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記事No.4081に関するスレッドです

みどりの庭から / hato
みどりの庭の、その家は

ubik0101さんと入る前の7,8年間、たまに関係者が集うだけの、ほとんど、空き家でした。さまざまな事情が兼ね合い、わたし達夫婦が庭を見、住まうことになりました。

自分たちの所有でないながら、自由にしてよいその庭は、ごく小さな草原ともいえるような、懐かしい、緑の香りのする、原っぱでした。

宵越しのお金は殆どないに等しい、といって、貧しいと思うこともない生活は、折々に、調度よい仕事をして、まかないます。敷地や家を、整備し、庭菜を育み、調理して食べ、できるときは、とれた野菜や草花を、隣人に分けることも幸せです。よく散歩をします。ときどき、お茶を飲みに行きます。お金のないことを、不安に思うことがむつかしいので、それが少し気がかりなことと、言えるのでしょうか。

健やかなとき、病めるとき。

雨の日風の日、そして、晴れの日があります。

日々是、好日を。

3年間職安に通って仕事が見つからないと、一人暮らしの知人から連絡がきて、できたて乾燥ハーブと、ubik0101さんスペシャルを持って、出かけました。

No.4072 - 2012/05/13(Sun) 11:55:35

Re: みどりの庭から / hato

自己を、独り究明することに於いて、のみ

それを経験する、可能性があります。

ほかのだれかでない、

他の人と言い、募り、合わせ

検討され得ることで、ない

その自身、に入っていくことに於いてのみ

それは、起こります。

世界は教えてくれます。


  自己を、探究しなさい。

  嘘をつかないで、いきなさい。

  自分を愛するように、隣人を愛しなさい。


ほかでない、生そのもののことです。

一体、

ほかの何で、

在れることが

できるでしょうか。

No.4073 - 2012/05/13(Sun) 12:06:58

Re: みどりの庭から / hato

みどりののはらに

ゆきのような

まっしろい

たまごが、おちていた


いったい

だれの

たまごでしょう

だれも

それを

しりません

:ディック・ブルーナー



人は、知らない、のです。

それを生きるとは、

丁寧に、不可思議に、自己に生きることを、

自己に学ぶのです。



その虚空、その寂は

ことさら観じられることもない、けど変わりなく、

なにも失われる機敏もない、その日常に

総じてあるとき


どこか定規に、

だれか世間に、

推しはかれることもない

よい日、生きる、です。


仕事で出会ったった知人が、春先にふたりにくれた、
小さな草花が、咲きました。

No.4074 - 2012/05/20(Sun) 14:02:00

Re: みどりの庭から / hato

イソトマブルーという名前で、

桔梗科の野草だそうです。

No.4075 - 2012/05/20(Sun) 15:01:01

Re: みどりの庭から / ダークブルー
こんにちは。
いつもお花と美味しそうなお食事でいっぱいですね。
三年間の職安通いで職が見つからない苦しみは、最近ではわりとリアルです。
それらからの離脱、あるいは逃避?を求めて、自己の探求に入る人もいることでしょう。
「苦」
ご夫妻の歩みの始まりも苦だったのでしょうか。
そして、それは終わることがあるのでしょうか。
生きている色彩を感じるためだけに生きている。
きれいな写真は幸せそうに見えるけれども、幸せということもないのだろうか。
それとも、ただ幸せなんだろうか。

No.4076 - 2012/05/31(Thu) 19:48:58

Re: みどりの庭から / hato

こんにちは。

今日のこちらは、初夏のような日差しのお天気、春も半ばの様子です。

ダークブルー。深い深い濃青色でしょうか。フォントによく使います。

> 三年間の職安通いで職が見つからない苦しみは、最近ではわりとリアルです。
> それらからの離脱、あるいは逃避?を求めて、自己の探求に入る人もいることでしょう。


ダークブルーさんは、仕事を探していらっしゃるのでしょうか。あるいは、一般的に言われるところを述べていらっしゃるでしょうか。その知人について言えば、50代の女性ですが、実際はまだ多く余裕もあるところで、傷心してるような感じでした。

そうした社会的なところでの悲哀が、自己探求へと向かわせるかといえば・・・それは契機になり得るとして、けれど、無関係、といえるかと思います。社会的な意味合いの達成感や、不満足を補う探究というものは多く、それに結ぶことがないでしょう。まったく、別ごとと言えるからでしょう。ここにはどうしても、〜だから、そうなる・・・という因果性を継続的に見出すことは、むつかしいようです。そして、なんであれ、関係性のものごとから自己を究明することは、不可能と言わざるを得ないでしょう。といって人間関係やなにかを貶めることない・・・違うだけです。そして尚、それは、不可得です。

社会を生きる上での悲哀や鎮痛が、いっとき自己探求に向かわせる要因になるとしたら、大抵、それらを補う幸せな出来事があれば、充足されてしまうかも知れません。


> 「苦」
> ご夫妻の歩みの始まりも苦だったのでしょうか。
> そして、それは終わることがあるのでしょうか。



それは、起こるときは起こるしかないのでしょう。それは、獏たる予兆を満ちつつ突然、起きてしまいました。自身にとっては、どちらかといえば理解される過程に於いて、苦痛は役立ったように思います。

身体的な、または、精神的な痛みとは、感知の有無に係らず、生きることに歴然ではないでしょうか。どうしようもない苦、その痛みは痛みであり、けれど、取り除かれることがあるとしたなら、それでない偶像かも知れません。自己究明ということならば、苦は糧になるとしても、根拠になる必要は、ないかも知れません。


> 生きている色彩を感じるためだけに生きている。
> きれいな写真は幸せそうに見えるけれども、幸せということもないのだろうか。
> それとも、ただ幸せなんだろうか。


人がそのとき、幸いあり、ときに悲痛あり、なにか総てを孕みながら、その不可得です。それは、幸せなことかも、知れません。

あらゆる可能性のなかで、それを見ること。根本の偏りにありえない仕合せは、それらを感じるために生きることができるとして・・或いはそうでない、ほかのことがあるとして・・・なんであれ人はそれを、見ます。その不可得は、幸苦、ほかの何であれ、人と世界が増減なく、その総てそのときに、見ることはただそれとして起き、感じることの閾値をそこはかなく、一線の彼方に超えるかも知れません。

それは人が生に於いて、初めて、本当に学ぶことを一手に採るところと、いえるのかも知れません。


その知人とは、彼女の家や庭木話を聞き・・・他愛ない話をし、テレビがついてる小さな部屋の、小さなちゃぶ台でお茶を飲み、巻き寿司を食べました。しずかな会話と、美味しい巻き寿司を、楽しみました。

No.4077 - 2012/06/01(Fri) 10:54:39

Re: みどりの庭から / ubik0101
こんにちは。

まだ自分が子供の頃、父の弟が年若く死にました。それで「僕も死ぬの?」と母に訊ねました。「そうだよ」と聞いて《死んだら死んだということも分からなくなる》と恐怖しました。そのせいでしょうか。自分て何?なぜ、この自分がこの自分?という、ほかのことではなく、この自分に向かう疑問が生活の底にありました。

たとえば生活苦、また失恋、劣等感など、人間関係の心理的な苦は、いくら深刻でも、とある個別のことで、起こったり起こらなかったりのこと、また限りないことではないでしょうか。それを探れば、意識の性質を理解するためのツールとしては役に立つとしても、その解決を図ることが直接に、生きてる底にあるような、たとえば死、たとえば自分は何?の解決に結びつくのは困難に思えます。

そうでなく、自分は何?の解決・・・それを体験してもそれを自分の意識に教えるのは大変ですが・・・あれやこれやの個別のことではない、問題の解決です。そこはある意味、個別の問題は問題としての力を失います。たとえばですが、そこでは見えない隠された損得を根拠に善悪の判断、言動することはなくなります。

たとえばですが、その人間関係による個別のことは、自分は何?に関わらなくさせるための・・・人間関係の、辛い、苦しい、悲しい、腹立たしい・・・そいうことで自分で自分を自覚できそうな気がして楽しむ、そんな必要もなくなるとも説明はできます。それは思考の範疇と、行動の範疇の混乱、というだけのことのようです。

ふつうの庭作業したり料理したりの日常に埋没してそれに依存できない。その、まったく自分を自覚できないということは・・・たとえば幸せとかそうでないとかも自覚しないことは・・・どのようなことも自己ではない、自己はどのようなことでもないと、そんな思考をしても忘れても、そう。そんな、とんでもない意味があります。

No.4078 - 2012/06/01(Fri) 10:55:34

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

キンポウ樹です。

No.4079 - 2012/06/01(Fri) 11:01:02

Re: みどりの庭から / ダークブルー
お返事をありがとうございました。
内容は、私には難しいのですが、たくさん書いていただいたことを有難く思いました。
きっと、お時間もかかったと思います。

>人と世界が増減なく、その総てそのときに、見ることはただそれとして起き、感じることの閾値をそこはかなく、一線の彼方に超えるかも知れません。

>それは人が生に於いて、初めて、本当に学ぶことを一手に採るところと、いえるのかも知れません。


>自分は何?の解決・・・それを体験してもそれを自分の意識に教えるのは大変ですが・・・あれやこれやの個別のことではない、問題の解決です。そこはある意味、個別の問題は問題としての力を失います。

焦がれるように、じりじりとします。
じりじりします。

No.4080 - 2012/06/01(Fri) 17:00:42

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

どういっても上手く言い得ませんが、もし、自我が問題としたなら、(かなり危うい表現ですが、)それは、内側からしか壊れないと思います。頑張れ。・・・です。

夕方の食事どき、ふたりでよく散歩をします。川沿いの道が多いのですが、町内会の、知り合いと立ち話したり、東京では経験しなかったときを過ごしています。

ことにこの時期は、苗を植えられたばかりの田圃が、本当にきれいです。

No.4081 - 2012/06/01(Fri) 20:51:56

Re: みどりの庭から / ubik0101&hato

睡蓮の花が、今年は、ふたつ咲きました。

とてもきれいです。

水に乗った葉も、さっぱりと美しく、しずかです。

No.4082 - 2012/06/04(Mon) 23:39:38