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記事No.4558に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
たとえば思考が問題だ、ということは自分で自分を知覚できないから、知覚できる思考に問題があるとする。そんなことです。
No.4539 - 2014/02/21(Fri) 21:59:49

Re: / ubik0101
あたかも魚が釣れず、持ってる竿、糸、餌。また水温のせいにして、そこに見えない自分の技術、姿勢を度外視するように、です。
No.4540 - 2014/02/21(Fri) 22:02:38

Re: / ubik0101
たとえば嘘を言います。欲望します。そんなことは自分で自分を知覚できない、そんな主体不在が、諸悪の根源です。
No.4541 - 2014/02/22(Sat) 10:05:14

Re: / ubik0101
そのような嘘、欲望、傲慢、卑屈などは、湖をかき混ぜ泥を巻き起こして濁らせ、水の透明さを知ろうとする、そんなことです。
No.4542 - 2014/02/22(Sat) 10:05:56

Re: / ubik0101
しかし、この自分を自分で知覚できないその、この世界こそ、透明で、神秘であり、静寂です。
No.4543 - 2014/02/22(Sat) 10:09:44

Re: / ubik0101
でなければ、いかなる思考があっても、感情があっても、行動しても問題ない、があり得ない、です。
No.4544 - 2014/02/22(Sat) 10:50:27

Re: / ubik0101
それは、たとえば思考が問題だ。と言われる、そのような思考は、ただ問題の解決の触媒として機能した、ということです。
No.4545 - 2014/02/22(Sat) 21:57:07

Re: / ubik0101
つまり、それそのこととは優劣、善悪などの問題がない思考、感情、歩く、見る聞くが、自己の了解の、触媒です。
No.4546 - 2014/02/23(Sun) 07:43:16

Re: / ubik0101
それそのことは、あるでも、ないでも、増えも減りもせず、未知でも既知でもなくて。この世界は触媒として機能しています。
No.4547 - 2014/02/23(Sun) 07:44:06

Re: / ubik0101
ここでは了解にあって。たとえば思考が問題だ、ということから問題になってる特質が失われる、ということです。
No.4548 - 2014/02/24(Mon) 19:12:50

Re: / ubik0101
その特質が失われるなら、嘘も、傲慢も、卑屈も、苦悩も、その触媒としての反応を失います。
No.4549 - 2014/02/24(Mon) 19:22:21

Re: / ubik0101
そのように見る聞く、笑う、歩く、思考する、を知覚してるその自分は、自分で自分を知覚できない、知覚とは差の認識です。
No.4550 - 2014/02/24(Mon) 19:27:02

Re: / ubik0101
これは、自己は自己にとって差がなく等質だから、自己を知覚できない、ということです。
No.4551 - 2014/02/25(Tue) 07:43:41

Re: / ubik0101
また、どのような個別の特定のもの、こと、事象、現象、ではないために、自己は知覚できない、ということです。
No.4552 - 2014/02/25(Tue) 07:45:50

Re: / ubik0101
また自己のほかのどこか、という視点がないから距離ができず、自己は知覚できない、ということです。
No.4553 - 2014/02/25(Tue) 10:31:43

Re: / ubik0101
たとえば空想の誰かという視点が設定されると、その空想の空間という距離を介して見た、空想の自分が生起した気になる、のです。
No.4554 - 2014/02/25(Tue) 10:33:12

Re: / ubik0101
また見る聞く、行動、思考することによって、予めあるかのように生起する自我は、虚構の時間という距離が可能にしています。
No.4555 - 2014/02/25(Tue) 18:02:28

Re: / ubik0101
そんな自我が、その虚構の仕組みを開示すれば、直ちに、そのような虚構の空間、時間は終わっています。
No.4556 - 2014/02/25(Tue) 18:04:28

Re: / ubik0101
そいえば、たしかに。見る聞く、行動、思考との距離がない、これが日常です。
No.4557 - 2014/02/25(Tue) 18:50:51

Re: / hato

美味しいホットチョコレート。

それぞれひとつ、
こうしてオーダーするのはちょっと贅沢な気がするけれど

寒い季節に、甘い、熱いチョコレートをすする楽しみです。

No.4558 - 2014/02/26(Wed) 00:48:56

Re: / ubik0101
この日常に自我も、無我もなく、迷いも、悟りもありません。そんなそれらは、総ての光の色が重なると透明なように、透明です。
No.4559 - 2014/02/27(Thu) 11:03:43

Re: / ubik0101
それは見る聞く、話す、思考・・・森羅万象が、活動している、また活動してないことでも、そう総てが機能してるので、透明です。
No.4560 - 2014/02/27(Thu) 16:32:48

Re: / ubik0101
そんな見る聞く、話す、思考は、差の認識で、その中心は、ある、ない、そのどちらにも偏らない、です。
No.4561 - 2014/02/27(Thu) 16:36:44

Re: / hato

思い立ち,遠州灘に流れ入る川の汽水域まで一走り。

海はもう,何か月ぶりでしょう。
釣りはまだすこし,あとのお楽しみ。今日は,見つけると2人ともワクワクしてしまう野菜市場に寄り,ブロッコリー,山芋,春菊,泥ネギ,キャベツ,大蒜,人参・・・安い美味しい採れたて野菜。いっぱい買い込み嬉しくなってしまいます。「今日は鍋だ」と,パパ嬉しそう。

水面に光る日差しはいつの間にか

春の色合いです。

No.4562 - 2014/02/27(Thu) 22:33:15

Re: / ubik0101
ス長老という上座部仏教の人が、般若心経は誤りだと言ったそうです。色即是空、空即是色と書かれているけど。犬は動物である。動物は犬である。これ変でしょ?という意見だそうです。

おなじことを言ってる・・・ちょい名前を忘れましたが・・・日本人のビデオが、ヤフー掲示版で紹介されていました。これは、ジョークなのでしょうか?で、つい次のような投稿をしました。

>犬は動物です。なら、動物は犬です。たとえば道の向こうから犬が歩いてきます。その犬は動物です。その動物は犬です。そこで,動物には牛も、猫も、鳥もいる、と思うのは空想です。そのような空想を混入させて、動物は犬というのは誤り、というのは誤りです。色は空。空は色。色とはこういう意味で、空とはこういう意味で、とかそんな空想が壊滅した、即、それが色は空。空は色。です。

ところでそもそも、色とは何?空とは何?という疑問があるかもしれません。それぞれ個別のことを色と、その全体の関係性を空とすることもありそうです。

No.4563 - 2014/03/02(Sun) 07:24:33

Re: / ubik0101
あるいは見聞きされ得ることを色と、され得ないことを空と。あるいは絵と白紙と、思われるかもしれません。しかしこれら、色も空も、自分の外に探って、探ってる自分は隠れた前提になってしまって、度外視されているかもしれません。

そうでなく、この自分にとってのことだけで言うと、色=私、空=私、です。たとえば樹や花や感情や行動や思考、空想など、いわば自分の表に知覚されること総て、つまり世界を色と呼びます。

そして、いわばその世界の裏。世界を知覚してる自分にも知覚されない何か(私)、それを空と呼びます。この色と空の境界面。これが色は空。空は色。つまり表裏なく混ざりものなく一体だ、ということです。

たとえば私は世界だ。あるいは見るものは、見られるものだ。私がいなければ世界はない、ということです。これはこれで縁起の近似値であり、一興ではあります。

No.4564 - 2014/03/02(Sun) 07:26:08

Re: / ubik0101
しかしこれは不注意、シャツなどのボタンの掛け違いに気がついていないところがあります。まず、この自分にとってのことだけを中心にした、そのことが、です。

たしかに人は自我なくあるのであれば、空想の人と人の間ではなく、ただ1人あることになります。なんか善悪、優劣、とか特定のことには縛られず、しかも行いは倫理を外れません。

そうなのですが、自分しか世界にいないとするのは、どこか変なのです。そこで、それぞれ誰も絶対だ、という思考の補佐が必要になります。でも、それは面倒。それにここではまだ無我に拘りがあります。

また体験としての縁起。それは個別とそうでないことが、分かれてるとか分かれてないとかも、自我の仕組みを見るにしても、自分と誰かとか、いうなにか個別のことでもないです。世界の総活動です。それは活発な中道です。

その読み解きを、色と空で説明して言えば、色は空。空は色、と表現されざるを得ないところもあります。この誰かのした読み解きを元にして、さらに何かを探ったり、解釈することよりも、ただ自分を読み解く、が先決です。

No.4565 - 2014/03/02(Sun) 07:27:51

Re: / hato

窓辺のいちご泥棒。

この冬の窓辺には,小さな鉢植えが彩りを添えていました。カーテンをひくたび,嬉しさいっぱいになったものです。

キャットミント,スペアミント,ペパーミント。

なんて可愛らしい葉。

すこし温かくなってきたので,さっそく土に植えられました。

No.4566 - 2014/03/03(Mon) 23:10:04

Re: / ubik0101
ところでネットで検索してみると般若心経に、観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、とありました。

これは、この私が、見たり聞いたり、笑ったり、買い物したり、自転車で散歩したりの、ふつうの日常にあって、という意味です。

No.4567 - 2014/03/07(Fri) 13:24:31

Re: / ubik0101
なにか辛いことを苦悩できるのは、ほかの人や、空想の自分との人間関係あってのこと。また知覚できる何かについての苦悩です。

しかし、ひとり自己にあって。自己は自分を知覚できなくて、どうやっても自分を、苦悩でき得る方法がありません。

No.4568 - 2014/03/07(Fri) 18:18:04

Re: / hato

母のお手製一輪挿しがあって,
パパが庭の韮の花を生けてくれていました。

尽十万世界是一顆明珠

という,名前も忘れた誰かの偈。

ここには書かれてないけれど,この偈のつづき

 これは,なんだ。

がとても大切だと思います。

No.4569 - 2014/03/07(Fri) 21:32:23

Re: / ubik0101
また苦悩は、知る、知らないの既知の領域です。けれど世界も自己も、知る知らないでいながら、知る,知らないの領域にいません。

これは、知ってることも、知らないことも、それが何かを知りません。既知=未知です。どうやっても苦悩する方法がありません。

No.4570 - 2014/03/08(Sat) 10:32:30

Re: / ubik0101
あるいは、顛倒、倒錯、依存、それが苦。けれど自己は顛倒、倒錯、依存し得ません。どうやっても苦悩する方法がありません。
No.4571 - 2014/03/09(Sun) 07:01:50

Re: / hato

暖かかったので、ちょっと庭散策しました。ローズマリーの青い花に、てんとう虫がいます。今年は、たくさん見かけるのだそうです。

No.4572 - 2014/03/20(Thu) 08:44:23