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記事No.5059に関するスレッドです

another ward / ubik0101
たとえば、自我はその自分を知ろうとする働きです。それは周囲も自分も騒がせて、まるで泉を掻き回して、青空や、人や、森が、世界が映る静かな水面を知ろうとするようなことです。

つまり、逆です。しかも、その知ろうとしてる、自我の中心は、ない、です。これは、興奮させられる面白いゲームで、一生でもそれをやり続けることはできるのかもしれません。

ただ放置すること、たとえば誰かから見た自分、その誰かの意見、判断、軋轢・・・それを放置する・・・そんな簡単なこと。あまりに簡単で、つまらないのでしょうか。

けど、実際は、探求のほうが絶対に面白い。その部屋を見てみよう。その窓から外を見てみよう。そこには、自我も,無我も、意味も、不意味も、真我も、基底も、因果も、即今も、分離も、総て一つも、なにもない、です。

そのなにもない・・・説明するなら、自我も,無我も、真我も、意味も、不意味も、基底も、因果も、即今も、分離も、総て一つも・・・すべてあるから、特定の個別のことは、なにもない。

たとえば、光の色を総て重ねると、透明、になるように、赤も、黄も、緑も、特定のことは消えている。この世界そのことがそうなんだ。さらに説明するなら、絵の具の色を重ねると、黒くなる・・・自我はそのようです。

しかし、なんであれ、役に立つ。自我も、無我も、真我も、なにも排除することもなく、たとえば無我、それだけを採ると、それは狂った思考だ。真我だけを採ると、たとえば、総ては一つだけとると・・・それは自我だけに生きることと、さほど違いはない。

どうして、そんなに馬鹿でいられるんだ?

・・・・・・・・・

ほかの名前で、ほかの掲示版に、投稿してみました。

No.5058 - 2015/12/17(Thu) 10:03:08

Re: another ward / hato

それで、「すみませんね。夫はわりと正確に、性格がわるいんですよ。縁がないかも知れませんが、うどんをご馳走になりました。お身体大事にしてください。」と書いてみたら、翌日すっかり消去されていました。ま、そんなことも、いっかです。

すっかり師走。今月はしずかにグングン過ぎ行き、あと数日で仕事もひと段落です。すこしゆっくり、家のことをします。

日中、あかるい枯れ葉が煌めきながら舞っており、本当に美しい庭を見ました。

No.5059 - 2015/12/22(Tue) 22:38:40

Re: another ward / ubik0101
なんでもいいですが・・・窓の外の風景を見てみよう。青空。冷たい風に舞う枯れ葉。ほのかに遠くの山脈・・・たぶん南アルプス・・・そしてこの部屋・・・世界、それが神秘です。

なぜそうなのか?それは、人は、真理にあって、それを神秘と感じるのでしょう。つまり世界は真理です。なぜそうなのか?

なんであれ。冬、青空・・・自動車の音、蜜柑。甘い,酸っぱい・・・見える、聞こえる、味わえる、触れる、思考される・・・どんな、そのことも、そう、でなくていいのに、そう、です。

No.5060 - 2015/12/25(Fri) 10:09:47

Re: another ward / ubik0101
これは人が・・・それをイメージしては困りますが・・・自我、無我、真我・・・この今、時間、空間、実在・・・それらに浸透してる、偏在、ということです。

そうであって、それを自覚できない、どうやっても人は自分を自分で自覚され得ないけれど。そして意識?には、対象・・・鳥、雲、感情、思考なんであれ、焦点が合うところに接着しやすい性質があるけど

たしかに・・・赤い花、緑の山、青い空、は見えるけど、光そのことは透明なように。思考は見えるけど意識?そのことは透明なように。そうであって、そのことに捕われないように・・・これ、とも呼べない、これ。人。

No.5061 - 2015/12/25(Fri) 10:15:52

Re: another ward / ubik0101
キクイモを、タワシでよく洗い、皮のまま薄切りにして、一夜水で晒し・・・ゆず酢みそ、再仕込み醤油ニンニク、醤油味醂ショウガ、で漬けてみました。どれも、酒、ご飯に、なかなかいいです。
No.5062 - 2015/12/30(Wed) 08:42:48

Re: another ward / ubik0101
これが、この訳の判らない、どんなこととも言えない、これともいえないこれが・・・枯れ葉であり、花であり、青空であり、隣人であり、自我であり、無我であり、真我であり、

これはこれであり・・・あれはこれではない。です。これは世界は私を映してる、説明すれば世界は鏡・・・おおむね自我ってそうなんだけど、その粋・・・どっちかと言えば、これは、私は、ある。です。

そーいえば。中国の昔の禅者で、逆のことを言った人がいる。かれはこれだが、これはかれではない、だったか・・・世界は私だが、私は世界ではない・・・自分に世界が映ってる・・・説明すれば自分は鏡と、

いうのは世界に依存してることが主・・・そして依存してないが従・・・私はある、は幽かで・・・とても微妙な機微だけど、どっちかと言えば、これは、私は、ない。です。

そしてこのようなことが知覚に依存しています。この世界は不思議で、完全に個別のことも・・・と、いうのも世界から独立したことはなく・・・あったとしても、

それは知覚不可能。総て一つでもなく。というのもまったく均質ではなく・・・そうだとしても、それなら知覚不可能。あるでも、ないでもなく。ニュートラルでもなく、

たとえば光の色を重ねると透明なように。でなくて、どうして、あるとかないとか、ひとつとか、分離とか、自我とか,無我とか、真我とか・・・プリズムを透すように・・・それぞれの立場が可能になる?

No.5063 - 2015/12/30(Wed) 09:45:15