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記事No.4169に関するスレッドです

新。世界。 / ubik0101
それで、依存しなくなったら、たとえば見る聞くなどの知覚、意識、世界。そのことを知らない、になります。また、この意味でですが・・・たとえば知識、過去の出来事からの判断など・・・それをあたかも知ってることと見なして、そのことには依存できるという気がするとしても・・・それは、なぜ、それなのか?知らないのであり・・・知らないことには依存できないのです。

そして、どんなことでも、知らない・・・未知・・・です。このように世界は、未知であることにおいて、人を世界に依存しないようにさせしめている・・・導いている、誘っている・・・のです。つまり世界は人を解脱させる機能がある、ということです。

ただそのためには、自分とは何か?が明確でなければ・・・自分はある、にしても、ない、にしても、知らない、にしても。また何にしても、不安定であり・・・その不安定なために自分でそうと気がつかないでも何かに根拠を求め依存してしまい・・・そうと気がつかないでもそこに留まされて・・・つまり世界は正確に機能してるということです・・・それが人の経緯としての課題、解くべき問題になります。どうしても、世界は徹底して、探究せしめ、自己を知らしめ、解脱せしめる機能があるということです。

ここで、もすこし、変調、ということについて復習します。たとえば怒りとは何でしょう。その自分を守ろうとすることでしょうか。威嚇でしょうか。叱咤激励でしょうか。ある意味の愛情表現でしょうか。心配に対抗する打ち消し作用でしょうか。

いろいろ考えられます。ということは、怒りを、それぞれさまざまなその理由で変調して、意味づけているのです。(その意味づけの変遷がその人の経緯を示すこともあります)。では、変調されてない、怒りそのこと、怒りそのもの、とは何でしょう。

もしかして、知らない、のではないでしょうか。では、 自己保存とか、激励とか、愛情表現とか、打ち消し作用とか、は何でしょう。それぞれのことはその構造を見ることはできそうな気がします。でも、なぜそれはそうでなくてはならないのでしょうか。それがそうであるのが、絶対に必然でしょうか。

続きます。

No.4168 - 2012/09/30(Sun) 09:06:28

Re: 新。世界。 / hato

夏の終わりから今頃にかけて、今年は露草がたくさん咲きました。庭のあちこちに、群生しています。

小さな、青い宝石のよう。

10月半ばまで、可憐な花を咲かせてくれます。

No.4169 - 2012/10/02(Tue) 21:08:10

Re: 新。世界。 / ubik0101
そしてなお問うことができます。思考とは何でしょう。意識とは何でしょう。もしかして、知らない、のではないでしょうか。 なのに、たとえば怒りという結果とそのさまざまな理由、原因。そして、その逆。さまざまな理由、原因と怒りなどの結果。知ってるということは、こんな変調の関係によって・・・それは一種の因果の思考・・・の範疇にあるということではないでしょうか。

このように変調は、行動、発言、思考、感情の間に働く概念として見ることができます。たとえば、です。なにかの感情、怒りや喜びによって、思考が変わり・・・思考によって、発言が変わり・・・発言によって行動が変わる。それは好ましい方向にも、好ましくない方向にも転ぶ。こんなことはよく見られることかもしれません。

が、そんな変調の概念を発見するということは、すでに変調のない行動、感情、思考、感情そんな有り様に踏み込んでるということでもあります。そして、それは、なぜ、それ?ここでも、それがどうしてそれである必要があるのでしょうか、と問います。それは、知らない、のです。

そんな変調されてない行動は、発言は、思考は、感情は・・・その背景がないのですから、なにも隠すことがない、なににも隠れることがない・・・赤裸々な日常で。因果も、自我も、無我も。ひとつも、ふたつも、非ふたつも、特定の個別のこととしてはなく・・・ほとんどですが、縁起、中道、世界の総活動に即しているのです。ここは未知、神秘、不思議の真ん中です。

ただこれは自己が明確でなければ、この現実、世界に依存することになって・・・現実に現実逃避・・・してしまう恐れがあります。また、自分がない、自分がある、知らない、にさえ依存してしまうことがあるようです。

それは自分の体験であれ、知識であれ、そいうことを対象にしてるのかもしれません。なら、対象にしても依存しない・・・対象にすることも未知ということ・・・このあたりまで未知は有効だと感じます・・・を見出せばいいのです。

ところで、怒りとは、思考とは、ただ通り過ぎていく・・・だからそれに依存しないという意見はあります。でも、そうでない感覚も・・・たとえばコーラを飲めばコーラの味覚・・・飲み終わったら、味覚は消えます・・・感情も、思考もあり得ないのです。なので、ただ通り過ぎていくというだけで、それに依存しないという理由にはならないのです。そいう世界に依存してるのかもしれません。

続きます。

No.4170 - 2012/10/03(Wed) 09:36:01

Re: 新。世界。 / ubik0101
ここは説明は微妙なのですが、人間関係の葛藤、いわゆる心理的な思考。それを探るということが、ここでいう否定の道ではありません。

ある意味、実生活の葛藤、軋轢など、そのまま葛藤、軋轢であって構いません。それを解消するための紆余曲折・・・たとえば苦痛を除こうとすること楽したいこと・・・そんなことは、自分を探究しないための、道草でもあり得るのです。

そんなことは放置する。たとえば誰かとの、社会との関係が悪化、嫌われても、馬鹿にされても、惨めでも、恥ずかしくても、そのままにして、それを弄らない。その強さも必要です。あくまで自分を探究せねばなりません。

でなければ葛藤を解決してると、自分にもほかの誰かにも、見せ掛けてるだけの結果ということも、あり得ます。そうでなく真摯な探究は この自分の、とか。誰かの、とか。楽とか苦とか。そんな特定の個別の範囲の問題を超えるのです。

なんの苦悩もなく、不安もない・・・たとえば青空を見ます。山や畑や道で遊ぶ子供達・・・この日常には、なんの問題も見つかりません・・・そこからそのなんでもない、この日常・・・その、その自分は何?と掘り下げたのです。そこから自分の奥に、いわば無意識に掘り下げることができます。

いわゆる非難や正当化は、いくらしても、かまいません。嵐のように世間に対立してる・・・それだけに留まらず・・・その、その自分は何?あるいは非難や正当化の嵐が収まるように自分を調教しても・・・その自分は何?そんなことを思いもしないでも・・・その自分は何?なんであれ問える。これしか問えないとも言えます。この、この自分は何?

続きます。

No.4171 - 2012/10/03(Wed) 11:03:04

Re: 新。世界。 / ubik0101
あるいは損得について探るなら、あるいは自由について探るなら、ほかのこと、たとえば周囲からの冷たい目を・・・軽蔑、無視、揶揄・・・一身に浴びても、そのままで堪え忍ぶ・・・捨て置いていいです。限りがなくそんな卑下や、噂話は起こり続けるわけで。それぞれに対応していると、あれやこれやに惑わされ、どのようにしたら取り組んでいる問題に対峙できる、集中できるでしょう。

たとえばほかの人が感じる、この自分に対する印象・・・軽蔑、無視、揶揄・・・尊敬、賞賛、崇拝・・・そんなことにどうして関わるのでしょう。それは寂しさや苦痛に満ちた娯楽、噂話、空想。それ以上のことではないかもしれません。そんな寂しさや苦痛がそこに繋ぎ止める・・・娯楽、噂話、空想・・・そんなのは、ひとりあっての探究において丸ごと脱落するのです。

いわゆる葛藤とか、軋轢とかは、置き去りです。 それは・・・もちろん会社で獅子奮迅のはたらきをしても、友人と遊びにでたりしても、まったく何もせずに時間の流れるのを見て楽しんでも、なんの障害にもならず・・・いわゆる心理的な思考を背後にして、世界について、自分について、日常について、より深く掘り下げる。人の基本姿勢を探ることになっていきます。

それは探究が探究を、そんな表現をするとして、さらに深い階層に導いてくれるのです。詩ができることもあるでしょう。絵になることもあるでしょう。そんな、自分とは何?が、いわゆる心理的な問題でしょうか?違います。自分とは何?との意識はなくても、総ての問いが、そうであらざるを得ないのです。ひとりあって、人と人の間にあってはできないことができるのです。それをこの日常、この世界が可能にしています。

続きます。

No.4172 - 2012/10/06(Sat) 20:29:53

Re: 新。世界。 / hato

秋祭り。電飾屋台が、帰ってきました。

夏から秋にかけて、あちこちに見られる、豊年祭りの風景です。ubik0101さんガメラ1号片手に。こちらは、携帯片手に。

涼しい夜風が吹き抜けていきます。

笛や太鼓。子供や大人たちの、拍子いい掛け声を聞きました。

明日は、神社が賑わいます。

No.4173 - 2012/10/06(Sat) 23:01:13

Re: 新。世界。 / ubik0101
たとえば、です。良心という言葉があります。それはなにか作業してて、手間を抜いたりして、そうできるのに正確にしないなら、これではいけない、という気持で、良心が頭をもたげることもあるでしょう。すこしだけ実際の行動とあるべき行動がズレてる隙間に良心、という思考が生じます。

そうでなく、やるべきことを真摯に丁寧に取り組んでるなら、良心という思考は、生じないかも知れません。それを良心がない、と表現できます。たとえば、自分には良心がないそれは作業を滞りなく問題なくやってることだ、となります。

それは良心が滞りなく機能してるから、ズレがないから、良心ということを感じられない、とも言えます。ここで良心の思考は失われます。それは、良心が生きてるからです。理解することは失うことで、それが得ることです。自分で否定の道を歩くことで、そうなり、それを学びます。

これは日常が、世界が、それを生きることによって、バックアップしてくれていると言えます。この日常がなければ、生活がなければ、たとえばですが、良心に生きることが実際に行われることがなければ、無理です。この意味ではですが、良心を失うことを恐れてはなりません。それは感謝にしても、信じることについても、同様ではないでしょうか。

おなじように。いわゆる神秘体験・・・それは起こることですが・・・をして、この日常に、この世界にあって、たとえば、ひとつ、ふたつ、非ふたつとかの印象、世界観、確信、を持つと言うことは、それが解決されてない、了解されてない、昇華されてない・・・それゆえに課題として、ひとつ、ふたつ、非ふたつとかの空想、妄想、幻想を見せられて、それが残ってしまう、ということもあります。

続きます。

No.4174 - 2012/10/08(Mon) 07:17:30

Re: 新。世界。 / hato

さっき、庭を眺めていたubik0101さんが、「ほら、おいでよー」というので行ってみると、黄色のマンジュシャゲが咲いていました。白を植えるとき、黄色のも植えていたのでしょうか。といっても、5年以上も前のことではないかしら。

肥料をして、球根に栄養がついて、咲いたのかもしれません。

No.4175 - 2012/10/08(Mon) 15:41:39

Re: 新。世界。 / ubik0101
さすがに村祭りです。オーブです。これは小さな羽虫がフラッシュに反射して映ってるのだと思います。ちなみに、オーブ、で画像検索してみると、たいがいは夜、あるいは薄暗い室内、あるいは離島などの薄暗い森林で・・・いわゆる精神世界で売り物になったりしてることもありますが・・・フラッシュ撮影したもののようです。

ガメラ1号の使用説明書にも「フラッシュの光が空気中のほこりなどに反射して、画像の中に白い点のように写り込んでしまうことがあります」と、あります。常夜灯がある電柱とかを撮ると高確率で写ります。

そして虫の羽に光が反射して、干渉模様がでたりするのでしょう。プレビュー画像↓をクリックすれば拡大します。

No.4177 - 2012/10/09(Tue) 17:16:06

Re: 新。世界。 / hato

生地を頂くことが多いので、フィスバのカーテン生地で、20年使ってる食卓椅子の座を代えてみました。ひとつひとつ、全部変えちゃおう!というubik0101さん。あら、斬新。。まずはふたつ、交換しました。

徐々に爽やかに、涼しくなり、作業が捗ります。

No.4178 - 2012/10/10(Wed) 20:28:38

Re: 新。世界。 / 彷徨陽気な彼女の視線 開いているとは距離が無い事
陽気な彼女の視線
開いているとは距離が無い事

No.4192 - 2012/10/25(Thu) 13:47:14