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記事No.4707に関するスレッドです

(No Subject) / ubik0101
ここで、ふっと
過去を
吹き消してみることにします。

あの時の、あの失敗とか、
あの悔しさとか、あるいは楽しい、辛い
あらゆる思い出・・・自分の誕生日、性別、年齢、学歴、職歴、
隣人、友人、家族、とかも、
思い出さないで、過去を吹き消してみます。
その、なにもない
ところから始めます。

でも過去の出来事を想起して、それを消すというのは
その過去という前提がなければできないので、消そうとすることが、
その前提があり続ける一連の運動にあるので、
過去を消すのは困難に思えるかもしれません。

No.4701 - 2014/08/14(Thu) 08:46:25

Re: / ubik0101
しかし・・・そうではなく
過去の出来事を思考した時だけ過去は見えるのですから
意識が何かの過去の出来事に接着してない、
♪ここに幸あり、青い空・・・なんの変哲もない、普通の日常。
ここから始めるということです。
これより簡単なことはない、です。

たとえば、あっ、地震だ、というとき過去は吹き飛んでいるでしょう。でなくても普通のなんでもない日常。ここで、過去から決別してる、それだけです。ここにこうしてる、たとえば顔を洗う、歯を磨く、草むしりする、文字を打つ・・・そのことが、すでに過去の消去です。

では、未来も
消してみましょう。
というより過去がないなら、すでに
未来は消えてる、です。

No.4702 - 2014/08/14(Thu) 08:47:27

Re: / ubik0101
たとえば冷たい水を一気に飲むとき、過去も未来もないです。いまここ、ということもないです。そのように、この夏の夜、部屋にいて、ここで聞こえるのは夜の蝉の声・・・なにかそれでありながら、知ることのできない、これがそれ、です。

では逆に、始りもない遥かな過去に向かって・・・江戸時代・・・紫式部・・・
イエスキリスト・・・ジュラ紀・・・宇宙開闢・・・に
思いを馳せてみます。

そして終わりのない遥かな未来を肯定してみましょう。
東京オリンピック、リニア新幹線、宇宙植民時代・・・
エイリアンとの遭遇、宇宙の再収縮?・・・果てしない時間の果てを肯定してみます。

No.4703 - 2014/08/14(Thu) 08:48:17

Re: / ubik0101
これは、極限まで進めることができるでしょうか?
できる範疇も、自分の知ってる範囲の思考ではないでしょうか?
そのずっと過去も未来も不明の
自分を中心とするこの狭い時間帯にあって
あれこれ空想、思考してるだけと気がつくのではないでしょうか。すると、

どうしようもなく、この・・・ここには
なにか、これ、このことしかないことに気がつくでしょう。
たとえば、
夏の夜の静かな虚空に虫の声。

これはどういうことでしょう。

まとめると、過去、未来を否定しても、
また逆に肯定しても、
どちらも結果は同じです。
それはその思考が空想であると気がつき、自分で自分を閉じて
世界を開いてしまいます。
そいうことがなにもない、ここから始まるということです。

なにか問題だとすれば
いまここでないことを、いまここだと思うこと。
自分でないものを自分だと思うこと、
そのようなことが問題です。

No.4704 - 2014/08/14(Thu) 08:49:11

Re: / ubik0101
このなんでもない、なにも知らない、これがそれ。
ここは総ての問題が解決されてる、というより
解決されるべき問題が起きようがないです。
これが日常というフィールドで
たとえば野球でショートの選手がボールを捌いてすぐ
その定位置に戻るように、これの
いつもの定位置で、そのまま静寂です。

けど、これで、いい?

そうです。過去未来を思考しても、そこで嫌な感情が起きても、なんの問題もありません。ここの説明は困難ですが、そいうことは理解して巻き込まれなければ、それでなにが問題なのでしょう。

という理由だけではなく・・・迷いと覚醒、なんの違いも見つからない、のです。すくなくても、自分のことを検討したら・・・ほかの誰かの状態を想定して検討、判断したら違うかもしれませんが、なんの違いも見つかりません。

No.4705 - 2014/08/14(Thu) 08:50:41

Re: / ubik0101
これはたぶん認識でき得ること、意識でき得ることの問題ではないのだと思います。なにか問題に巻き込まれること・・・問題があっても、なにも問題がないです。それは世界の運動です。自我も無我も世界の機能です。

しかし、真我は、そうではありません。と、言ってしまえば、それは実在との関係にある、ということで結着してしまいます。人としてはこれが限界です。しかし、その先に、

ずっと先に・・・♪どこまでも行こう、道は果てなくても・・・この世界では、真我と自我となんの違いも説明できず、正しさということは示せないように思います。でもま、♪口笛を吹きながら、どこまでも行こう。

No.4706 - 2014/08/14(Thu) 08:58:44

Re: / hato

長空白雲の飛ぶを礙えず

という偈があるそうです。

世界では多くのことが日々起き,語られ,攻防されるのを見ます。
そんな夏の夜は,半分ずっこにして,冷たいアイスを食べます。

わたしは十分休息し,遊び,食べ,仕事をします。

日常の泣き笑い,そんなことや,あんな言葉は多く流れ,過ぎていき

わたしはそれらを,つと置き去って

それというところのこれに,

いそしむのです。


静岡はメロンの産地で,夏場になると
ご近所さんから美味しいメロンをいただきます。

No.4707 - 2014/08/15(Fri) 22:51:03