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記事No.4391に関するスレッドです
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みどりの庭から 夏
/ hato
引用
夏らしい,というよりかなり,ジリジリした熱さを感じる夏でしょうか。
蝉の声はここ数年,思い出すかぎりの一昔前より,だいぶ少ないようですが,それでも8月といえば蝉の音です。
こちら2人,従来のしきたりに疎くて,盆供に行くのにご霊前の袋で・・・などなど・・・御仏前だったって。あれれ,そうだったの・・・なんとか,やっつけのあれやこれです。
ノンノンとチュリル,ふたりの小人さんは,お陰さまで元気です。
No.4390 - 2013/08/16(Fri) 10:03:22
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Re: みどりの庭から 夏
/ hato
引用
ふと思います。
自身を問い続けた人生があり・・・とくに問わない人生があり・・・として,
喜怒哀楽,生きること,なにより世界に生きる人として一体,何の差異があるのでしょう?
として。けれど,そして尚,ほかでもないそのことを,問うて見た人・・・問わず,見ない人。
問う人が,なんらかの形で徹底的であるほかないとして。成就したとき,人はどうしても,見なかった人と同じということは,できないとしか言えないのです。
No.4391 - 2013/08/16(Fri) 10:08:36
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Re: みどりの庭から 夏
/ hato
引用
それはもう,証明は,できないかも知れません。
なぜなら,世界,その事象から連想して,その事態を証明することができません。なにかをしたから,しなかったから,言ったから・・・そのようだったから・・・ということから遡ることは,実はその通りの様相としても,その実は,世界に繋がってるものでは,ないからです。
そしてこれは,どうしても,そうなってみなければ判らないのです。
不可 逆,ということ。
No.4392 - 2013/08/16(Fri) 10:12:41
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Re: みどりの庭から 夏
/ hato
引用
そして尚それは必ずや,よい雪は別處におちず ということができます。
たとえばそれは,白い白い,雪模様世界いっしょくたになりにける・・・
のでない
見た,ところの,それ,である故に,それ,であるこれとして,生きる。なんでもどうでもありの様相・・・から脱し,それでしかないこれ,を生きるとは,いいわるいでない,好いを,生きることとも,言い換えることができます。
それはもう,どうでもよくないもいいも,一旦手放したところの,なにかです。それはもう,規律とも,規範とも,節理とも倫理とも,とくに関係なしの,けれど正にその生です。
No.4393 - 2013/08/16(Fri) 10:18:44
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Re: みどりの庭から 夏
/ hato
引用
むつかしいことは,ないのでしょう。けれど,容易にもありません。日々大なり小なりのチャレンジかもしれません。ささやかで,重大なことが多くあります。瞬くように浸透,ゆっくり拡充していくように,学ぶことができます。
けれども,人はまず,それでなければなりません。或は,懸命に,素直に正直に,それを知ろう,としなければならないのです。
正真正銘本気で問うことのみが導いてくれる,そのことは
好雪片々不落別處
その不思議を,生きるのです。
No.4395 - 2013/08/16(Fri) 10:37:34
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Re: みどりの庭から 夏
/ ダークブルー
引用
こんばんは。
いろいろ遠慮して書いてみたんですが、結局、ストレートにいきます。
> けれども,人はまず,それでなければなりません。或は,懸命に,素直に正直に,それを知ろう,としなければならないのです。
しなければならない、のはひとつの価値観です。
私は、その価値観には賛同しませんし、それでなければならない理由もわかりません。
>成就したとき,人はどうしても,見なかった人と同じということは,できないとしか言えないのです。
そういう差異化を図る理由もわかりません。
できないといえばできないし、できるといえばできるかもしれませんが、「できないとしか言えない」という語感の強さはなんでしょう?
hatoさんにとって、そんなに覚醒や探求は大事ですか?
なぜ?
アイデンティティになっちゃったら、本末転倒ですし。
ぶっちゃけていうなら、「覚醒してる人と覚醒してない人は違うし、覚醒してる人のほうが上等」みたいに読めます。
私は、思いっきり、そういうの、いやなんですね。
No.4396 - 2013/08/16(Fri) 20:21:24
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Re: みどりの庭から 夏
/ ダークブルー
引用
>私は、たまたま、探求したいタイプで、ちょっとだけ見るものを見た、ような経験がありましたが、そのあとでわかったのは、探求する人もしない人も、探求するもしないも、まったく同じで、完膚なきまで同じだった、ということでした。
この一文を書いたときに、hatoさん怒るかもなあと思ったのです。
たぶん、自己を探求せよ、と強いメッセージを書いておられるのを拝見していたからです。
私が以前、体験として見たのは、たとえば、金属とガラスでできたビル、葉っぱの生い茂る木、アスファルト…などが、気が付いたら、「紙に描かれた絵だった」ということでした。
木やガラスなど、別の素材たちでできてると信じていたのに、気づいてみたら、同じ紙、画用紙でしかなかった。
「体験」により、「違うものはなにもない」ということを知ったので、それが私に深く根ざしていて、だから、「体験した人間が、体験してない人間とは違う」というのは、体験に対するロジック違いになってしまうんです。
なので、「完膚なきまで同じ」という表現を取りました。
もうひとつは、体験のあとも、ずっと考えている中で、「あの体験を得たのは、この私、というわけではない」「たまたま、この自分だと思った」「誰の体験ということもない」と思うようになりました。
ある意味で、体験者不在なんです。
たまたま、私が語っているだけです。
だから、成就した人、とか、してない人、とかいうのも、私にはヘンな言葉に聞こえます。
成就していない人がそういうことを言うなら、そう思うんだろうなということは理解できます。
でも、成就している人がいうのは、妙です。
No.4397 - 2013/08/16(Fri) 21:16:09
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Re: みどりの庭から 夏
/ hato
引用
こんばんは。
お盆休みなので,母も来たりして,遅くまでゆっくりしています。返信を,ありがとうございます。
>木やガラスなど、別の素材たちでできてると信じていたのに、
>気づいてみたら、同じ紙、画用紙でしかなかった。
>「体験」により、「違うものはなにもない」ということを知ったので、
>それが私に深く根ざしていて、だから、「体験した人間が、体験してない人間とは違う」
>というのは、体験に対するロジック違いになってしまうんです。
>なので、「完膚なきまで同じ」という表現を取りました。
これは,ダークブルーさんも,その木やガラスなどと,同じ素材でできてる・・・完膚なきまで同じ・・・と見たということでよかったでしょうか。
ubik0101さんが前回お勧めした知人のページの,同じカテゴリーで書いてる愚さんは,冷蔵庫と自分が同じだった・・・と書いていらしたと思います。
どこか哲学者が,「彼の人生をこれが生き,この人生を・・・」と言ったということを,耳にしたことがあります。世界は万物流転しており,ということとして
ここでは,そうした体験は,世界の範囲に留まること,とみることがあります。もちろん,人により,その体験も多様なのでしょう。
>しなければならない、のはひとつの価値観です。
こうしたことは,価値観,という言葉で測れることではないと思います。として,価値観を持ってはならない,という価値観を,ダークブルーさんは,持っているかも知れません。
世界はたとえば,なんでもどうでもありの,膨大無尽蔵の様相です。善・・悪,・・魑魅魍魎から,真善美まで一揃い・・の様相です。それで,そうした世界と人に,たとえばですが,ベースとして一体化する・・愛と慈しみを感じる・・・その素晴らしい体験として,そうとして,それは,それでは,それだけでは,もし,ここでいう意味での探求,というなら,いま一歩,進める余地があるのかも知れません。
>ある意味で、体験者不在なんです。
>たまたま、私が語っているだけです。
なぜなら,体験というところが,世界の範疇で収まる人,というより,それで終了とみる人は,どう繕ってみても,見逃せない不明瞭さを解消していない,ということです。不明瞭さは,高じて悪になる場合もあるかも知れません。なにか後ろめたいものを隠しているかも,知れません。自分をこれと定まらせない,というところにいて,その曖昧さを愛と思いたいその自分である・・・可能性も,あるかもしれません。
それほどまで,自分 ということは切に,人にとっての難題なのでしょうか。普通に,自分,そしてほかの人。自分を自分,ということさえ憚られるほど,人は自分の無意識の不透明さ,その悪を,持て余してるのです。
としてここで,本気で自己を探求したいとき,無我というところの自我を,もっと正確に丹念に,みていくこともできるのかも知れません。もちろんわたしが言ったことを信じなくても,いいのです。ダークブルーさんの人生です。
>hatoさんにとって、そんなに覚醒や探求は大事ですか?
>なぜ?
>アイデンティティになっちゃったら、本末転倒ですし。
人が自己として生きて学ぶことが,一大事であること。
(いい表現がみつかりませんが,)
生の質が違うことを,身をもって,知り得てるだけです。
それはもう,好きや嫌いに関係のない
これとして,こうあることを,このように言い,
そうでなくてもいいのに,そう・・・というところです。
No.4398 - 2013/08/17(Sat) 01:56:11
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Re: みどりの庭から 夏
/ hato
引用
感覚,感情,思考・・・はこの世界としてあり,
とりわけ感覚器官で感じ取り,遊び,学ぶことが多くあります。
言葉はこの世界に,いわば不可思議の国・・・からの杖としてあり,もし人が,適切な言葉を手繰り寄せるなら,その探求に祝福です。
盆すぎて,急に晩から明け方にかけ地熱が冷めたように涼しくて,ふと見れば,8月も終盤のころ。なんて早いんでしょう。
今日は,待望の海まで飛ばしました。
No.4399 - 2013/08/18(Sun) 21:28:03