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記事No.4048に関するスレッドです

思考の裏。 / ubik0101
その頃はずっと、なにか思考が起きるその思考の裏、その思考の原因を探っていました。夜。うつ伏せになって布団に寝て、なにか思考されることをノートに書きながら、数時間かけてその思考を奥に奥に深く辿り、思考の前提を見つける。そのことで毎日のように発見があり、幸福感をもたらせてくれました。

そんなあるとき、この幸福感は、もしかして優越感かな?という疑問が生じました。それからはまったく、幸福感を感じることもなく。だからと言って、そのことに寂しさも感じず・・・と、いうことは感じたのですが・・・あいかわらず、思考の背後を辿り続けていました。

そして、ふつう思考は複雑に絡んで現れるのかもしれませんが、もう空中に筆で文字を書くように、一筋の思考しかなくなっていました。そこで、その思考の背後、裏ではなく、その思考してる、その自分の裏を振り返ることができたのだと思います。

続きます。

No.4045 - 2012/04/16(Mon) 14:31:20

Re: 思考の裏。 / ubik0101
そこには、なにもありませんでした。なにもないという思考があるわけではなく、空っぽ、ただないのです。思考を見てる中心が、ない、と、 思考もないのでした。 布団にうつ伏せになって見える、ぽっかりと部屋の空気の霧が晴れ、鮮やかな畳の編み目だけがありました。とても清々しい気持です。

しばらくして、そのことを認識すると、いつの間に日常の意識状態に戻っていました。たぶんそれはその、ない、を確認しようとしたからでしょう。でも、ない、は探しようがないんだな、と。そのことに妙に納得しながらその経験も忘れ、また探究の夜が続きました。ということを思い出しました。

おそらくなんですが、優越感、劣等感とは。ほかの人とか社会、世間、を空想して、その空想から見た自分との比較の関係から起こるのではないでしょうか。そのように空想することは、すでに動きであり静かではなく、偏りで、差を生じていて、そのことで優越感、劣等感が、生起し得るのではないでしょうか。

続きます。

No.4046 - 2012/04/16(Mon) 14:34:07

Re: 思考の裏。 / ubik0101
そんな対象になってる、ほかの人、社会は空想です。でもほかの人々は実際にいるし、その優越感、劣等感も、実際にあるかのように思えるのかもしれません。

また、たとえ生まれつき絶海の孤島で1人あって、優越感、劣等感を一生感じることがなくても、優越感、劣等感を解決してるわけではないので。その問題を意識できる、ことさら空想の人と人の間にいることが必要になっているかもしれません。

いつも言うのですが、みんなが同じような空想をしてるので、その空想の社会を事実と感じて、話したり、あるいは賛同したり、あるいは反抗、1人あろうとして拒否したりもできるということもあります。 でもそれも、そのような、空想の社会の様相です。

では、どうすればいいのでしょう。それはなにか日常生活してることにあって、あれこれ考えてるその自分の状態を、探究することしかできないのではないでしょうか。その思考がなんであれ、たとえば、ああ、どうして社会はこうなんだろう?ああ人生ってなんだろう?と思考してるその自分は、何?

続きます。

No.4047 - 2012/04/17(Tue) 15:52:58

Re: 思考の裏。 / hato

ノンノンは、こんなに大きくなりました。

すっかり、お姉さんの貫禄です。

なんてチャーミングな、ノンノン。

どの仕草も表情も、絵になる美人さんです。

(でも、お兄さんの可能性も、ありです)

No.4048 - 2012/04/17(Tue) 20:48:41

Re: 思考の裏。 / hato

ノンノンが寂しくないように、と、ふたりで考えて

2月始めの寒い頃、寒い地方から、
はるばる、我が家に来てくれました。

名前は、チュリル に決めました。

ホワイトフェイス シナモン調ですが、
ほんのり淡い、薄地の羽根色が可憐です。

シャイな人見知りで、キュキュ、と叫んで、
こわごわ、人の手をかじりにきます。

なんてキュートなんでしょう。

赤ちゃんから、まだ、すこしのところ。

ゆっくり、ゆっくり、慣れていこうね。

No.4049 - 2012/04/17(Tue) 20:50:48

Re: 思考の裏。 / ubik0101
たとえば、(a)ほかの人の言動を見て聞いて、その人はどのような人?その真意は何?とかを探ることがあるかもしれません。でも、どうして人間関係などを探ることが、自分を考える、自分を知る、ことになるのでしょう。なるとするならば、そこには意識されないまま、たとえばみんな同じ、とかの同一化があるかもしれません。

そうでなく(b)探究を、この自分に適応する。この自分に向けるのです。なにかを考えてる自分は、どういう人?どういう状態?その真意は?これはいわば(a)とは逆方向の思考ですが、(a)だけでは言葉による思考という両刃の剣を片方にだけ向けてるのです。十全に機能させてると言えないのです。

ところで、ふつう思考は、なにかもの、ことについての思考です。思考は、思考する人を思考することはできません。でも、人には生活があります。その日常があります。そこで、思考は思考者を思考できないけど、思考してる自分の状態は感じることができます。思考がないということも自覚できるのですから、その自分を探究できないわけではないのです。

ただ決して自分のことを棚上げしないで思考する決意。姿勢。大事なのはそれだけといえば、それだけです。なにか難しい哲学の、宗教の命題ではなく。誰かが言ったことではなく。この自分に、ふつうの日常に自発的に起こる思考でなくては、それは困難だと思います。いまここから、この自分の思考から、探究は始まるのです。

No.4050 - 2012/04/18(Wed) 19:49:48

Re: 思考の裏。 / hato

では、思考が苦手な人は、正しく目覚めることは不可能でしょうか?

それは、ある意味、その通りです。

そして、ある意味、それだけでもない、ともいえます。

変化は、自分自身が、どうしようもなくそれを希求し、状態に集約されることで起こります。一点に収斂されるとは、雑多なほかを逸脱することであり、大変厳しいことです。たとえば存在と言葉、その表現に偽りないときに、起こる可能性を得ます。

真の自己探究、言葉を扱う事態を、時機ともいうことができます。自発的とは文字通り、人から、急かされても。あるいは(惰性を)堰かされても、できないのです。けれど、それでも微かに、僅かにでも、「これは、なに、」との本質が希求されるとき・・・世界はアドバイスをくれています。

自己を探究しなさい。

嘘をつかないでいきなさい。

自分を愛するように、隣人を愛しなさい。

これは、人が素直にあること、真の探究に進むための、修練です。正しい姿勢と志向、思考を扱うことへの、準備であり、果実です。


画像はubik0101さんから。

柿の木の新芽、たらの芽、ドクダミ、たんぽぽの花。昨日の天麩羅素材です。

No.4051 - 2012/04/19(Thu) 21:00:17

Re: 思考の裏。 / hato

自己を真に探究するとき、関係とは、最小限に、人生が投げかけているところで十分なことを学びます。いつまでも、ほかの人の言に纏わりついて検討したり、書物の解読に、長く傾倒することが難しいのです。

その自分にしか問題はないのであり、解決もないことを、腹の底から、知るからです。

「なぜこれは、これなのか、」

その問いに本気で集約される、非常な集中そのために、人生に多くの時があり・・・多くの経験がなされ・・・様々な感触が生きられます。ここでは、ひとり歩むことが重要であることを学びます。ubik0101さんは、日記を書き始めてから、20年を要したといい、自分は、その理解と表現のために、長いときを、ひたすらただ、生きていました。

サクサク軽い、美味しい春菜の天麩羅は、あっという間の完食でした。

No.4052 - 2012/04/19(Thu) 21:10:28