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記事No.4771に関するスレッドです

なんでもない、ない、私。 / ubik0101
もうずいぶん前のことですが・・・たとえば絶対の真理を誰かが発見して、紙に書いたとして、それが誤ってゴミ箱に捨てられ・・・燃やされ永遠に失われた・・・この現実。ね、現実って、凄いんだ。

と、こんな話を俳句が趣味の友人にしたことがあります。なんのことかと怪訝そうな顔をしていました。ほんとに何もかも起こるけど、何も起こってもなかったかのようにある、この普通の日常。

たとえば自分は悟ったとか、自分はないとか、総てはひとつとか、いまこことか、神とか、仏とか、そんなこと、はじめから何もなかったように早朝の冷たい風、柿を食べる2羽の野鳥。

No.4758 - 2014/11/17(Mon) 06:58:58

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
なんでもあるから、とくになんでもない、とかも思うまでもなく、この日常に埋没して、捨てても捨てても失われることも、得ることもなく、というような思考も生起しないここです。

たとえば誰か・・・悟ったら、
自分は悟ったと、24時間ずっと思ってるでしょうか。
また総ては一つでも、いまここでも、
ほかの何でもいいですけど、そう確信したというか、
体験したというか、それで、寝ても覚めても、
そいうことを感じたり思考したりしてるでしょうか。

このように、あえて忘れるわけではないけれど、どんなに印象的な体験でも、ご飯を食べたりしてて忘れてるのです。このなんでもない日常茶飯事。この春夏秋冬。花鳥風月。

ということも念頭にない、いつもこのここが始りです。ここから、たとえば自分は、ない、ということが、優しさが、公平が、善が、神が,仏が、どのように見えるか、ということです。

No.4759 - 2014/11/17(Mon) 07:07:08

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
それはもちろん、そんな体験の当初は、忘れてるなんてとてもできない、忘れてることに気がつくと、なんだか取り返せないような罪悪感があったりするものです。

そこで、たとえば体験を捕まえてしまうと、そこでもう体験を対象とし、自分と体験が分離することもあるでしょう。それに気がつかないと、迷悟があり、それも構わないけど面倒で、まあ望ましいことではないです。

ここでは何度も言いますが
料理が消化されて血肉になったら見えなくなります。
そのように失う・・・体験を理解すること、
読み解くこと・・・それは
自然に進みますが・・・そいう経緯が機能することは
実は探求の間に
学ぶことですが・・・そんな
失いようでない忘れることは
問題が起きやすいでしょう。

No.4760 - 2014/11/17(Mon) 12:08:03

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
そうではなく悟りが総てになると、
迷いがなくなる・・・迷いも
ある意味、悟りになる・・・対比し得なくなり・・・捕まえる
こととしての悟りもなくなる。で、悟り終わって悟りなし、
200パーセント元の木阿弥と、
どこかの禅の坊さんが言ったのでしょう。

ならば、そう、思ってなくても、そう。です。
たとえば人は自分が人と思ってなくても人で、
人と思っても人で、思うことに左右されないのです。

この意味で、悟りなんかない、
というのも、ありです。
なにかがないということは、
総てを見なければ言えないです。
このなんでもない日常がないと、そいうことも
不可能に感じます。

とても深い世界の融通性があるためでしょう。これは、
その理解ありと、
その理解なしの忘れるということとの違いは。
たとえば自我であって自我に気がつかないこと、と
自我でなくて自我でないを
忘れてること、頓着しないこと、
拘らないこと、違ってもその説明は困難です。
だから同じとは・・・人には誰も違いがない
とは言っても・・・言えないところです。
なお、悟りを捕まえること、
あるいはただ悟りを忘れること、
誰もがそうあり得るのですが
そうする必要はないです。

No.4761 - 2014/11/17(Mon) 13:43:19

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101&hato
フェイジョア、追熟が済んだので、味見しました。クーリッジ、ジェミニ、アポロは品種が違っても差はほとんどありません。まあ、子供用の甘いミントの歯磨きに、なにかバナナと桃を混ぜたような癖のある後味です。ユニークは、そんな癖はなく、食べやすく感じます。マンモスは、梨のようなツブツブ食感で、これはいいと思いました。そして追熟するよりは落ちて間もないほうが、爽やかで好みにあいます。

ubik0101

ようやく寒い季節到来です。
なんてはやい、一年なんでしょう。もう霜月。11月も半ばです。
暦をみるたび驚きながら、日々の生活。
たったいま、ubik0101さんが切ってくれたフェイジョア、マンモスの実は、
落ちたばかりだそうで、それが美味しいのでびっくり!

冷たい果実の鮮やかな甘みが、ぐっと舌に響きました。

hato

No.4762 - 2014/11/18(Tue) 19:28:10

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
ゴールド免許を持ってて、それは免許を取って以来全然、車の運転しないから実は、そうなったという場合があります。そしてゴールド免許を持ってって、毎日のように運転する場合があります。これは違う?同じ?

これまで違反も事故も起こさないといっても、そもそも免許を持ってないで運転できない、があります。これまで違反も事故も起こさないで、毎日のように運転してゴールド免許ということがあります。

そして免許を返還したけど、当然、運転の技術を失ったわけではない、があります。はじめから免許を取ってもない、があります。どちらも無免許です。つまり同じと言えば言えるけど、違う・・・そんなことをふと思いました。

No.4763 - 2014/11/19(Wed) 07:21:08

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
それでたとえば、自分はない、それはそうだとして。なにか前提になることがあって・・・たとえばずっと自我だと気がつかないまま自我だったけど、自分はないと気がついた・・・といった場合その自分はない、は分かってるのです。

でも、でも、では、ないということはどういうことなんだろう。その前提を取っ払って、ない、に直面してみましょう。ない、それは、どういうことか分かるでしょうか?もしかして分かってないことに気がついたのかもしれません。

ここでひとつには・・・ない、の意味はともかく、こう考えます。ない、それはなぜ、ない、なのだろう!そしてたとえばなんでもいいですが自分で確認した、真理・・・確かな事実・・・と思われることについて、探ってみます。

たとえば総てのことは縁起(めちゃくちゃ変な言い方ですが、それはそれとして)によって起こる。また、総てはひとつ、いまここ・・・それは、なぜ、そうなんだろう。すると、なぜそうなのか理由など、まったく知らないことに気がつくのではないでしょうか。

なぜ、うどんの味が、うどんの味なのか?なにも分からないまま、このうどんは美味しいとか、好きとか,嫌いとか、伝統があるとか、贈り物にするとか、言ってるのです。それで、うどんが分かった気になってるのです。

そして、知り得ないことには・・・説明ですが・・・人は依存することができない、です。そして、知り得ることは、なにもない、です。世界とは、そのようなことです。

No.4764 - 2014/11/19(Wed) 10:50:32

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
ではこのことは、どういうことなのでしょう。前提を取っ払う・・・それは、なぜそれ・・・これは、その自分の経緯の消滅、物語の消滅、たとえば・・・私は悟った、私は迷ってる、総ては一つ、いまここ、みんな縁起で起きる・・・なんであれ、その物語、縁起の壊滅です。
No.4765 - 2014/11/20(Thu) 09:59:58

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
これは自然の道です。縁起の生起と消滅。そう意図して歩くわけでもなく、そう意図しても変わらず、真っ直ぐでも、曲がりくねってもない、春夏秋冬、花鳥風月、雨風晴れ曇り、自然の道、それが、この風光です。
No.4766 - 2014/11/20(Thu) 10:00:58

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
なにも変哲もないここは実は
汲めども尽きない泉です。断言できます。
みんな人は、ここにいるのです。
縁起も、いまここも、悟ったも、
迷いも、消滅した、
ここに誰もがいるのです。

まあ説明すればですが、
縁起にあってはいかなる縁起(その概念)もない、
いまここには、いまここはない、です。

No.4767 - 2014/11/20(Thu) 10:04:25

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
この日常にあって、
この日常に依存しない、
です。この日常がない、ゆえに、
この日常に依存しない・・・もちろん、
そうであっても無問題ですが・・・ではないのです。

迷いがない、ゆえに
迷いに依存しない、怒らないゆえに
怒りに依存しない・・・そうであっても
無問題ですが・・・ではないです。と、
いうようなことも壊滅してる、です。

No.4768 - 2014/11/20(Thu) 10:08:45

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
しかしここを、たとえば煩悩のままに悟るとか、静寂を目指すとか・・・思考で捉えると・・・それはそれでまた、構いませんが、ちと面倒です。たとえば、努力といまここその両方必要、とかは、全然、砂上の楼閣です。そもそもそんな話ではないです。
No.4769 - 2014/11/20(Thu) 10:11:35

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
たとえば・・・辛い感情や思考は起こってもすぐに去って痕跡を残さないとか。人間関係や出来事によって起こる、気分や雰囲気、情などに左右されない、とかいうことは・・・そうと意図しないでも、そうと認識しないでも、この縁起の発生と壊滅の、自然の道を歩いてると言えます。
No.4770 - 2014/11/21(Fri) 06:30:00

Re: なんでもない、ない、私。 / hato

それは,そうでしかない普通のことですが,情が一義,関係性が一等大事の人からみたら,冷淡とか,そっけない,とか,なにか人として欠落しているような,風変わりな人に感じられることが,あるかも知れません。

なので,人の動向のあれやこれに過敏な社会に,生きやすいとはとてもいえませんが,それでも世界は,知るとも知らないともなく不可知に絶妙に,誠実にあること,ないこと,に応えてくれるようです。

そういえば,「人は言葉にやられるんだ」と,なにかドラマの台詞が言ってました。

こうした言葉,ああした言葉に過剰に意味を与えることもない,それも成長の過程として,自然に起きることと思います。

2猫はすっかり大きくなりました。
寒いので,よくこうしてくっついてます。

No.4771 - 2014/11/22(Sat) 00:02:49

Re: なんでもない、ない、私。 / ubik0101
この世界にあって人は・・・戦争がある、平和がある、苦しみがある、楽しみがある、努力、怠惰がある、迷いがある、悟りがある・・・森羅万象の機能する、ある、ことによって・・・そんな世界の依存から離れる・・・そんなただの日常でなくて、どうして、解脱、がありえるだろう。

ここは表現は微妙ですが、この世界がないことによって・・・戦争がない、平和がない、苦しみがない、楽しみがない、努力,怠惰がない、悟りがない、迷いがない・・・森羅万象が機能しない、ない、ことによって・・・この世界の依存から離れるのではないです。

ちゃんと独り立ちした娘や息子が、ことさら親に執着する必要も、親を厭う必要もないように。この世界を厭うのではなく、愛着するのではなく・・・あるとないの森羅万象、その総ての色を重ねると透明なように世界は透明で・・・どちらにも依存しない。《この世も、かの世も、ともに捨てる》、と言われ得る、それが可能な、この世界です。

No.4772 - 2014/11/24(Mon) 09:54:54

Re: なんでもない、ない、私。 / hato

街に出ると,もうクリスマスツリーや飾りがキラキラしていました。

玄関先の小さな姫ヒイラギの鉢植えが,今年の我が家のクリスマスツリー。一昨日,一緒に飾り付けしました。

とても可愛いツリーです。

No.4773 - 2014/11/26(Wed) 22:39:40