たとえば、です。火のついてるタバコを道にポイ捨てする誰かを見て、怒り、善悪を問う思考をしたとします。それは、自分と相手という、分離に偏ってる、そのことで感情や思考を生じさせたのかもしれません。けど、それはまるで相手を自分かのように思って・・・その分離を活用して・・・反応してるとも言えます。
また、そこで。おなじ行動を見ても、まったく知らない人と、家族、友人知人に対しては態度が違うかも知れません。善悪を問う思考をしたけど本人に発言しなかった、ほかの誰かと話して噂話にした、本人に発言した。そんなことの、それぞれの理由、前提、動機もさまざまにあるかもしれません。
なにか指摘するとしても、ふつうに丁寧に言えばいいのでもあるので、怒ることは、相手への攻撃だということもあるでしょう。自己顕示かもしれません。 そこに常識とか教育とかの拘りがあったのかもしれません。
また怒ることが、あるいは優しくなだめることが、冷静に観察することが、ほかの誰かから良い立派な人に見られるようにという偽善だったのかもしれません。自分で自分のことが知覚できる気がするためにしてる、ということなのかもしれません。
続きます。
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No.4151 - 2012/09/07(Fri) 12:59:48
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