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記事No.4456に関するスレッドです

日常 2 / ubik0101
ここでは。たとえば、まったく無味な食品に、あるいは塩味、あるいは醤油味、あるいはコンソメ味をつけて、その無味の食品の味を知ろうとするようなことです。あるいは風でできた波を観察して、虚空を知ろうとするようなものです。あるいはパステル、水彩、油絵の具の絵を見て、透明なキャンバスを知ろうとすることです。

とくに無味な食品、虚空、透明なキャンバスが自分だ、と言ってるのではありません。また付けられた味、大波小波、絵の具が自分だと言ってるのではありません。それはそれ自身を知覚できない・・・それで、つけられた味、大波小波、絵よって説明するということです。

では、始めます。

中心から茎が伸びてきた君が代蘭、2週間ほど前の写真です。これはきっと花が咲くのでしょう。

No.4452 - 2013/11/03(Sun) 11:03:57

Re: 日常 2 / ubik0101
たとえば何かを、誰かを、非難するとします。たとえば、あんなこと言った、こんなことした、と思考します。それは、あんなこと言った、こんなことした、ラジオのニュース、近所の動向、村祭り、国際状況、という理由があってすることです。しかしそうでしょうか?

もし非難するなら、その理由は,何でもいいということもあるでしょう。たとえば誰かの、言葉、行動、思考を、どう取り替えても、その非難は成立するのではないでしょうか。またそして、その理由は儚い、変化してしまうことではないでしょうか。そして、非難、正当化してるそのことも、うつろい変化してしまうことではないでしょうか。

続きます。

どうやら先端は、くねりながら、螺旋を描きながら、生長してるようです。

No.4453 - 2013/11/03(Sun) 11:07:00

Re: 日常 2 / ubik0101
ここで、非難するということの正当化が可能なのは、何かを、誰かを、非難してる。その、そのことにしかありません。つまり理由はなんでもいいのです。自分が、非難してる、そのことが、非難してることの根拠、裏付けです。なにかを非難して、なにかを正当化することも同様です。と、いうこともあります。

ここで極端を言えば、です。あのこと、そのことが悪いと思うから、悪いのです。不快と思うから、不快なのです。というのも、おなじ状況、条件にあっても、たとえば国際状況でも、村祭りでも、それを嫌ということ、それを好むということ、それには無関心、そのほかとして機能することがあります。それが楽しいと思うから、楽しいと、悲しいと思うから、悲しいと、思うのです。

続きます。

これは数日前の写真です。

No.4454 - 2013/11/03(Sun) 11:13:15

Re: 日常 2 / ubik0101
繰り返しますが、その理由なしには・・・たとえば誰かの、言葉、行動、思考、村祭りにしても・・・非難も正当化もできないのですが、その理由は、何でもいいのではないでしょうか?と、して。なんだかの理由・・・たとえば誰かの、言葉、行動、思考、村祭りにしても・・・それが、なければ、非難正当化はできないでしょうか?

たしかにある意味、そんな理由、対象がなければ、それを非難、正当化できない、です。ここで、理由は、非難、正当化という信号を伝達する、搬送波のようなことです。その搬送波がないと、その非難、正当化は現れようがないのです。しかし、その根が断たれてるということにはなりません。また理由が・・・たとえば誰かの、言葉、行動、思考、村祭りにしても・・・あるだけでは、非難、正当化の発動、その根拠になりません。

続きます。

これは今日の写真です。

No.4455 - 2013/11/03(Sun) 11:31:54

Re: 日常 2 / hato

まるで絵画のような君が代蘭。

その向かいの庭の片隅に,なんと,あれです。

あれ。あれれっ。あれれれれ。神奈川のあの林から,菌糸が飛んできたのでしょうか・・・と考えてしまうほどの驚きです。数日前の朝,うわっと発見したこちら2名。驚愕しつつ,いったい,なんでまた,ここに・・・と苦笑してしまいそうです。

カラカサタケ。別称,おっぱいタケ。(勝手に仮称)

神奈川のアパートの,隣の林に生えているのを発見した当時も,相当な驚きを持って眺めたものです。

No.4456 - 2013/11/05(Tue) 19:25:08

Re: 日常 2 / ubik0101
ここで理由について思考すること、それは因果の関係にあるのではないでしょうか。たとえば、誰かが、ああ言った、ああ行動した、村祭り、国際状況という理由・・・だから、非難する。怒る。軽蔑する。尊敬する。正当化する。という原因と結果・・・架空の時間・・・の関係にあるのではないでしょうか。このようなことを、さまざまな立ち位置から、さまざま理解、展開することも、因果の関係にあるのではないでしょうか。

しかしここで思い出すと、たとえば非難、正当化は、対象なしには、理由なしには困難だとしても・・・その思考内容とは無関係に・・・自分が非難してる、正当化してるという、そのことにしか根拠はないのでした。怒る。軽蔑する。尊敬する。も、同様です。つまり、です。非難、正当化の思考・・・因果の思考・・・それは始めから破綻してる、壊滅してる、のです。生じようがないのに・・・架空の時間にあって・・・生じてるのです。

オケラが歩いていました。ネットで見ると、これを飼育する人もいるようです。

No.4457 - 2013/11/08(Fri) 23:18:42

Re: 日常 2 / ubik0101
そして、このようなことの理解も、そのようなこと、です。そんな思考に、人は依存することは不可能なのです。たとえば、どんなことを思考していても、いま、地震が起きたら、そんなことは吹っ飛んでしまうのではないでしょうか。いや、そうでなくても、この夜、冷たい風にあって、見ることにあって、聞くことにあって、呼吸することにあって、常に、どんな思考も、すでに破綻してる、壊滅してるのです。

そこで思考は、ほっといても消えます。また止めようとしても止まります。ここで主題にしてることは、問題は思考ではない、その人の有り様でもない、ということです。たとえば、いわゆる心理的思考、命名、対象にすること、分離、その、そのことが個別の問題ではない、そのことの有無が問題ではない、ということです。それはただ、触媒、ということです。

続きます。

咲き始めている、今夜の君が代蘭です。

No.4458 - 2013/11/08(Fri) 23:26:42

Re: 日常 2 / ubik0101
たとえば何か理解するということは、誰かが、また自分が、どう行動した、発言した、思考した、その有り様・・・その何だかの理由、事例に、よるかもしれません。しかし理解そのことは、そんな、ありとあらゆる理由とかに依存はしません。それが理解されるということは、その理解にしか根拠はない、です。でないと、理解ということではありません。

それは、たとえば自我、無我は。心理的思考、分離、葛藤・・・無思考、融合、ということで解釈され得るとしても、その理解は、それそのことに依存しません。たとえば何だかの数学の方程式、それは公理に依存しますが、それは個別の数式の解には依らず、ただ公理は公理によるのみ・・・しかも公理そのことは証明さえされ得ない・・・というようなことです。

No.4459 - 2013/11/10(Sun) 11:16:15

Re: 日常 2 / ubik0101
またたとえば、空腹であれば、パンを食べても、ご飯を食べても、果物を食べても、野菜を食べても、魚を食べても満たされるようなことです。また、たとえばブドウ農園で、早朝から働いても、昼頃から働いても、夕方から働いても、働くことにあって満たされる、ようなことです。逆に言えば、どのようにしても満たされなければ、満たされないのです。

たとえば、快不快、損得、好き嫌い、心理的思考、分離、葛藤、既知・・・融合、総ては一つ、いまここ、理由なく生きる、時間はない、未知、神秘、無我、世界は私、とか・・・なんでもいいのですが、それは真理ではありません。事実、そのような経緯が人にあるということです。

No.4460 - 2013/11/10(Sun) 11:38:41

Re: 日常 2 / ubik0101
そうでなく、たとえば快不快、心理的思考、分離、葛藤、心理的時間、の有無を、なんだかの問題とその解決とするなら、それはその経緯に依存しているかもしれないのです。であれば、これの探求はとても面白いのでお勧めしますが・・・思考とその事態・・・の理解を要するかもしれません。それは、無我、時間はない、総てはひとつ、いまここ、私は世界・・・その生起と持続と壊滅。

たとえば、いまここ、総てはひとつ、無我、時間はないという思考と、その人が・・・そのいまここ、総てはひとつ、無我、時間はないという事態でない、事態であって、その思考がある、思考がないとの、さまざまな立ち位置での関係の探索です。それはたとえば畑を耕しながら、種を蒔きながら、散歩しながら、晴天雨風に過ごしながら・・・それがそれを開示するゆえに、見るだけで何の努力もなく行われていくことでもあります。

No.4461 - 2013/11/10(Sun) 13:05:37

Re: 日常 2 / ubik0101
この世界の総ては、その理解の触媒です。ひるがえって、思考に、分離に、快不快に、損得に、時間・・・それがあろうがなかろうが・・・始めからそうでも、あるときからそうでも、なにも問題がない・・・常に人はこの何もないところからしか始めようもないのです。総ての意味を孕んで無意味に、世界は、触媒、として機能しています。

この雨上がりの君が代蘭です。

No.4462 - 2013/11/10(Sun) 13:24:05

Re: 日常 2 / ふたつのつき
> オケラが歩いていました。ネットで見ると、これを飼育する人もいるようです。

けら!!かわいい!
子供たちがみたら大喜びだろうな。もちろんわたしも。

けらってすごいんですよね。
歩ける、走れる、もぐれる、泳げる、飛べる

No.4463 - 2013/11/11(Mon) 11:35:26

Re: 日常 2 / ubik0101

えー、泳げる?!飛べる!?知りませんでした。オケラを見つけたのは、庭の入り口から家へ続く細い通路です。それで、ここをオケラ街道と呼ぼう、と言ったらhatoさんが即、却下。ジージーという鳴き声はよく聞くのですが、見かけるのは、年に数回です。

そいえば、モグラの穴は沢山あるのですが、まだモグラは見たことはありません。木の苗を植えると異変に気がつくのか、その根元あたりの地面を掘り返したりします。それで棒を苗の周りに差し込んで防御します。

ubik0101

「ケララ、ケラケラ、ケケラケラ・・とう〜るさいぞー♪」という歌は、かわせみじゃなくて、オケラの歌だったんだ・・・と思いました。オケラのオ、て、御ケラだったのね。夏の始り頃か、ジー、という嬉しい羽音?は彼らですよね。ここに来てからけっこう見ます。なんか、よくいそうな虫ケラさんなんですけど、忘れられない姿形です。あちこちモグラの山、いっぱいです。

hato

No.4464 - 2013/11/11(Mon) 21:05:27

Re: 日常 2 / hato

初冬の,すっきり冷えた朝。庭に出ると微かに,姫イワダレ草の下から,ジー,と聞こえてきます。そうね,ケラ街道はなんだけど,ケラの小径ならありかなーなんて言いながら

君が代蘭,まるで大きなすずらんのよう。

No.4465 - 2013/11/12(Tue) 10:24:16

Re: 日常 2 / hato

もう一枚。

No.4466 - 2013/11/12(Tue) 10:26:19