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記事No.4312に関するスレッドです
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(No Subject)
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引用
どうして、働くことができるんだろう
僕は頑張るなど、無気力になる。
それはなぜ?親がいるから?なんにせよ、まだまだ余裕なんだ。
でもみんな、余裕の中で働いている筈だ、危機を感じているんだろうか。
僕には未来を感じる能力が欠けているんだろうか
分からない。どういう仕組みなんだ??
自我と、信念みたいな被害妄想がなければ、働き続ける人はいないんだろうか
No.4297 - 2013/05/20(Mon) 18:20:27
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Re:
/ ubik0101
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うーん。たしかに仕事をしないで暮らせる財産とかがあれば、仕事はしないかもしれません。それで、そうだとして、それだけのことではないでしょうか。たとえば誰かと友達になったり、遊んだり、仲違いしたり、結婚したり、趣味に打ち込んだりして年を重ねる・・・それは、どこかで働いていても、働いてなくても、なんだかの人生を送るということでは、比べることはできないけど、変わりない、ではないでしょうか。
そこで何が問題と言えば、この自分って何?ってこと、いろんな経験をして、そして死んでしまう。これ、何とかならない?ということではないでしょうか。
それで、なんであれ、仕事であれ、遊びであれ、人間関係であれ、ほかの人の有り様を空想すること、余裕、危機感、無気力・・・自我、被害妄想・・・また仕事が面白くて懸命に働くこと・・・また、そいうことに疑問を感じること・・・そいうことが、自分て何?を探求するうえで、どいうわけか、まるで誂えたように役に立つ・・・すくなくとも探求と、なんであれ日常は邪魔しあわない、ではないでしょうか。
つまり、働いても、働かないでも、問題の中心はそこではなくて、そんなことを感じてる、この自分て何?から始まるのではないでしょうか?これは自分がそうだった、ということなのですが、ほかの有り様は、なかっただろうなと思います。
No.4298 - 2013/05/20(Mon) 20:49:30
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Re:
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引用
あ、また、、あ、そうか、確かに、、、
いつの間にか、気取りになってました、起こそうとばかりしていました。
まるで、今まで得てきた、そしてこれからも得られると思っているものから、「離れて」しまう感覚で、すごい孤独なんです。
一つの円で囲まれた世界が出来上がるようです。それを食物連鎖の頂点みたいな僕が、意識しまくるんです。いつしかいつものところの意識に戻ってしまいます。
それで、いつからか起こそうとしていました。全体じゃなくて、一つのところ(一番楽しいところ)で、なんか頑張って「楽しんで」いました。
単純なことのような気もするけど、どうやって自分って何?を普通に考えられるようになるんだろう。
No.4299 - 2013/05/21(Tue) 10:42:23
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Re:
/ ubik0101
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それは衝動なんです。自分て何?と問わずにいられない、情熱です。じっとしてたら死んでしまう袋小路に追い込まれたネズミが、決死の覚悟で猫に噛みつくようなもので、後先構わず、です。掲示板のどこかに書いたような気もするのですが、ヒマラヤのどこかに賢者がいて、どんな疑問にも答えてくれるかもしれない。でも、登山とか言葉を習うとか、面倒だ。
それなら、そんな何でも知ってる人に、自分がなればいい、それが簡単、と考えたのです。禅とか瞑想とか修行とか、なんの方法も知らない子供でした。すると日常にあって、なにか行動したり、話したり、思考したりする、その、その奥、その中心を探る。自分て何?しかできることがなかったのです。
それは、いつか自分も死ぬということを知って、もしかしたら自分の奥深く中心には、死んでも壊れないなんかが見つかるかもしれない、と理由もなく思ったからでもあります。どこか遠くを、外を、知識を探すのが面倒でもあったのです。自分の中心に向かうことが、方法だとも意識もしてなかったし、なにか結果を出すという保証のあるなしも顧みませんでした。それしかできなかったのです。
でもそんな動機とかも忘れて、探っていたのです。それでそれが日常でした。たとえば自分や周囲の人を縛ってるように思える道徳とか、世間の常識とかの意味を探ります。それで、そいうことは、ここにはない、常に、どこかにあることとして、設定されてるだけのことだ。それに反抗するのも、なんだかの立場があるという意味で、また同じようなこと。と見ました。
続きます。
No.4300 - 2013/05/21(Tue) 13:09:18
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Re:
/ ubik0101
引用
そんなのには縛られたくないし、そんな必要もない、なんだかの姿勢とか、立場とかを受け入れることができない自分。この何がなんだか不明な未規定なままにとどまって、自分の研究を持続すること、それで世間を捨て、世間に捨てられ、そんな状態でした。いろんな経緯はあるでしょうが、自分は、一人でしかできなかったかもしれません。
とにかく初めさえすればいいのです。まず、ノートと鉛筆で自分の奥にダイブしたのです。なんでもいいのです。世間でも、常識でも、道徳でも・・・働く・・・ということでも。なんか嫌なこと、邪魔なこと、それがそうである、意味。それがそうである背後に回り込んで、その前提、その基礎を探るのです。書くのと同じスピードで考え進めるのです。言葉で見るのです。それは始めれば、その探求がその探求を導いてくれます。
そのことに疲れたら、その疲れたということについて、真摯にできないなら、真摯にできないことについて、言葉て何?と感じたらそのことを、探るのです。だから、それを道と呼ぶとして、どうやっても外れようがない道なのです。なーんにもしないで寝転んで、ただ時間の流れるのを見てる幸せ、怠惰、努力、嘘、約束。
なにか電車に乗ってて考えてる間に大事なことを見つけたのだけど、忘れてしまって、それを書くために虚空から掴み取るように思い出すあの感覚。ここに役に立たないことなんか、ありようがないのです。始めるだけです。それに書くということは、記録が残るので、考えたことを忘れてもかまいません。
まったく読み返したことはなかったのですが。そんな、ちょっと猾い?利点も自覚されました。そして忘れたことは、自分の血や肉になって、当たり前のことになったから、一般化してしまったから、消えた。ということも了解されます。
自転車で走ってると、風景が、自分の中に吸い込まれて、消えていきます。これは面白いです。土手に黄色い花が咲いていました。
No.4301 - 2013/05/21(Tue) 13:16:27
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Re:
/ 彷徨 to the 方向
引用
ムンクの叫びです、歓喜の悲鳴の様な、自分の状態を把握し言葉にする事、恐ろしく冷静さが必要と感じます。ああ無情。
厳格で寛大な処置に...畏れを【多分】抱きます。ありがとうございます。
No.4304 - 2013/05/22(Wed) 03:56:37
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Re:
/ ubik010
引用
たしかに。説明すればですけど。なんの方法も知識も師もないところから、ただ1人でこの自分の生活そのことにおいて始めるのですから。見ることにあって、どこまでも思考と自分の関係の気配に敏感・・・精確・・・これが言葉で自分で自分に切り込む探求の総て。大事だったと思います。
No.4305 - 2013/05/22(Wed) 09:48:24
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Re:
/ hato
引用
今日は掛川の,青々とした新緑がうつくしい田畑を通り抜け,おいしい珈琲を飲みに行きました。
刻みごぼうのスープと,天然酵母生姜入りパン,琥珀色の濃くてすっきりした珈琲で一息ついて。
ubik0101さんの早朝庭草手入れに始まり,二匹の猫,メダカたち,賑やかな小人さんたちの世話に,布団を干したり,散歩がてらの買い出しが終わると,もう,夕餉の頃です。小人さんが寝たあとは,二匹の猫じゃらし時間。ナナとミューはさっきから,デッキでじゃれ合って遊んでいます。
午前中,土手を一緒に散歩していると,フワフワ茂った猫じゃらしのような草がたくさん,風になびいてとてもきれい。
チカラシバ,というそうです。
No.4307 - 2013/05/22(Wed) 21:41:31
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Re:
/ hato
引用
もう一度調べてみたら,チガヤ だそうです。千のカヤ。たぶん,そちらのようです。
開く前はなんと・・・食べられるそうです。。
No.4308 - 2013/05/22(Wed) 23:04:15
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Re:
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引用
今日、倫理の授業で、哲学をしました。そのときの混乱。ああこの人たちは、楽しんでる、学問という時点でそれは楽しむものだ、と思ったり、先生は間違ってることが分かったり、もうボクが、いつものボクでないことを思いました。けれど、間違っていることを聞いているうち、ひどく混乱してきました。それは確かに、このことに通じています、それが、「これがこの人の思想、これがこの人の思想」と並べられたり、いきなり社会を統率するにはどれがいいか、という話になっていたり、ボクには難しくないのに「難しいなー」と先生が皆に向けて可愛く笑って言ったり、
また、他の生徒を感じて、この人たちは昔のボクのような意識だろうか、昔のボクの意識って、、と、思い出してしまうと、これまた凄い不安になりました。
ノートに書きたいのだけど、次々に先生はものを言い、周囲に人がいて恥ずかしくて書くこともできず、混沌の一時間半だった、ボクはすっかり混乱していた
忘れてしまうかもしれない、と恐れているからだ
変わりたい、が邪魔だ、邪魔だ、ブチ壊したい、友人に触れると起こるあのこと、ボクは考えるタイプじゃなく、遊び人のタイプだ、というボクというものへのボクの認識
ブチ壊したい、ブチ壊すと何か変わらなくなる気がする、やっと認められる気がする。
昨日から、ありのまま、このボクに常に起こっていること、どーでもいいのに、ある。ことを感じれていたけど、なんかちがう、まだまだ気付いていないなにかがある。
その授業中、自惚れを空想していた、奴だ、奴がこれを認められないそして忘れようとする。
ブチ壊すためなら、どんな代償があってもいい、輪廻があるならこの先の人生全て不幸でいいと思うくらい、切願したこと。初めて強く求めたことまで、忘れてしまう、現実は凄い。そしてこれを忘れる
No.4309 - 2013/05/23(Thu) 23:49:14
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Re:
/ ubik010
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まあ言ってること総ては把握できませんが・・・たしかに、なにもかも、忘れたところから始まってます。いろんな人と自分の関係とか、あの体験とか、それまでの総てを、まったく思うこともなく・・・青空、野鳥の声、花咲く河原・・・この明るい透明な風・・・説明すれば、です。
この新鮮さは、この瞬間、この瞬間に生起する、そんな思考も生じてない・・・なにか弦楽四重奏の鳴り響くその前・・・ここ・・・総ての事象が始まる界面、世界の最前線、なにも変哲もない、ここ、その神秘、からです。
No.4310 - 2013/05/24(Fri) 10:08:32
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Re:
/ hato
引用
それはたしかに変哲ない,けれど,なにか時間とか,空間に,据え付けられない,限定困難な謎 神秘。
きらきら光り,サラサラ流れる春の川のせせらぎに幸福で,
ふいに全身の動きを,息を一瞬立ち止め,命を凝らすのです。
なにが見るのでしょうか。
なにも知られず,いのちは,その静かさに焦がれるように。
No.4312 - 2013/05/28(Tue) 00:46:04