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記事No.4891に関するスレッドです

日常。?C / ubik0101
ところで話を戻します。完全なバラバラも、完全な融合も、思考としても、事実としても、あり得ない、ということでした。どちらかであっても、それがそれだけで完全であれば、それをそれとして認識できません。そして、事実として、そのようであれば、この現実は、こうであり得ません。

つまり、様々な意見、思考、事実の区別なく、極限は成立しないのです。これはなにを意味するのでしょう。そこで、総てはひとつながりで関係し合ってる。因果関係にある。世界は実在ではなく、現象である。多様である。無常である。

とか、思考が落ち着きやすいのですが、しかーし。ひとつながり、には思考としても、事実としても、ひとつながりは成立しない。因果には、思考としても事実としても・・・収縮あるいは拡散・・・してしまい因果は成立しない。です。これはどういうことでしょう?

No.4886 - 2015/04/03(Fri) 08:59:00

Re: 日常。?C / ubik0101
この世界は始まりも、終わりもないのに、桜が咲き、雨が降ったり止んだり、人が畑で働き、なにか思考し、モズが飛ぶのを見ます。そんな、たとえば、どんなことでもなく。どんな判断にも、接着しないでいること。自分にも落ち着くところを見つけないこと、はできないでしょうか。

もちろんことさら回り込んで言うなら、そーいう落ち着かないところにも、落ち着かない、で。とくに宙ぶらりんでなく、です。そんな雨が降ったり止んだり、バッハを聞いたり、それが、総てが壊滅した、あるいは何も始まってない、この日常です。

説明ですが、どんなことにも落ち着きどころがない、この日常。どんな極端もない、これを無常ということとも判断しない。なんの支え、拠り所、根拠にも、また自分の根拠にもしない、できない、この日常。それがそのまま、解脱そのことです。

No.4887 - 2015/04/03(Fri) 18:59:19

Re: 日常。?C / ubik0101
もすこし説明します。まず、なんだか因果を認めるとします。そうならば、それが、どこか(の時点)で始まるというのは変なのです。それで、それが終わるというのも変なのです。世界に始まりも終わりもありません。

その因果の後先は、見えません。つまり何だかの繫がりの見えてる範疇、意識の範囲だけで、その範囲にないことは暗い、冥い、のです。その見えてるような気がする範囲を因果と呼んでるだけです。

つまり因果は、因果として確定して成立、していません。なのに空は晴れ、自転車で散歩。風が吹き緑が育ちます。この現実は夢か幻か、という判断もなく、なにも頼ることもできない、にも頼ることもできないこの日常です。

スナップエンドウの株間に、改良短形ジネンジョの種芋5本1000円を植えてみました。どう育つか、楽しみです。

No.4888 - 2015/04/04(Sat) 14:27:04

Re: 日常。?C / ubik0101
たとえば、こういう・・・世界は無意味、人生は無意味・・・とかいう思考があります。なんか忘れましたが、岩波から出版された昔の中国の禅の書を訳した、どこか大学の教授が、禅は無意味を旨とするとか、そんなことを言ってました。

その思考を、森羅万象に適応しましょう。たとえば、自分の誕生、学生時代、親友、喧嘩、怒り喜び悲しみ、飲食、快不快、損得、好き嫌い、結婚、子供、職業、経済、研究、死、それも総て無意味なのでしょうか。そこでもう大概その思考は破綻します。

そして、その思考を、その思考に、つまり世界は無意味、に適応してみましょう。それは、世界は無意味ということは無意味、で・・・つまり《無意味という意味》に囚われるのでなければ・・・思考として成立しないのです。

そのように思考は壊滅するようにできています。そんなことに依存の仕様もないのです。そして思考は・・・たとえば無意味という意味を隠し持って偏って・・・無意味から自分を度外視して・・・無意味とは何かを知らないことを前提にしてしまって・・・予め破綻して成立します。

どこにも自分の根拠に出来得ないのです。そして究極はないです。それは、もの、こと、知覚、感情、思考、総てそうです。これを無常と呼ぶなら、無常とは解脱そのことです。なにも依存でき得ない、にも依存でき得ない・・・ごく普通の日常。

No.4889 - 2015/04/07(Tue) 09:37:39

Re: 日常。?C / ubik0101
それは高校生の時のことです。とある女子に一目惚れしました。見た瞬間に好きになってしまいました。とても内気な自分としては、ずっと片思いで2年間、寝ても覚めてもその女子のことを思い続けていました。

そんな、あるとき家のソファに寝転んでいて、はっ、として起き上がったのです。いま、その女子のことを考えてない、ということに気がついたのです。そーか、その女子のことを考えてなくても、生きてけるんだ!というくらいの驚きでした。

なにか考えなくても、生きてける。それだけのことなんですが、ぱっと世界が新しくなったような発見でした。ところで、あーでもない、こーでもない、どーでもない、という人間関係の悩みがあるとします。それはなぜ起こる?

シャリシャリとした食感のキクイモ、放置してたら芽がでていました。これも畝に植えてみることにしました。キク科ヒマワリ属の多年草だ、そうです。

No.4890 - 2015/04/08(Wed) 10:11:53

Re: 日常。?C / hato

今日は春雨が降ったり止んだりの、しずかな一日でした。

今年も桜がいまひとつ元気ないのですが、新芽は出てきているようです。

すこし前のクロッカスです。

No.4891 - 2015/04/08(Wed) 23:01:10

Re: 日常。?C / ubik0101
それはなぜ起こる?実は・・・あーでもない、こーでもない、どーでもない、という人間関係の悩みの原因は・・・解らない、のです。これ、結構、大事なことです。
No.4892 - 2015/04/12(Sun) 20:13:30

Re: 日常。?C / ubik0101
つまり人は、何がなんだか解らないことに悩まされ、何がなんだか解らないことから離脱するのです。もしかして・・・なんであれ極端はないですが極端を言うとして・・・何がなんだか解らないことでなければ、束縛と解放、は起こらないのではないでしょうか。

これ、という何か明確なことが原因だとしたら、それに囚われる、それから離れる、そんなことは起こらないでしょう。いや違う。原因が解らないのではなくて、思考が原因では?感情では?気分では?という意見はあるでしょう。

これは徹底して探ってみればいいでしょう。悩んである、その奥、その裏、そこに何かありますか?悩んでるという事実のほかに何か?なんでもいいですが、たとえば片思い、失恋。なぜそれが、苦痛であり、悩みなんでしょう?

No.4893 - 2015/04/14(Tue) 19:52:11

Re: 日常。?C / ubik0101
たとえば、誰かから貶されたこと、無視されたこと、そのことに悩むとしても、その理由、原因が、その悩みのほかに、その悩みの深い底に、何かありますか?見えますか?たとえば、なぜ蔑まれたら悩まなくてはならないのでしょう?

それとも馬鹿にされたら辛いのは自尊心?その奥は?その奥は?もし馬鹿にされて、悲しいなら、なんか寂しいなら、なんか辛いなら、それを正面から、じっと逃げずに受け止める、そんなことも出来るのではないでしょうか。

なんだか、馬鹿にされたら反発するとか、落ち込むとか、意味もなく自動的に思考したりして悩んでるだけではないでしょうか。どうして、そうしなくちゃならない?なにか確たる理由があるでしょうか?もし理由があるとしても、その理由は誰が決めたのでしょう?

No.4894 - 2015/04/14(Tue) 19:54:27

Re: 日常。?C / ubik0101
いろいろ話は展開できるでしょうが・・・ここで言いたいのは悩みは、苦痛は、葛藤は、思考の、過去、未来の出来事が原因?いいえ、そのような見えることではなく、単純に、その自分には見えない自分が原因です。と、いうことです。

もし、思考が問題なら、思考がなければ解決?感情が問題なら、感情がなければ解決?隣人が問題なら、隣人がいなければ解決?それは限りがない・・・そんなことより・・・自分が問題なら、その自分が解決、でいつでもどこでも解決。

また、なんか悩むとします。それは人が、なにか素直でない真摯でない生き方をしてて、それを誤摩化そう、取りなそう、ということではないでしょうか。それなら、現実ではなく、その思考だけを、空想の人間関係を、どうこうしようとしても難しいでしょう。

No.4895 - 2015/04/14(Tue) 19:56:03

Re: 日常。?C / ubik0101
またそれは、そう悩もうとして勝手に、つまんないことで悩む、つまらない人であり続けるだけのために、悩んでるのです。悩むということは真摯であるということではありません。逆です。真摯でないゆえに、始まるのが葛藤です。

これは何回でもくり返します。そこで見える思考の所為とかにするのは、責任逃れです。そこで見えない、その人の所為です。なのに、思考の所為、感情の所為、過去未来の所為、分離の所為、誰かの所為・・・というのは、そんな愚かな自分であり続けるための方法です。

とても簡単な話をしたと思います。が、こんな意見には、いくらでも反対できるでしょう。いくらでも違うという事例や理由は見つかるでしょう。その人がどのようであるか?ということしか、誰にも、どうしようもないのです。

No.4896 - 2015/04/14(Tue) 19:58:25