たとえば、この春の青空。2匹の猫が庭で追いかけっこ・・・どこか遠くで、エンジン草刈り機の音がします。そこで疑問です。このように見る、このように聞く、このように味わい、そして思考する。そう知覚される、これが、こうである理由があるでしょうか?まったく、ない、です。なのに、見えるは見える。聞こえるは聞こえる。思考は思考。これ、は、これ。なぜ?
ちょっと探ってみましょう。誰かを憎いとか、慈しむとか、悲しむとか、感じるとします。そこで、その憎しみ、慈しみ、悲しさ・・・そのそのことって、何でしょう?それが、何であるか、知ってるでしょうか?これは、知らないのではないでしょうか。さらに見えるということが、聞こえるということが、思考するということが、なんであるか?知らないのではないでしょうか。
そして一応その対象とされる・・・あの愛らしい、憎々しい誰かとか、樹、空、雲・・・それも知らない、この自分、それも知らない、のではないでしょうか。また既知、知ってるとされる、過去だって・・・知ってるということだって、知らないということだって、それが何か知らない、のではないでしょうか。
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No.4274 - 2013/04/29(Mon) 17:43:24
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