すこし纏めます。そーいう分類があるとしてですが・・・たとえ悟りでも、迷いでも、善でも、悪でも、美醜でも、自我でも、無我でも、真実虚偽でも、過去未来でも、今ここでも・・・知覚に依存する、
ということです。そいうことは限りない知覚野があるとして、そのどこかが活性化してるというだけ・・・しかも、その知覚野の、裏打ち、基底がない・・・これが、この、このこと、
そのことが・・・不思議、神秘という感覚です。世界が、神秘。生きてることが、神秘です。そして、ここで知覚がなければ、知覚に依存しないも、ありようがないでしょう。たとえば知覚がない、とします。
そこで、知覚に依存しない、も有り得ない、です。この世界に生きながら、 この世界に依存しない、それが世界にあって、でき得るということです。これは世界に、その裏打ちがない、基底がない・・・ぽっと、
この日常があるだけ・・・空とか、神とか、理念とか、地獄天国・・・まったくない・・・海と、波。根や幹と、花・・・実在と現象・・・もない《糸の切れた凧》であって・・・それはもしかして、なにかに依存する経緯を辿るなら、不安、恐怖を難じることかもしれません。
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No.5079 - 2016/01/26(Tue) 10:41:26
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