、一歩外せばもう進めない、ほどの決死の、大事な「表明」であり、道のりです。
> →うっ、凄い、息ができない!経験への理解の開示、できます範囲で徒然なるままに、ご教授のほどお願いします。



その経験は、殆ど意識に上ることもないのに、圧倒的でありながら、「言葉にすることができる」ことを人は知ります。膨大な圧縮データを解凍する、ことも、その通りであることを得ます。誤りなければ紛れもない、その言葉にある、ことを得るのです。・・・とのことでしょうか。ただ、そのようです。ご教授とんでもありません、畏れ入ります。

それはとくにほかでもないこの日常、この自分に。ということが、明らかです。

2月はバレンタインとのことで、可愛いお菓子を、いただきました。

No.3984 - 2012/02/22(Wed) 23:23:10

Re: 説明概念 2 / のり
> もう。なんてすてきなの、て思ってしまいます。
→アハハ!ありがとうございます。
> 「剣道をやる人は、皆かっこいいんだよー」
→皆って事はないでしょ、皆って事は。

あっ、面をカブッテれば、、中が見えない。。。
かっこいいかも?!
パパさん剣道です。

> 自分がこのように、のりさんとお話させていただけるのが嬉しいです。いつもこちらこそ、ありがとうございます。と思います。
→キャーhatoさん、素敵!自作自演でも、欲望、hatoさんに捕らわれて一生。もがき続けたい。

> ただ、そのようです。ご教授とんでもありません。
→う〜ん、何をどのように了解されたのでしょう?
勉強させて頂きたいですね。
私の場合、解釈ができなくて、困ってしまいます。
知覚しかない、主体のない知覚。すると、知覚が知覚を見始めて、知覚の対象は意味がなくなっちゃいます。サラサラサラ。 う〜解釈のしようがないです。

あ〜、私が登場しますと、掲示板の品位がハチャメチャになっちゃいますね。すみませんでした。

ところで閲覧者さんはHP止められたのですか?勉強させて頂いたのに。

No.3985 - 2012/02/24(Fri) 13:57:44

Re: 説明概念 2 / hato

> > 「剣道をやる人は、皆かっこいいんだよー」
> →皆って事はないでしょ、皆って事は。
>
> あっ、面をカブッテれば、、中が見えない。。。
> かっこいいかも?!
> パパさん剣道です。


> →キャーhatoさん、素敵!自作自演でも、欲望、hatoさんに捕らわれて一生。もがき続けたい。


なんか、くすくす笑えます〜。。。(≧∇≦)


> →う〜ん、何をどのように了解されたのでしょう?
> 勉強させて頂きたいですね。
> 私の場合、解釈ができなくて、困ってしまいます。
> 知覚しかない、主体のない知覚。すると、知覚が知覚を見始めて、知覚の対象は意味がなくなっちゃいます。サラサラサラ。 う〜解釈のしようがないです。



この世界はどこまでも、それ自身は変化せずに、人を変化させる・・・成長させる・・・・

なので、世界のあらゆることに、人は正真正銘、依存することができない、ということです。

そして尚、これは、なぜ、これ?なんでしょう。


この掲示板ではゲストブックのはじめから、ubik0101さんによって、一等はじめに謳われています。もうそれは明らかに。

了解とは、それはこの世界に、眼耳鼻舌 心意 よりほかのものがあるかも知れない・・・もっとほかのなにかがあるかもしれない・・・というあたりにもはや、彷徨うことができないことです。それに触れたとき、本当の意味で、人は世界を超えます。ほかでもない、その問いに留まれるか。偽りなくそのようでなければ意味はありません。そうでないとき、その人は、あらゆるそれ、以前の問いに巻き込まれているでしょう。もはやそれは、欲望でも、執着の所以にでもない・・・「これは、なぜ、これなのか?」決定的な問いです。

世界は必ず決着しない・・・それは増えも減りもしない触媒のようなものです・・・ながらにして、必ず決着してる・・・・それは、人が世界を超えたなら、決着せざるを得ないのです。

そのとき、この日常は、疎かにされることもなく、生きることに、その意味で、淡々と取り組まれるのではないでしょうか。そのほかの意味にない、ということです。


本当にコンマ・・・の差、微妙な差が、雪が別所に落ちないか否かの差です。隠されてることはなにもない、この日常に明らかなのだけど、けれどいつか本当にそれを探究し、それを経験する、との表明がなければ、あらぬ辺りを彷徨い、この日常はその人生のためだけに浪費されるかも知れません。もちろん、もちろん、そうしたことの総てが滋養になるとして。根本の志向と、人の性質が違う向きに働くとき、困難であることは明らかです。たとえば、プライドがプライドとしてあるなら、不要です。自尊心は解体され、よい質に向かわなければならないでしょう。そのとき、人はほんとうに柔らかい、しなやかな、表現となることができるでしょう。

素直ということは、太初のときより言われます。明らかに、最も困難なことなのでしょう。

人それぞれに経験され、尚、言葉で表明されることが自己を明晰にし、自分に誤らせないために、なにより大事です。言葉に拠らなければ人は必ず、誤るでしょう。それほど、意識。この世界の知覚とは、それ故に困難であり、チャレンジを提供してくれると言えるのです。

結婚した頃、ubik0101さんがぽつり、「きみは向こうから。ぼくは、こっちから。」と言いました。それについて表現されることは、たとえば双方の側から起きることによって、判明しやすくなることがあるかも、知れません。


> あ〜、私が登場しますと、掲示板の品位がハチャメチャになっちゃいますね。すみませんでした。


ぜんぜん。のりさんは、なにを言っても清潔な感じが漂います。それは、もう。お人柄が出ますね。


> ところで閲覧者さんはHP止められたのですか?勉強させて頂いたのに。


図書館閲覧者さんは、ひみつのアッコちゃん。です。
ので、のり、さん、よかったらメールください。


midorinoharappaあっとまーくgol.com


※あっとまーく を、半角 @ にしてくださいね。

      (=´∀`)人(´∀`=)

No.3986 - 2012/02/25(Sat) 12:51:16

Re: 説明概念 2 / のり
今回は特に、というより少しお話しさせて頂きたいな、と思い投稿したのです。

> なんか、くすくす笑えます〜。。。(≧∇≦)
→え〜、勇気出してコメントしたので、少しドキドキして頂けたら良かったです。

> ・・成長させる・・依存・・
→はい、成長、依存、昔、良くお話しさせて頂きました。

> そして尚、これは、なぜ、これ?なんでしょう。
→はい、なぜ、眼は眼なんでしょう?
アハハ!

> 了解とは、それはこの世界に、眼耳鼻舌 心意 よりほかのものがあるかも知れない・・・もっとほかのなにかがあるかもしれない・・・というあたりにもはや、彷徨うことができないことです。
→これっ、ちょっと変人的なのですが、最近の、のりの状況では、ムンッ!ってやると何かが止まる、消える?のです。そして何かが静まり返る。思考は普通にできる。
グッーとコレの後ろに行くと、この一般的世界から抜け出す、軽く、静かでイメージも解釈も出てこれない。何かが静まりかえるのですがそれが何かが分からない。
この静まりかえる何か?に心当たりはありませんか?
眼耳鼻舌はある。でも心意って、あるのでしょうか?
なんて彷徨ってるみたいです。

> 結婚した頃、ubik0101さんがぽつり、
→そうでした。結婚されていたのでした。忘れてました。
ごめんなさい。
<不可逆 >更新されていたのですね。読ませて頂きました。
ーーここで再び逆に戻り、それを世界に照らし合わせる堂々巡りは起こりません。物事を追って関係付けるのは、世界の、ことさら自我の作用であることが理解されます。ーー
→う〜、行ったり来たりしてる。まずい。
ミンナこっちに来たままなんでしょうか?
感覚的にはどうなのでしょう?
ちょっと気になります。

では、

No.3987 - 2012/02/28(Tue) 14:28:53