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記事No.4680に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
たとえば静かで、幸せで、満たされてるなら、そのことの理由や原因、経緯など、持ち出す必要がありません。なぜなら、いまここに静かであること、幸せであること、そう、なのですから、どうやってそれを手にした経緯とか、その理由、根拠であっても、そう、であるそのことのほかのことで、まったく不要です。

しかし、不幸であること、満たされてないなら、その原因や結果を探るかもしれません。そのように探ることが、整ってないこと、不吉なこと、不満なこと、その現れです。これは思考は空想と気がつく機能はないようですが、空想の因果の思考と呼べます。それは、あーでもない、こーでもない、どーでもないの、空想です。

No.4677 - 2014/07/16(Wed) 08:30:22

Re: / ubik0101
その静かであること、幸せであること、満たされてること、それは空想が壊滅した、ということです。しかし、空想が壊滅したから静かだというのは、不要な説明概念です。そんな説明さえ、その静かさ、幸せ、満たされてる、とは別のことです。

そこで一般的な不都合、たとえば貧乏、友人、親が死ぬこと、四苦八苦。そこで、その原因や結果を探る空想の因果を立ち上げる必要があるでしょうか。あるいは空想をしないと頑張る、自分には悪いことは起こらないと思考する必要があるでしょうか。いいえ。悲しければ、悲しめばいいです。悲しくないなら、そのままです。

No.4678 - 2014/07/16(Wed) 08:33:16

Re: / ubik0101
さて思考は・・・なにかを思考しても、思考しなくても、こう、だという、こう、を引き出すというだけかもしれません。たとえば自分が死ぬことを考えると、恐怖でした。それはそういう思考がある、その思考がないなら、恐怖はない、と判断でき得ます。思考が問題だ、というわけです。

しかし今は、自分が死ぬことを思考しても、それも楽しみなのです。思考してなければ、もちろん何も感じていません。ということは、思考は起きると、その背後にあって見えない、その人の状態を一緒に引き出す、吊り上げる、そんな働きをしてるのかもしれません。

No.4679 - 2014/07/16(Wed) 08:35:11

Re: / ubik0101
もしなにか問題としたら、その思考というより、思考することができないその人の状態、と言えるかもしれません。で、最初に戻って、たとえば空想の因果の思考があろうがなかろうが、問題は思考ではなく、あるとしたら、その人の状態、と言えるかもしれません。


フェイジョア 「ジェミニ」に幼果がつきました。まだ木が小さいので、大きく育つかわかりませんが、最初の実、楽しみです。

ubik0101&hato

No.4680 - 2014/07/16(Wed) 08:36:41