こんばんは。
>どれもが、この世界に生きながら、この世界に依存しない。ここ。焦点は、それを伝統的な仏教用語の意味で話してないかもしれませんが、解脱にあります。
7月の名無しさんの「ホームレスでも安楽でいられますか」という問いについて聞かせてください。
>すこし振り返ります。2年ほど前、胸腺腫が見つかり、医師に「何で自分だけがこんな病気になるのか?と、考えるかもしれないけど・・・」と言われました。そう考えないのです。もし、そう考えるとしたら、病気になったことで、その自分がつくられた。 そして、「何で自分だけがこんな病気になるのか?」と思考した、のです。その思考が生じる状況によって、その自分がつくられたその自分が「何で自分だけがこんな病気になるのか?」と思考してるのです。
空想が入り込まない、というのはわかるのですが・・・・・そして、愚問だとは思うのですが・・・それでも「心配だ」という気持ちにならないものなのでしょうか?
病気になったり、経済的な困難があっても「不安にならない」というのは、根本の問題を解決しているから、不安として沸いてこないということですか。
仏教的には、解脱すると苦から離れる、という説明があったように思いますが、この辺りがわかりません。
私は、本当には世界は分離していない、というのを見た経験があります。 もともと世界はひとつだ、という言い方は「分離」が前提で、その考え方からは、この分離のない世界は導き出せないと思いました。
それを見てから一年経ちますが、苦から離れません。 苦とはなんでしょう。 と、思ったのは、最近、ご近所の騒音に苦しんでいるからです(笑)
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No.4179 - 2012/10/12(Fri) 20:40:36
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