こんにちは。
こちらで質問させてください。
たとえば、そういう、すべてはひとつ、いまここ、神、基底、、、
それを思考するときに、まるで「これが本当はいっつもあって、これが真実で。」とか、日常より深い部分、をイメージしたりして考えてしまう。
でも本当は、そのように「これが真実で」なんて考えれば、その「これが真実で。」が。
湯を沸かせば、湯を沸かした、が。
迷っても悟っても、どう転んでもそれが。
日常そのものがすでにそれの表現になっている、ということでしょうか。
仕事をさぼって出かければ、それが。
(そう考える必要もない、ということでしょうか。)
いまいち打ち捨てる、が分かったような分からないような、でスッキリいきません。
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No.5088 - 2016/02/03(Wed) 16:47:02
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