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記事No.4596に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
ある・・・つまり機能しててそれが知覚される・・・の活性化、たとえば歩いたり,話したり、笑ったり、思考したりすることは、それはそれ。いろんな事象、経緯です。で、ない、の活性化。これは、ある、ない、の意味を探ったりすることで、開かれる傾向にあるようです。

いつも言うことですが、白・・・暖かい雪、危険な雪、深い雪、柔らかい雪などがあるとして・・・その識別は困難な、ない、も探らないと固い、ない、のままかもしれません。それは一種の拘りの原因で、たとえば自分の経緯の真理に、貼り付けられることかもしれません。

ない、の活性化・・・そうしようとしてするのではなく、そうなってくのですが、ほかにそんな人がいるかも知りませんが、いるなら・・・そうであって、たとえば何でもいいですが、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱、そいうことに留まられるでしょうか。これは、質問してみたいことです。

また、真理と思われること、なんでもいいですが、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱・・・にあって、これはなぜこれ?なぜ、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱?と自問して、そいうことに留まれるでしょうか。これも、質問してみたいことです。

No.4595 - 2014/04/05(Sat) 08:35:54

Re: / hato

今日は,ここへきてすぐの講習会で一緒になった友人たちが,お花見を兼ねて遊びにきました。昨年,同時期に集まってとても好評だったので,今年は近所のおじさんも一人まじって,まずはubik0101さんのコース料理に舌つづみ。他愛ない話に花が咲きました。

この日のために,一週間も前から少しずつ,掃除をしたり,メニューを考えたり買い出ししたり。今日も朝から,皆さんをおもてなしに大奮闘。

桜ははや葉桜でしたが,花冷えの冷たい空気に時おり白い花吹雪が舞い,なかなか素敵です。

石のデルタ地帯は,

ubik0101さんの庭作品のひとつで,草が生える前のこの時期まで,きれいに見ることができます。

No.4596 - 2014/04/06(Sun) 22:31:44

Re: / ubik0101
よーするに、縁起=私、かどうか?に帰着します。縁起から逸脱しないのなら、自分は、ない。総てはひとつ、で結着です。でも縁起から逸脱するなら、自己は、実在との関係にあって、ある、です。

しかし、この日常にあっては、どちらも対象として知覚できないという意味で、ない、の様態であり、たとえば葛藤などの問題なく暮らすことに差し障りはないです。

No.4597 - 2014/04/13(Sun) 19:19:11

Re: / hato

一昨年あたりから,2人に大人気の草いちご。
パパが見つけて教えてくれた,庭の茂みに生えてる草いちごです。

殆ど雑草のようなのですが,今年はあちこちで薄い白い花びらを見かけます。浜松あたりを訪れたときも見つけました。

赤い小さな実は可憐で,上品な甘みがあります。
実がなるのはもう少し,先のお楽しみです。

No.4598 - 2014/04/13(Sun) 23:13:08

ふつうのこと。 / ubik0101

なにか好きなことをするから、嫌いなことをするわけではないから・・・楽しいのではなくて、この庭に、この家に、この世界にあって、素、で幸せです。

あえて説明すれば、です。空想の人と人の間にではなく、特定の、不特定の人の間でもなく、ただ1人あることにあって幸せです。

疑問を言えば、私はあるとかないということも打ち捨てて、ただこうあることの楽しさに、どうして満たされない人がいるでしょう?

たとえば誰かからの高い評価は嬉しいのでしょうか。あるいは誰かからの低い評価は辛いのでしょうか。そんな関係は永遠にだって続けられる空想の関係です。

そして同じような空想をする人と人にあっては、その空想が現実の世界・・・逸脱しようのない縁起から外れた空想の縁起なので、始まったこともなく終わることもない葛藤かもしれません。

しかし・・・空想の人間関係に生きてないということの説明でこう言ってるだけで・・・現実に従うということを言ってるのでもないですが・・・ただ一人あって幸せは、静かに満ちて世界に。

それは、好きなことをするという、嫌いなことをする、どんな理由もなく、どこにあるここにあるということでもなくて。そうあろうとする必要も、維持しようとする努力もなく、です。

なぜ人を傷つけ害してはいけないのだろう。それは理由なくいけないのですが、もし人を傷つけ害すると苦痛だから・・・という、それだけのことです。

この世界は夢のようだろうか。幻のようだろうか。いいえ。この世界が何であれ、それに依存しないこと、それに執着しないこと。それゆえ、夢、幻と言われるだけです。

No.4599 - 2014/04/20(Sun) 23:16:42

ふつうのこと。 / hato

この庭に来てしばらくした、五月半ばの春盛りの頃。

出掛けた先で出会った風景は、
二羽の鳩が仲良くちゅっちゅしていて
なんてチャーミング!と思ったのでした。

さまざまなことが、あってもなくても、春が来ます。

そぼ降る雨のなか・・・強い日が差し・・

緑の庭のあちこちに、芽が出て、花が咲きます。

No.4600 - 2014/04/20(Sun) 23:43:31

Re: / ubik0101
たしかにそうです。人は怒ること、悲しむこと、喜ぶことを許されています。自我も無我も、自分をCENSOREDことも、許されています。でき得ることができ得るようにでき得てなければ、できることなど何もありません。

たとえば船を転覆させることも、安全に運行することも。善も悪も、そしてもちろん、誰かを害することも助けることも許されています。世界がそれを許してるので、それができ得るのですから、どんなことも人として許しましょう。そして、許さない、ということもでき得るようにできています。

この意味では、どんなことも個別の事象は、それをするもしないも自由です。善悪がない、も。善のつもりで悪、も。それさえ可能です。では、どいうことでしょう。そうです。人はそれでも、自分都合の善でもなく、悪に対応した善でもなく、できうることができるのです。

No.4601 - 2014/04/22(Tue) 21:55:12

Re: / hato

この白い美しい花はこの時期,

70年の余ほどたつ古家の脇で
次から次に,花を咲かせます。

椿と思っていたら
白い山茶花なのだそうです。

淡いクリームがかった白い花びらの
すべてが揃うのは
ほんの瞬く時のようです。

毎年そのひとときを楽しみます。

No.4602 - 2014/04/22(Tue) 23:39:17