たとえば静かで、幸せで、満たされてるなら、そのことの理由や原因、経緯など、持ち出す必要がありません。なぜなら、いまここに静かであること、幸せであること、そう、なのですから、どうやってそれを手にした経緯とか、その理由、根拠であっても、そう、であるそのことのほかのことで、まったく不要です。
しかし、不幸であること、満たされてないなら、その原因や結果を探るかもしれません。そのように探ることが、整ってないこと、不吉なこと、不満なこと、その現れです。これは思考は空想と気がつく機能はないようですが、空想の因果の思考と呼べます。それは、あーでもない、こーでもない、どーでもないの、空想です。
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No.4677 - 2014/07/16(Wed) 08:30:22
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