ない、が私たちの本性です。という言葉を聞いたことがあります。では、ない、ということは、どいうことなんでしょう?そして、なぜ、ない、は、ない、なのでしょう?
もし、ないが、自分の本性と自分で見たのなら・・・その不思議さに・・・それが、そう見える。この自分の不思議さに。なぜ、と問うことは必然です。
ではなく、もしかして、どこかで聞いたことを受入れたのなら、それが確定された真理と見なすなら、その見たこの自分に、問わないかもしれません。ない、それで解決済みとするかもしれません。
なんでもいいのですが、自分は、ある。時間はない、私は世界、いまここ、現象界、実在界・・・なぜ、それは、それ?これはなにか答えがでるとか、でないとか、そんなことではなく、姿勢です。
たとえば、なんでもいいですが、バラの花を望むとします。どうしましょう?あるいは、花壇をつくる必要があるかもしれません。そのためにはスコップが、腕の力が、適した靴、服、あるいは肥料。
あるいは天気、あるいは光、水、風の感覚。時間の感覚。あるいは植物の病気の学習。なにより、それに取り組む自分の姿勢、それを見る必要があるでしょう。
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No.4472 - 2013/11/25(Mon) 09:51:26
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