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記事No.4667に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
たとえば夜の部屋、目を見開いて見えない闇の中を、手探りで歩きます。そこに背もたれに触れば、椅子だと知り、それを握り体重をあずけます。テーブルにリモコンがあれば、エアコンのそれだと知り、握りしめます。このように暗いと、なにかに触り握りしめてしまいます。

そのように闇で握りしめると、握りしめてるこの私が生起すると説明され得はします。そこで蛍光灯の紐に手が触れると、それを握って引き、部屋の天井の灯りを点けます。するとその紐も握る必要もなく、すぐに手放します。すでに部屋が明るいからです。

うーん、アゲハのサナギ、まったく動きません。これは羽化失敗か?と残念に思っていたら、hatoさんが呼んでいます。急いでいって見てみると、サナギの植木鉢側が裂けていて、指で触ってみたら割れて、中が空でした。

見てない間に羽化したのでしょう。雨を避けるために2人で植木鉢を古屋の軒下に運んだかいがありました。それかどうかは分かりませんが、庭を2羽、飛び回っています。

No.4657 - 2014/07/02(Wed) 09:56:04

Re: / ubik0101
たしかに自分は自分と差がないために、知覚不能。それを、自分は、ない、と言ったりします。そして、この日常、草むしりするのが、私。水を飲むのが、私。思考するのが私。

いい天気が、私、です。知覚はそのように機能しています。しかし、知覚は差の認識です。では、なにとの差?ない、との差です。ある、との差と言っても同義です。

No.4658 - 2014/07/04(Fri) 10:29:22

Re: / ubik0101
ほとんどその瞬間に、暗いとも、見えないとも気がついてもない、その自分の奥が明るく透明になると、私が私と思う私は隠れる闇を探しても見つからず、光に消えてしまいます。これは無意識と意識の接続です。そこで自我の構造を見て、世界も透明に明るく輝きます。

それを見てるのは自分だ、また見てる誰もいない・・・ではありません。その体験は、その体験がその体験の一部始終を自覚します。もちろんですが、たとえば蛍光灯の紐がどこにある、ここにあるというものではありません・・・それはそう、起こることです。

No.4659 - 2014/07/05(Sat) 10:01:56

Re: / ubik0101
それは世界の総活動です。それゆえ個別のことに偏らず中道、縁起とも呼びますが、それ、世界は歓喜状態にあります。たとえば悪とは、この外れようのない中道から外れること。因果を眩ますことです。その総活動、中道にあって、悪そして罪は一気に燃焼してしまいます。

ところで、そこでは、こういう体験をする人は稀だ・・・また、誰も同じ・・・これは最初からそうだ・・・それは突然、一瞬に起きる事実ですが・・・そうだとかいう認識があってあるわけではありません。そんなことは余計な後づけの判断です。

No.4660 - 2014/07/05(Sat) 10:05:14

Re: / ubik0101
そしてそれまでは普通に歩き電車に乗り、見て聞いて話して闇の中、濃霧の中で生きていたことを知ります。ここ透明な輝きには、カルマ、集団無意識とかはありません。なんだかの心理学、宗教の学説?の受け売りか、なにか不満不備があれば、その原因を求めてそんなことを思考するのでしょう。

この世界は、このようにあってよいから、ほかのようではなく、このようにあり得ているのです。この、この風光・・・青空、曇天、暴風雨、鳥、空、海、善、悪、執着、解脱、生死・・・これはこれで、それそのことが喩えるなら《博覧会》として完全であることの証です。それは人が完全だとも言えます。

No.4661 - 2014/07/05(Sat) 10:09:02

Re: / ubik0101
ローズマリーの上に干された、洗った軍手です。
No.4662 - 2014/07/05(Sat) 10:16:12

Re: / ubik0101
もしあったとしても、心理的なことは、いまこの瞬間に壊滅しています。そして見る聞く行動する思考するその知覚がいまこの瞬間に生起しています。それが日常の風光です。たとえば自我の問題を心理的な思考に帰着させるのは、後付けの解釈、説明にすぎません。

あるいはその歓喜の体験から最初に戻ってくるのは、いわゆる思考なので、それを目の敵にする向きもあるのかもしれません。そんなことをすると、その体験にはない、それはそれなりの余計な立場をさらにつくってしまう、とも言えます。

No.4663 - 2014/07/05(Sat) 10:19:03

Re: / ubik0101
ではなく、不完全もあるほど総て揃って完全だから、ここ、この日常。こうである根拠、理由などをほかに必要としない、このなにもない、この風光。この自分から始めるしかない、すでにそうである、最も簡単なこと・・・ちょっとは虚空を手で掴もうとするような強い気持ちは必要かもしれないけど・・・が探求です。

ここで、たとえば。この自分が何であるか知りません。意識が、感情が、知覚が、世界の総てが何であるか知りません。これがこうであるほかの理由、原因、根拠は必要ないので、知り得る視点がないです。それでも、なぜ、これは、これ?なんだかの体験の有無に関わらず、つねに自分が、こうであるlive、実況生中継、それが探求です。

No.4664 - 2014/07/05(Sat) 10:22:35

Re: / ubik0101
ところで体験の読み解きは、実在、第一原因、自己とか、真我とか、もしあれば仏。を忘れる・・・それが血肉になって、それはそれを対象にできない・・・自分を自分で掴めない・・・ということなので・・・見る聞く、思考する・・・知覚にシフトすることでもあります。

この過程で、なにかの意見を批判したりするのは、表現上、説明上ではありですが、ほかの誰かのことを想定し、それをどうこう判断、判定したりするなら、それは総て空想です。それはそう知ってしないと、あってもいいけど、なくてもいい余計な偏りになることもあります。

No.4665 - 2014/07/05(Sat) 10:30:32

Re: / ubik0101
たとえば自我、真我、無我、実在、第一原因を忘れ、日常にありきります。これでも大丈夫、♪どこまでも行こう道は果てなくても、口笛を吹きながら歩いて行こう。。

そうすれば、忘れても、捨てても、失われることは、なにもないです。なんにしても、なにかを体験したら、それで結着としないで、その体験の素直な読み解きを推奨します。

No.4666 - 2014/07/05(Sat) 10:51:32

Re: / hato

ここ数日,母が東京に住む伯母と来ていました。

母は,ubik0101さんが無農薬で,虫がつかないよう植木鉢で育ててくれてるバジルで,ジェノバソースを作ってくれました。松の実,ピーナッツ,塩,オリーブオイル・・だけの素材で,なかなかお洒落,ヘルシーな,大人の味。

「あら,おいしいのね!」

昔習った和食一すじで外食をしない伯母は,このジェノバソースは初めてだったようですが,食べてみるととても気に入り,瓶に詰めたソースを持って,東京に帰りました。

こちらは昨晩待望の雨がすこし降り,日中晴れたあとのさっき,カエルたちが鳴くすずしい夕闇に,フクロウの声が聞こえていました。

No.4667 - 2014/07/05(Sat) 21:04:54

Re: / ナツメ
こんにちは。
今日は梅雨の合間のおひさまがまぶしいです。

確かに…思考を探っていくと自分自身が何か紐解かれ軽くなっていく、そんな経験があります。これは進行中です。

思考でない自分、感情でない自分、自分と意識していない自分があります。
いつでも自分の中にただただ存在しているもの。

でも、いつになっても私が消えないのです。
この私が消えるにはどうしたらいいのか?
ただ恩寵というものを待つしかないのでしょうか。

もううんざりしているこの世界。
でもそれを見るまではまだあきらめきれない。

ひとりごとをつぶやきました。

No.4668 - 2014/07/06(Sun) 13:01:44

Re: / ubik0101&hato

こんばんは。

梅雨の合間の日差し。こちらもそのような感じでしょうか。今すこし,静かに雨が降っていて,こんな降ったり止んだりが梅雨どきですね。
夢心地で道路に出てるカエルたちを,なんとか踏まないで帰るのが,一苦労なこの頃です。

母と伯母が帰る日の朝早く,台所でわたしのお弁当を作っていたubik0101さんが,たぶんお皿なんかを洗いながら,いきなり一所懸命歌い出したのが聞こえてきて,わたしの胸のあたりがクスクス笑いしました。

どこまぁ〜でも,行こう〜!道は〜,果てなくてもぉ〜

人生ふしぎ丸に乗船してるようです。

hato

うーん、自分なら・・・まず、そのうんざりを抱き寄せて、自分に容赦なく浸透させる、です。あるいは、それを見るまでまだあきらめられない、その理由をほじくりだして、壊滅させる、です。

もしかしてそれは・・・空気のように当然だと感じないはずなので・・・いつでも自分の中にただただ存在しているものを・・・感じることを失うことに繋がるかもしれません。

ubik0101

No.4669 - 2014/07/06(Sun) 21:43:49

Re: / ナツメ
こんばんは。

写真は知り合いのおうちの庭先に水瓶があってのぞいたらハスの花が咲いていました。
案外簡単に育てられるんですね。
綺麗でした。
うまくUPできてるかな???


> うーん、自分なら・・・まず、そのうんざりを抱き寄せて、自分に容赦なく浸透させる、です。

↑この部分はまだよく分からなかった(汗)ので



> あるいは、それを見るまでまだあきらめられない、その理由をほじくりだして、壊滅させる、です。

↑この部分、やってみました。
昔、ほじってみたのですが、今回以前にもましてすごい強い自我?観念?思考?を見つけてしまいそれにやられました。ちょっと鬱状態です。
こんな自分がいたのかと。。。

そうやって一つ一つ壊滅させていくんですね。
もういいだろうと高を括っていたようで恥ずかしいです。

それにしてもubik0101&hatoさんのこの場所に来るととても気持ちがいいです。
穏やかな時間がただただ、ながれている。
そんな素敵な雰囲気に自分もあやかりたいとついつい覗いてしまうんでしょう。私は・・・

いつもありがとうございます。

No.4670 - 2014/07/12(Sat) 20:28:40

Re: / ナツメ
おっと失敗。
こちらです。

No.4671 - 2014/07/12(Sat) 20:30:42

Re: / ubik0101&hato

そうですね。ほじって、ほじって壊滅させると、わだかまりが意識されなくなるので失うと感じるのですが・・・それは理解したことが血肉になって、経緯としては得ることでありながら・・・それでも人が素直になり、余計なことを捨てるという意味で・・・理解することは、得ることより、失うことに似ている・・・です。

これまで土にゆっくり効く肥料を埋めてたのですが、今年は肥料なしで、去年より大きな花が咲きました。日光がよく差し込む玄関先にあるからかもしれません。水も蒸発したら継ぎ足すだけで、濁ることもなく手間もかかりません。もしかしたら赤玉土をメダカ鉢の底、睡蓮鉢に使ってるから、バクテリアの浄化作用が効いてるのでしょう。

ubik0101

いつも来てくださってありがとう。ナツメさんからは,ほがらかで優しい気持ちが,いつも伝わってくるようです。こちらは相変わらず,鳥や猫や庭の草木や・・私たちのさまざまな騒動に,なんだかゆっくり目まぐるしい,単純大変な毎日です。

きれいですね。ピンクの睡蓮。ubik0101さんと思わずため息,眼を見張る可憐さです。

少し前,我が家のめだか鉢にも,例年のようにふたつみっつ,小さな花が咲きました。

hato

※この掲示板はプレビューボタンを押すと,画像の参照が解除されてしまうようです。

No.4672 - 2014/07/12(Sat) 22:43:40

Re: / ubik0101
デスクトップピクチャを変えて、カレンダーの祭日の文字色を決定していて、こんなことが起こりました。白い地に赤で数字を表示。これは、はっきり見えます。そこでつい地の色を赤にしてしまいました。すると、赤い数字が、消えてしまいました。透明になったように、です。

つまり、地である自分が赤い色になれば、赤い数字は消えます。しかしなくなったというのではなく、あるのです。それはそんな経緯があって、ある、ことは知覚でなく判ることです。経緯がなければ、赤い文字のあるないは、最初から問題にされなくて、ない、と判断されるかもしれません。

No.4673 - 2014/07/14(Mon) 09:59:44

Re: / ubik0101
たとえば恥ずかしい思いをしたら、それを引き受けて自分に浸透させます。その恥ずかしさに抵抗しない、またほかの立場をつくらない・・・空想の誰かから自分を見ない・・・自分で自分を見ない・・・距離を取って取りなしたり逃げることをしない・・・ほかの言い方では、恥ずかしさでありきる。それは効果としては、それを完全に度外視するのと同じです。

この日常の探求にあって、こんな地と色の関係に気がつけば、それはきっと自分のことを体当たりで探ってるその証です。そこでさらに、たとえば恥ずかしさとは何か?を探求。定義します。ほかの誰かを観察するとか、心理学を齧るとか、辞書を見るとかではなく、この自分の有り様、それだけを頼りに、それを学びます。

No.4674 - 2014/07/14(Mon) 10:02:36

Re: / ubik0101
そんな探求は、その探求が探求を導いてくれます。ほかの言い方では、探求の流れに入ってる、そう世界を動かしてる、ということです。そうすると、なにか瞑想しようとか、どこかで師を見つけて修行しようとか、セミナーに行こうとか、個別の行為は不要になります。見えてくことを見るだけです。

たとえば恥ずかしさは、これにとっては、弱さの表現、でした。いろんな意見はあるでしょうが、これでいいのです。怒りとか、自由とか、希望とか、道徳とか、欲望とか、善とか,悪とか、折りに触れて、自分なりの見ることをすればいいのです。それが最も厳密です。

No.4675 - 2014/07/14(Mon) 10:06:14

Re: / ubik0101
ほかの、たとえば哲学、宗教、常識、意見、誰か偉人、賢人、などに頼らないこと。この自分を頼りにすることにも、自分を頼りにしないことにも、頼らない、それで探求は必要充分です。そんな探求は誰がする、彼がする、ではないけれど、結果的には、この、これがしてること、です。

これは理解して失う道。説明すればですが、それがそのまま得る道です。なので無駄になることなど、これも説明ですが、なにもないです。縁起から言えば、無くなることも得ることもなにもないのですが、個人こそ探求ができます。また総てが触媒なので、自分の経緯にも特に拘ることを要しません。

No.4676 - 2014/07/14(Mon) 10:24:47