ある・・・つまり機能しててそれが知覚される・・・の活性化、たとえば歩いたり,話したり、笑ったり、思考したりすることは、それはそれ。いろんな事象、経緯です。で、ない、の活性化。これは、ある、ない、の意味を探ったりすることで、開かれる傾向にあるようです。
いつも言うことですが、白・・・暖かい雪、危険な雪、深い雪、柔らかい雪などがあるとして・・・その識別は困難な、ない、も探らないと固い、ない、のままかもしれません。それは一種の拘りの原因で、たとえば自分の経緯の真理に、貼り付けられることかもしれません。
ない、の活性化・・・そうしようとしてするのではなく、そうなってくのですが、ほかにそんな人がいるかも知りませんが、いるなら・・・そうであって、たとえば何でもいいですが、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱、そいうことに留まられるでしょうか。これは、質問してみたいことです。
また、真理と思われること、なんでもいいですが、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱・・・にあって、これはなぜこれ?なぜ、見るものは見られるもの、いまここ、総ては一つ、無意味、悟り、無我、解脱?と自問して、そいうことに留まれるでしょうか。これも、質問してみたいことです。
|
No.4595 - 2014/04/05(Sat) 08:35:54
|