まず人は、自我がない・・・その自我の構造・・・を了解する体験をします。そのことは、その人に起こることですが、そこでは自分とか、誰とか、総ての人がどうだか、そんな特定の個別のことの判断、認識がされてるわけではありません。
それが起こる人の状態は、ここでは世界の総活動、と呼んでいます。さまざまな体験があるようですが・・・意識と無意識が繋がり、ふだんは見えない自分の中も明るく見通せ、世界も明るく・・・それまで失ってきた総てが活動してるのを見ます。
たとえば、優も劣も、善も悪も、否定も肯定も・・・総てが活動してるから、その極端にも、その中間にも立場を見いだせない・・・とくに特定の個別のことでもない、その反対もない・・・中道・・・縁起、とも呼んでいます。それは、自我は虚構、ということを見極める、その状態です。けれど、その状態そのことが、いわゆる真の自分、自己ではありません。
続きます。
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No.3991 - 2012/03/01(Thu) 20:55:59
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