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記事No.3994に関するスレッドです

のり、さん。続きです。 / hato

>今回は特に、というより少しお話しさせて頂きたいな、と思>い投稿したのです。
>→え〜、勇気出してコメントしたので、少しドキドキして頂>けたら良かったです。


えーっ!ドキドキ・・・はしませんでしたが、なにかうれしい〜〜。

こちら夫婦、空気読まずにすみません。お話、とてもありがとうございます。


> 了解とは、それはこの世界に、眼耳鼻舌 心意 よりほかの> ものがあるかも知れない・・・もっとほかのなにかがある> かもしれない・・・というあたりにもはや、彷徨うことがで> > きないことです。
> →これっ、ちょっと変人的なのですが、最近の、のりの状> > 況では、ムンッ!ってやると何かが止まる、消える?ので> > す。そして何かが静まり返る。思考は普通にできる。
> グッーとコレの後ろに行くと、この一般的世界から抜け出> す、軽く、静かでイメージも解釈も出てこれない。何かが静> まりかえるのですがそれが何かが分からない。
> この静まりかえる何か?に心当たりはありませんか?



自分のことでいえば、静か、との意味では、通常そのようにあります。ことさら考えたり、書こう・・・と奮起しないとき、或いは日常、とくにイメージしたり、考えることもありません。その静けさは、静けさと思われることもないかも知れません。日常、そのようにあります。


> 眼耳鼻舌はある。でも心意って、あるのでしょうか?
> なんて彷徨ってるみたいです。



心意、というところは、のりさんの言われる通り、眼耳鼻舌 ・・・(ここで身体の意を得るとして、)感覚と、思考、感情・・・記憶された事情・・・世界の機能が働くことによって、なにか自分と思われ、意識され意図される・・・・ことを、心、と呼んだりしますね。それで、念のため自分は、基本の働きと、そこから派生する心と、意、はすこし離して書きます。意識は、焦点を当てる機能としてあります。これらは、ある・・・ない・・・の範疇のこの、世界です。

のりさんは、無我の頂き・・・のような状態を、垣間見ていられるのかも知れません。ubik0101さんは、「人無我・・・法無我を通じての非思量・・・かな・・・」と。

無我を深く進めて尚、「無我の骨頂」でないところに進むことは、容易ならないと思います。のりさんが稀な人、と思うのはその故です。なんと清清しい人かと思うのです。人が総じて潔白であることは、道を進む上で贈りものではないでしょうか。と思います。

そしてここで尚、進むことができると思います。

この掲示板で表現されるところの、自己。とは、たとえば、「なにかを考えるでない・・・考えないでもない」、すなわち、・・・・思うに非ず・・・思わずに非ず・・・との非想非非想・・・である無我の頂き・・・を超えて尚の、その自己です。この掲示板ではこれを通常、自己、と表現しています。(※ただし、止むを得ず話の展開上、多少無理でもこの言葉を充てることもあります)

ここでその自己に進むためには、知覚の範疇・・・この世界から飛翔すること、です。


> →そうでした。結婚されていたのでした。忘れてました。
> ごめんなさい。



えーっっ!!!謝らないでください。とんでもはっぷんびっくりしました。

そうですね、結婚といえば、。

結婚してから、(ubik0101さんの)結婚てなに?とubik0101さんに聞いたら、

「ここも、一緒。向こう(人生を終えてから)も、一緒。」

ここもあそこ・・・も、どこに行くもないとして。きっと誰にとっても、本当はそうあれば幸いでしょう。この世界は、人が依存できない道具であるとしても、人の大事な表明です。方便としてこの身体、この事態、なぜ、これにある必要があるのか?として、

人がそれであるとき、人生は奇妙にも、その意味で疎かにできないことを得ます。ここでできないことが、死んでからできるようにならないでしょう・・・というよりもちろん、雪の落ちるところは無記と言い・・・・ですが、ここは要注意です。たとえば、こうした掲示板上と日常が乖離していたら、気の毒なことです。

探究中は、捨てるもの、放たらかしがたくさんです。ですが、生の表現、それはまるごととして大事、ということはいつか、知らされざるを得ないようです。


> <不可逆 >更新されていたのですね。読ませて頂きました。

不可逆。一昨年でしたでしょうか。何を書いたか、忘れてました。書き出すことはことに、確かな表明です。出来る限り注意深く、大事にします。でも、すぐ忘れてしまうのです。ありがとうございます。


>→う〜、行ったり来たりしてる。まずい。
>ミンナこっちに来たままなんでしょうか?
>感覚的にはどうなのでしょう?
>ちょっと気になります。


もちろん、いつでも世界の道具を用いることは可能です。けれど、先ずは、後戻りができないところまで進むことが、誰にとっても先決でしょう。「いいわるい、ではない、善いを」ということは、業や行・・自我無我・・・・とのあたりを抜け、進み行き、その上で意志が起きてなされるように。自己で行われる、のです。

このとき、理解は、それを表出すると意図したときに、起こってくることができるでしょう。ふたたびここでも、感受、との感じはありません。それはつと起こります。さまざまな教えや、(自分はよく知りませんが)経典は、とある不可思議に舞い戻り・・・・意識されずとも、折々、自由に取り出せることを得るのではと思います。それまでは、言葉に学ぶことが大事と思います。知覚とは、差を見ます。それは、方便として用いることができるのではないでしょうか。


のり、さんは道を誤っていないと思います。のり、さんにしかできない極上の道ではないでしょうか。

明日、東京あたりは、雪だそうです。

No.3988 - 2012/02/28(Tue) 21:48:27

Re: のり、さん。続きです。 / hato

いま、ふいに眼が覚めて、正確でない表現があると気付きました。ごめんなさい。

> 自分のことでいえば、静か、との意味では、通常そのようにあります。ことさら考えたり、書こう・・・と奮起しないとき、或いは日常、とくにイメージしたり、考えることもありません。その静けさは、静けさと思われることもないかも知れません。日常、そのようにあります。
>


静か、との意味で通常そのようにある、とのことは、そのようです。それは自動的に、或いはふと見るときにそのような状態です。目を覚ましているときに気がついてるように、意識されるものごとが、日常にまったくないことでは、ありません。そうした動きがないとのことではありません。

すこし違う話かも知れませんが、これ、がない経験をしたとき、それがある、ことを見ました。

No.3989 - 2012/02/29(Wed) 04:14:06

Re: のり、さん。続きです。 / のり
↑上の題、<のり、さん。好きです。>って読んじゃって、
ちょっとドキドキしました。アハハ!幸せなオジサンだ〜!

> 自分のことでいえば、静か、との意味では、通常そのようにあります。ことさら考えたり、書こう・・・と奮起しないとき、或いは日常、とくにイメージしたり、考えることもありません。
→はい、静かというより、水を打ったように静まり返ってる。みたいな感じです。具体的には、実験してみましたが、このイメージができない。イメージできないみたいです。思考はできるのですが何かをイメージしようとしてもできない状態です。
不思議です。

> すこし違う話かも知れませんが、これ、がない経験をしたとき、それがある、ことを見ました。
→わ〜明け方までありがとうございます。
hatoさん、こういう表現好きですね。禅問答みたいです。
同意です。
hatoさんは微妙なところの感覚・認識がもの凄く繊細ですね。

> のりさんは、無我の頂き・・・のような状態を、垣間見ていられるのかも知れません。ubik0101さんは、「人無我・・・法無我を通じての非思量・・・かな・・・」と。
> 無我を深く進めて尚、「無我の骨頂」でないところに進むことは、容易ならないと思います。

→アハハ、止めてくださいね。難しい言い回しと嬉しさで、訳わからなくなります。どういう意味でしょう。
<非思量・非想非非想>面白い言葉ですね。この絶対無の中で言語もイメージも出てこれない状態。ピッタリですね。

> そしてここで尚、進むことができると思います。
→ヒエ〜、hatoさん絶対、鬼の教育ママタイプ!?

> 人がそれであるとき、人生は奇妙にも、その意味で疎かにできないことを得ます。ここでできないことが、死んでからできるようにならないでしょう・・・というよりもちろん、雪の落ちるところは無記と言い・・・・ですが、ここは要注意です。たとえば、こうした掲示板上と日常が乖離していたら、気の毒なことです。
→アハハ、乖離はしてない、けど、全部いい加減だ!
と言いますか、重み付けがないみたいです。多分、死んでからも同じと思ってます。

> 不可逆。一昨年でしたでしょうか。何を書いたか、忘れてました。でも、すぐ忘れてしまうのです。
→そうそう、すぐ忘れてしまいますよね。3歩、歩くと忘れちゃいます。
すっごい大切な事を思いついて、<あっ、こうなんだ!人類の大発明だ!>とか思って感動していて、ちょっと窓の外をちらっと見ただけで、<あれっなんだったっけ?>ってなっちゃう。しょっちゅうです。
アハハ、これじゃ病気ですね。hatoさんはそこまででは無いですよね、失礼しました。
お二人が結婚していた事もすぐ忘れそう!

> >感覚的にはどうなのでしょう?
> >ちょっと気になります。
> 業や行・・自我無我・・・・とのあたりを抜け、進み行き、その上で意志が起きてなされるように。自己で行われる、のです。

→少し具体的にしますと。こっちは
絶対無の中で言語もイメージも出てこれない静まり返った状態。意識、との感覚はなく、丸出し・あからさま。体感は宇宙、の感じです。肉体感覚もその他あれやこれやの概念もなくヒタスラ軽い。ですので多分、死んでもこんな感じかな?と思ったりします。。出入りしているうちにコッチが常態になってしまいました。
でも、ちょっと前に入りますと、ジワッとした感じの世界。業が業をしている世界みたいです。
ご飯は凄く美味しい!
法身?知覚のマジック?それで最近仏教を勉強し始めました。

> 明日、東京あたりは、雪だそうです。
→昨日は、吹雪♪吹雪♪氷の世界〜♪でした。

暖かくなりましたら、一度お伺いしたいです。

では、

No.3990 - 2012/03/01(Thu) 14:47:02

Re: のり、さん。続きです。 / hato

のり、さ〜ん。おはようございます。(^∇^)

ubik0101さんが続けてくれてるので、こちら簡単にしますね。いつも、ありがとうございます。


> ↑上の題、<のり、さん。好きです。>って読んじゃって、
> ちょっとドキドキしました。アハハ!幸せなオジサンだ〜!


まことにのう。。。

そういうの、とてもすきです。

> →わ〜明け方までありがとうございます。
> hatoさん、こういう表現好きですね。禅問答みたいです。


書いたことでなにか言い足りないとか、注意が行き届かないと、風から鷲づかみのように、叩き起きます。自分でびっくりします。夜中いきなりガバと目がさめて「あっ!違う!」。と気付くのです。のり、さんに共感頂けそうです。

表現としては、いつもそれしかなかった、との感じでしょうか。

> と言いますか、重み付けがないみたいです。多分、死んでからも同じと思ってます。

自分がなにかについてとても書くとき、とくに対象が限定されないことがあります。なぜ今、これ?と思うこともあるかも知れませんが、ただ、やはり自分として、書くことは、どうしても、折々に必然でしかないとの感じです。それは、あとでゆっくり、気付かれることが、多いのです。

それ、に至るとき、理解は自ずと起きてきます。不可逆、とは、それ、ということを、この世界の感受にことさら拠って確認しようとすることがもはや、適切にないということでもあります。

いいわるい・・・すききらい・・・たとえば、おもい、かるい・・・そうしたところに「無関係に、」たとえば大事なことは、ただ大事なこととして、あるようなことです。たとえばその静けさは、世界のなにかに無関係に、そのようにあるでしょう。大事なことも、同じくそのようです。

それは理解として起きます。感受、その状態への嗜好を抜けて、正真正銘普通の、オッサン、になるときが、世界の要素を十全に使われているときです。ここで普通の、とは、普遍が通るとの意味です。

言葉は、同じくこの世界に、無関係に関係できる、不思議の国の杖、です。人がそれにあるとき、言葉に直接学ぶことが、できるのです。


> > 明日、東京あたりは、雪だそうです。
> →昨日は、吹雪♪吹雪♪氷の世界〜♪でした。
>
> 暖かくなりましたら、一度お伺いしたいです。



キャー!!!!ま・じ・でー!!! O(≧∇≦)O

のり、さんいつでも、大歓迎!です。
(ubik0101さんが、池作りで一緒に地獄を見ましょう、と言ってます。。)

部屋、きれにしなっくちゃー!!!!!

絶対ですよ!

春よ、来い!です。


> > 明日、東京あたりは、雪だそうです。
> →昨日は、吹雪♪吹雪♪氷の世界〜♪でした。


のり、さん東京にいらしたとは、知りませんでした。
そういえば、越してくる前に、新宿は都庁のあたりをubik0101さんと、歩きました。

No.3994 - 2012/03/02(Fri) 09:34:34

Re: のり、さん。続きです。 / のり
ウビさんの厳かな投稿のあとは書きにくい。

> ubik0101さんが続けてくれてるので、こちら簡単にしますね。
→う〜〜、あ〜、ダメだ。
ウビさんの文章、何度読んでも入って来ない。
三秒しか記憶がもたないから、読み進むと前の方忘れちゃう。平仮名にも仮名をふって頂きたいぐらいです
(アハハ!)

そもそも私は道の経緯が違うのです。
皆さんみたいに文系じゃないのです。

勿論、理科系でもない。


はい、体育会系です。
アハハ、思いっきり自分の無知の正当化です。

だって運動の黙想でイッちゃって、そのあとの瞑想では
<まず整体手術>
深呼吸をして心を静めていると
ゴー、キリキリ、カリカリ、頭の中で音がする。
首を振って出直して深呼吸をして心を静める。
またゴー、キリキリ、カリカリ、、放っておいたら
ガリガリ、ゴリゴリ、ズギャギャギャギャーン!
うお〜、ギエ〜、ひえ〜、!
頭の中に手を突っ込まれてかき回されている感じ。
まさに頭の中のタイ式マッサージか整体です。

<その次が多段階ロケット>
ガリガリ、ゴリゴリに慣れたころ
ズドーン、シュー、ズドーン、シュー、
自分の中から自分が飛び出す。
シュー、は何かジェットコースターの中を通って行く感じです。これが三回か四回続き静けさに落ち着く。
まさに魔境の世界です。
これがなくなったころ出入り自由になった感じです。
ですので、理解・解釈・了解の余地がありませんでした。
<わかったか?これがこれが事実じゃ〜!
はい分かりました、お代官様〜!>という感じです。

世界が自分、自分が無い、等表現はいろいろでも
自己同一化できるものが何もない、自分が、そう、であればいいのかな?とか思います。徹底となると、もちょっと大変でしょうが。
対象はその正体を見極めれば、消える?のではないでしょうか。

> 風から鷲づかみのように、叩き起きます。自分でびっくりします。夜中いきなりガバと目がさめて「あっ!違う!」。と気付くのです。。
→はい、共感です。枕元にはいつもメモ帳が置いてあります。見直した試しがないのですが。
<風から鷲づかみ>凄い!こういう表現があるのですね。

>それは、あとでゆっくり、気付かれることが、多いのです。
→あっ、これ、普段の生活でもあります。理屈とは真逆なのにどうしても<これ>って時。あとでゆっくり生活の中で気付かされます。アハハ、全然違うかも?!

> 正真正銘普通の、オッサン、になるときが、世界の要素を十全に使われているときです。ここで普通の、とは、普遍が通るとの意味です。
→普変、普通に変なオジサンです。

> (ubik0101さんが、池作りで一緒に地獄を見ましょう、と言ってます。。)
→ウビさんが留守の時にしようかな?この前も畝作りで地獄を見ましょう。でした。ウビさん地獄が大好きみたいです。

やっぱり暖かい春の日差しの中、釣りでも教えて頂きたいです。
アハハ、ウビさんの厳かな雰囲気だいなしかも?
失礼しました。
では、また暖かくなりましたら。

No.4000 - 2012/03/05(Mon) 16:41:14

Re: のり、さん。続きです。 / hato

> はい、体育会系です。

極上の、体育会系でしょうね。

人が総じて潔白である、素直であることに、人は最も助けられる・・・・と。
ほんとうに思いますね。

> <まず整体手術>
> <その次が多段階ロケット>


自分は以前、とても時間があったとき、本当は止められていたのですが、瞑想をどこかで聞いていて、してみたら、ある日、首が、外でも中でもないところからの鷲づかみで勝手に動き出して。あらストレス解消かしらと思って、お風呂に入ったときなどにしばらく楽しんで・・・・やめてしまいました。ふと、思い出しました。


> 世界が自分、自分が無い、等表現はいろいろでも
> 自己同一化できるものが何もない、自分が、そう、であればいいのかな?とか思います。徹底となると、もちょっと大変でしょうが。
> 対象はその正体を見極めれば、消える?のではないでしょうか。


たとえばこうして書くとき、とくに誰かや、ものごとを持続して対象として意識することは、難しいのです。ですが、やはり刹那を垣間見るように、課題があるとき、それは表面化せざるを得ないでしょう。人生は、その意味で消失するべきものでは、ないからです。自己は、対象がある・・・ない・・・・とくに係らず、その自己です。

ubik0101さんは、世界は対象にならないこの日常です・・・と言ってます。

そして尚、「世界は自分」・・・とは、もちろん、のり、さんの意図していない意味合いで言われることも、多いかも知れません。のり、さんは誤ることはなくても、読む人のために。なので、やはり言葉で表現するときは、注意深くされることは、大事、と思いますね。

言葉は、どのような会系の人々にも、適応可能・・・と、思われます。言葉でみるとき、言葉が教えてくれる、と思います。

> > 正真正銘普通の、オッサン、になるときが、世界の要素を十全に使われているときです。ここで普通の、とは、普遍が通るとの意味です。
> →普変、普通に変なオジサンです。


ひ〜。。わらひます〜〜〜。。。


> では、また暖かくなりましたら。

ありがとうございます。

ふたりで楽しみに、お待ちしてます。

No.4001 - 2012/03/06(Tue) 01:11:12