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記事No.4753に関するスレッドです
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みどりの庭から。
/ ubik0101&hato
引用
ゴブレット仕立てのイチジク、桝井ドーフィンです。今年から本格的に実がなり始めました。
No.4739 - 2014/10/07(Tue) 12:08:09
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101&hato
引用
4つに切ってナイフで皮を剥くと、これがなかなか、儚いような繊細な味覚です。これまで桝井ドーフィンは雑味が気になっていたのですが、これなら全然OKです。
と、思っていたのですが、近所からもらったものは、同じように皮を剥いても、うーん、でした。これは収穫時期とか、樹齢に関係あるのかもしれません。
そいえば去年の秋、木の周りをドーナツ状に掘って、たくさん藁を鋤き込んだり、微量要素だけの肥料、ハイグリーンを撒いたりした効果もあるのかもしれません。
ubik0101
ubik0101さんの今年のイチジクは,ふしぎとまったく雑味のない、スッキリさわやかに甘い、奇跡的な味わいでした。会社の舌のこえた同僚がひとつ食べ、「こんなに美味しいイチジクは初めて食べた、いままでイチジクって美味しいものだと思わなかったの。」と言ってくれました。
とても嬉しくなりました。
hato
No.4740 - 2014/10/07(Tue) 12:26:48
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101&hato
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それで、お世話になってる人のいい社長さんに採りたてをお裾分けしたら、次の日、さっそくジャムにしてきてくれました。本当は、そのまま頂いてほしかったのだけど、イチジクはジャム、て決めてるようでした。
それがまた、ちょっとすてき、な出来で。ほとんど砂糖を入れないで作ったそうで、心憎いほんのり朱の色味と、イチジクのよさが活きた、ささやかに上品な味でした。よほど美味しかったんでしょう、ubik0101さんがあっ!。。という間に食べてしまいました。
hato
No.4741 - 2014/10/07(Tue) 12:42:32
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101&hato
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これはナザレという種類のイチジクです。熟しても皮が黄緑です。癖のない甘さで、上品です。たぶん来年には、リサ、カドタ、セレスト、ブリジャソット・グリース、ビオレソリエスなどが結実しそうな気配があります。
No.4742 - 2014/10/07(Tue) 12:51:37
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101&hato
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パッションフルーツの実、紫色になって自然に落下したのを拾って、全体にしわしわになるまで追熟しました。その間、とてもいい幸せの香り・・・ふたつに切って食べてみると、これが意外に甘くて、フルーティです。この前どこかで買ったのは、皮が黒く固かったので、食べごろを過ぎてたのかもしれません。これなら畑に棚を作って植えるのも、充分にあり、です。
ubik0101
ほんとに香るたび、気持ちも身体も華やぐようです!味はグァバのようで、でも実がやはりパッション。噛むとパチン、パチン、と鳴ります。
hato
No.4743 - 2014/10/08(Wed) 22:17:15
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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たとえば優しさとは何だろう。どんなことなんだろう?思考してみよう。暖かく人に接することだろうか?いや厳しさが必要なら、ときに非情になることだろか?
いや、そのようなことの程度問題の関係ではなく、どのような・・・旅人に対する太陽にも北風にも拘らず・・・極端に偏らないこと、そんな思考には囚われないこと、だろうか?
いや、どこまでも許すということだろうか?いいえ、優しさとは、そのようなさまざまな状況の空想、つまり対象として思考され得ることではなく、単に、この自分が、ない、ということです。
このように、あるいは様々に思考したり、行動したり、発言したりしてる、この自分が、ない、ということ、それゆえ優しさは様々に探る思考には掴めないと、思考されます。
No.4744 - 2014/10/30(Thu) 10:07:11
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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そいえば今年の祭典委員の集まりで、お菓子や玩具とかは50円くらいのものだし、利益を出す必要はないので、子供みんなにタダであげたら?という意見がでました。
すると祭典委員長が、それだと、あの子は貰えたのに、自分は貰えなかった、という不公平があるかもしれない。だから、公平を期すために売るほうがいい、と答えました。
祭りの射的に並ぶ子供達です。コルクの弾3発で50円です。
No.4745 - 2014/10/31(Fri) 09:30:01
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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うーん、ある意味では納得?ある意味では納得できない?ところで公平とは何だろう。この村の祭典委員や役員を決めるのに、公平さが問題になったりすることもあります。
これも、様々な事例を思考すると結論は困難かもしれません。さらに善とは、何だろう。どれも実は、自分は、ない、その特質ではないだろうか。
今年も電飾屋台を引っ張って歩きました。
No.4746 - 2014/10/31(Fri) 09:33:20
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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すると、優しさ=公平さ=善とか思考してしまいそうですが、それは自分が、ない、そのことそのものではありません。ない、に気がつく経緯として、それらは役に立つこともあるということです。
またたとえばさらに注意深いこと、誤摩化さないこと、それらその経緯を、一つしかない道として拘ることも、どの道を通っても結果は同じとかも、さらさら不要です。
それら優しさは、公平さは、善・・・は、その人がそうと、認識しなくても、認識しても、そう、です。この自分がない、ということも、そう認識しなくても、しても、そう、です。
この自分が、ない、ということは。自分で自分を自覚できないということは。人が完全だということです。あくまで喩えですが、部屋や庭でも手入れが行き届いてないところが目立つのです。
もちろん優しさは、公平さは、善・・・は、自分を守らないこととか、ほかの結論をだすこともできるでしょう。それで無問題。なにを誰がなんと言おうと、それはそれ。
フェイジョアの実、だんだん大きくなってきました。
No.4747 - 2014/10/31(Fri) 11:17:23
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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たとえばフェイジョアは、どうだろう。村の秋祭りは、どうだろう。綿菓子はどうだろう。もしかしたら、好きかもしれません。嫌いかもしれません。
それは過去かも、未来かも、嬉しいかも、切ないかもしれません。また知らないことも、無関心なこともあるでしょう。もしかしてそれは人それぞれかもしれません。
ここで、さまざまなもの、こと、たとえば子供達が乗る電飾屋台、と祭り青年、あれ・・・感覚や感情、これ。その、あれと、これを結びつけてる何かを認識できるでしょうか。
No.4748 - 2014/11/02(Sun) 09:05:33
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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つまり、あれ、と、これ、を結びつけてる、関係づけたり、関係がなかったりする、させる、その中心、その、なにかは、ある、でしょうか?これは、認識することができないかもしれません。
ない、かもしれません。逆に言うと、なにかがあって結びつけるのではなくて。あれこれを結びつけるから、結びつける中心、何かが、ある、ように感じるのではないでしょうか。
けど。この自分にあっては中心が、ある?ない?を、探ってみると、なにか、あるように感じるかもしれません。しかしそれは探る前提が、すでに、この自分があるから始まってるから、あると感じなくては変なのです。
No.4749 - 2014/11/02(Sun) 09:23:09
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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たしかに認識できるのは、それ、と、それ。たとえば横笛、太鼓の音、夜の風、家々の明かり、そのさまざまな印象、気分、感情、さまざまな思考・・・です。それは知覚にあってはそうです。
ここで。これは関係だけがあるのです。関係づけるもの、結びつけるものがなく、関係だけがあるのです。と、いうのも思考です。すでに、そう思考する必要はありません。
もちろん、なにも結びつけなければ世界は無意味だ、とか。その自分が、ない、ということも思考するとしても、それに依拠する必要はありません。
そこで、それでも祭りの後、秋が深まり、青空が澄み渡り、隣家の娘が飼い犬に引っ張られるように笑いながら散歩する・・・この神秘、驚異。これが楽しく幸せでない人はいるでしょうか。
2年間任期の祭典委員の打ち上げに行った店のトイレに、水鉄砲がありました。
No.4750 - 2014/11/02(Sun) 09:31:17
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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ただ、なにかと何かを結びつけることも、なにも問題はないです。不適切な、結びつけが問題?結びつける自分があるのが、問題?いいえ、なにも問題はないのです。
ただ、なにかの結びつきがない解放を提示するために、とりあえず説明として、たとえば思考に、プロレスで言えばヒール、悪役をやっていただく、ということです。心理的な過去未来を、悪役としてキャステングする、ということです。
ところで仏陀は、縁起を説いたと思われてるかもしれません。しかし、そうではなくて縁起の生起と消滅を説いたのです。あれとこれを結びつけること、それがその形式です。
その消滅、それは、いまここ、と呼ばれ得ます。無明の撲滅は望ましく、心理的な思考だけでは人生がもったいないし辛いだろうから、そいうことを明らかにするために、あるとかないとか分離とか融合とかに、悪役を演じてもらうということです。
No.4751 - 2014/11/02(Sun) 13:15:46
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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それで、ここ静かな岡の片田舎では、なぜだか、プロレスで言えば、総てはひとつとか、いまこことか・・・そんなこと認識してもしなくても、それはそれ・・・に悪玉をやってもらっています。
ひょっとこも祭りとなると、なかなかいいことを言うものです。
No.4752 - 2014/11/02(Sun) 19:05:16
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Re: みどりの庭から。
/ hato
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楽しみにしていたフェイジョアの実が落ちたので、パパが早速とってきました。日付と品種を書き、2週間追塾させます。マスカットに似た香りがしています。
No.4753 - 2014/11/03(Mon) 09:58:32
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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たとえば、誰かから嘲られたとします。そこで反対意見を言ったり、怒ったり、我慢したり、嘲り返したりするとします。それは、なんのためにするのでしょう。
まあ自然な反応とか、習慣とか、みんなそうしてるからとか、嘲る人に対する教育的指導とか、いろいろな理由はあるかもしれません。
しかし、それは嘲られた自分を守ろう・・・攻撃は最大の防御・・・それをそうだと認識しなくても・・・だということもありそうです。
No.4754 - 2014/11/05(Wed) 19:44:26
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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そうだとして、何を守ってるのでしょう。そう、ない、を守ってるのです。反撃したり、無視したり、恨んだり、逃げたりして、ない、を守ってるのです。
でも実は、ない、なら守る必要はないのです。それが明らかならば、そこに人間関係にあって、優しさが、公平さが、善が醸し出される、です。
そうではなく、たとえば優しさが、公平さが、善が、どういうことかと具体的に対象として思考して定義しようとしても、定義できないのではないでしょうか。
No.4755 - 2014/11/05(Wed) 19:47:10
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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また優しさは、公平さは、善は、自己犠牲とか、受動性とか、争わないこととか、それを対象にして思考するなら、その反対の、類似の、無関係の思考に紛れ込みます。
そのように思考は(実は、発言は、行動は)、定義され得ない、結着され得ない、ということにあって、そんな思考に頼ることはできない、ということを常に訴えてるのです。
あーでもない、こーでもない、どーでもないと思考する葛藤は探求ではなく、そんな思考の仕組みに依存してるだけです。ここで人がそれに顛倒してるだけです。
No.4756 - 2014/11/05(Wed) 19:52:08
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Re: みどりの庭から。
/ ubik0101
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この自分が、ないなら、顛倒のしようもないのです。依存のしようもないのです。優しさ、公平さ、善(その思考)に、依存の必要もない、のです。
いつだって思考は予め破綻して、生起してるのです。ここでは自分は、ない、ということで説明していますが、とくにそれに拘る必要はありません。
No.4757 - 2014/11/05(Wed) 19:54:17