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記事No.5110に関するスレッドです
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(No Subject)
/ hato
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3月3日、ひな祭り。まだ冷える空気感のなか、それでも日中はすこし、温かみが増してきたようです。
きのうの朝、起き上がろうとしたら、窓からの朝日がアクリルガラスのカーテンタッセルを通り、枕元の布団の表のあちこちに、きれいな虹のスペクトラムを映し出していました。
No.5104 - 2016/03/03(Thu) 22:33:35
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Re:
/ hato
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ほんとにきれいね!
ちょっと嬉しくなる、
ほんの小さな、春のできごと。
No.5105 - 2016/03/03(Thu) 22:38:03
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Re:
/ ubik0101
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これは確かにそうだと思うけど。思考が問題ではなく、その思考する・・・自覚でき得ない思考する人・・・それが問題なんじゃないかな?
過去未来・・・時間・・・が問題なんじゃなく・・・その自覚できないその人が問題なんじゃないかな?
説明すれば、たとえ問題があっても自覚できない自分の様子を・・・思考とか、時間とかに被せて見えるようにして・・・問題としてるのじゃないかな?
No.5106 - 2016/03/06(Sun) 19:31:43
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Re:
/ ubik0101
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この庭を縄張りにしてるモズは、働き者です。これもブルーベリーの枝です。
No.5107 - 2016/03/07(Mon) 17:20:45
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Re:
/ ubik0101
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まあどんな意見も、それで納得でき得る前提があったりするものですが・・・自分には問題がないんだ、思考は問題だ・・・というのは、あまりに責任転嫁で変でしょう。ただ、
たとえば道を歩いていて転んだとして、その原因になった、小石が悪いんだ。という意見もないことはないのです。また、あーでもない、こーでもない、どーでもない葛藤、心理的思考、自我の働く最中に、
この自分は問題ない、思考も問題ない、という意見を持つこともあるかもしれません。もちろん、まったく葛藤なしに、平穏にあって同じ意見を言えます。ふつう思考は、その思考を成立させる前提が必要で、
しかもその前提は数学の公理のように、ある意味、疑い得ず、その思考にとっては、盲点、のように不可視です。それがその思考を成立させる前提です。それはおおむね曖昧な、暗黙の了解で、
その自分の立場を成立させ得ます。これを探ることが、思考する、ということです。それは思考を確定する、構築するのではなく、壊滅するということです。
No.5108 - 2016/03/08(Tue) 08:11:34
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Re:
/ ubik0101
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たとえば、過去に行けるでしょうか?また未来に行けるでしょうか?なにか100億年前とか、ジュラ紀とか、江戸時代とか、深宇宙植民時代とか・・・なぜ行けないのでしょう?
それは、そいう過去や未来が、なんであれ空想だからです。空想には、空想つまり、思考が行くことができます。過去や未来は空想です。では・・・あそこ・・・この家の玄関から歩いて10分の、
あの自動販売機までは行けるでしょう。しかし、まだ、その自動販売機も空想です。ただこうしてること、この部屋にいること、歩くこと、お湯を沸かすこと、それを今とは呼ばないのです。
まあ説明ですが、過去も未来もない、それは空想、なら、今も、それは空想、ない、です。なんであれ、掃除、洗濯、料理・・・庭作業・・・思考であれ、探求であれ、この、ない、からしか、始めようがありません。
No.5109 - 2016/03/08(Tue) 08:57:21
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Re:
/ ubik0101
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ほんとに働き者です。今度は、この雨の中、梅の枝に長さ20cmほどの蛇です。
No.5110 - 2016/03/09(Wed) 15:03:52
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Re:
/ ubik0101
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昨日の夜のことです。hatoさんの運転する車の助手席に座っていました。CDがピアノ曲を演奏していました。ん?自分の身体は、この流れてる音楽なんだ。と気がつきました。この音楽が、自分の身体です。
ふーむ。それで家に着いて、ステレオでバッハのフルートを聞いてみました。ソファに座ってる自分の足とか手とか見えますが、それは見えるだけです。この美しい音楽が自分の身体です。
それで今日、雨の音が、自分の身体です。鳥の声が自分の身体です。これは観察するに、知覚してる音の背景が静かで透明で、それは知覚にとって、ない、から、知覚されてる音だけが、ある、からかもしれません。
では部屋は、どのように見えてるだろう?ぽっと空中に眼だけが浮かんでる。もちろん眼は見えないので、それも空想なんだけど面白い・・・という思考も、ただあるだけ・・・ふつう人って、こうなんだろうけど。
No.5111 - 2016/03/09(Wed) 15:50:28
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Re:
/ ubik0101
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それで、さっきまでショッピングモールに行ってきました。hatoさんが腕を組んでくるので・・・触るな、けがわらしい・・・うふふ・・・などと話ながら・・・わーははは・・・なんだ自分て透明だったんだ。
わーははは。だけど自分で手足が見えるんだ。これは大爆笑。ここで探ってみます。これは見える、聞こえる、思考する・・・知覚の背後に、なにもない、ということです。さあ、みなさん、透明になって・・・すでにそうなんだけど・・・楽しくいきましょう。
No.5112 - 2016/03/09(Wed) 18:43:18
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Re:
/ hato
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そんなこんな、梅の枝にぶら下がったモズの速贄(はやにえ)に驚嘆しつつ、今朝は古家の脇の、サクランボの花が咲きました。
ぐずついた、早い春の朝の雨に調度よく映え、はなやぎが増すようでした。
No.5113 - 2016/03/09(Wed) 22:23:14
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Re:
/ hato
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そういえばよく、思考がわるもの扱いされているのを読むことがあるけれど、うーん、なぜそうなれるのか???、と疑問でした。
とりわけ思考は大事な道具。としたら、もしそれに難があるなら、ほかでもないその、人に、問題があるに決まってるじゃないのー。
言葉とは、不思議の国の杖、とよく思います。こちらとも、あちらともつかぬそばからやってくること。そして思考。考えること。それは、道具です。
でね、ほんとは手を繋ぎたいときもあるけれど、ubik0101さん照れちゃうからね。のでちょっと、組むくらいに、しといてあげるんだよ。(喜)
それで、雄蕊がとてもたくさんなのが、
サクランボの花。
No.5114 - 2016/03/09(Wed) 22:48:35
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Re:
/ ubik0101
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たぶん、思考が悪者にされるのは、それが原因と結果という、因果な構造の空想のストーリーを展開しやすい、ということにもあります。あれがああだったから、これがこれだ。とか・・・それは、
たぶん、今ここ・・・因果の壊滅・・・事実・・・から見れば、悪者にされるということもありそうです。これは半共依存関係です。そんなの面倒なので因果・・・過去未来と、因果の壊滅・・・この今、どっちも蹴っ飛ばせばいいのです。
すると思考は、その人がそのようであることが思考に現われるだけで、思考そのことが問題じゃない。と見えるかもしれません。たとえば料理をするのに、ナイフを使います。
またナイフは、誰かを脅したりするのにも使えるかもしれません。ふつうはナイフが問題だとは考えず、それを使う人が問題と感じるでしょう。と、こう思考すると、その思考を思考が見て、
No.5115 - 2016/03/11(Fri) 20:50:03
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Re:
/ ubik0101
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つまり・・・演繹して・・・空想に空想を重ねて・・・じゃ、銃は?原子爆弾は?とか考えてしまうかもしれません。もちろん銃や原子爆弾は世の中にあるし、世界は人の空想を事実と混同させることを、
なぜだか助長させる働きもします。でも問題があるのは世界じゃないです。しかし葛藤を抱えてる人には、世界が問題、思考が問題、と思考が働くのです。葛藤が因果を捏造するのですが、思考が因果で機能するのは、
とくに問題はありません。まあ迷ってる人がいると仮定しての話ですが、思考がなくっても、迷ってるなら迷ってるのです。でなくては迷いの思考は生起しないのです。そして思考は、その人に意識されてない、過去未来は、ない、けど、
この今は、ある、とか、変な対立とかを暴く、それもまた思考が嫌われる理由かもしれません。たぶん思考は、銃や原子爆弾よりもっと、人にとって制御が困難だけど、なにか人の基本に関る働きをするのでしょう。
No.5116 - 2016/03/11(Fri) 20:57:40
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Re:
/ hato
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日差しは強く、けれど日中からの冷たい空気が、それがいいと思える3月の週末。久しぶりに御前崎に行きました。気に入ってる場所で、ubik0101さんはちょっと釣り、わたしは座り、おにぎりを食べ、海を眺めます。
ああ!そうです、春の岸壁には小魚がいっぱい。上から身を乗りだして、じっと、それが群れでひらひらと向きを変え、背色を変えて移動しているのを見ていました。
御前崎でのもうひとつの楽しみ、市場をてくてく歩いて「これは安いね!」「ハモだね!」などと言いながら見てまわると、
まだ明るい陽気に誘われて、帰りがけに、今日はもう一か所の海を訪れました。
No.5117 - 2016/03/13(Sun) 00:32:05
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Re:
/ hato
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引き潮は、浜辺にまるで残り香のようにうつくしい光の反射板を残し、遠方の、すこし遠い潮騒に、早春の音を聴きました。
No.5118 - 2016/03/13(Sun) 01:08:14
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Re:
/ ubik0101
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ついでに・・・総てはひとつも、分離も、悟ったも、迷ってるも、みんな纏めて蹴っ飛ばせばいいのです。大丈夫です。それが真理だとして、真理は、そんなの忘れても失われることはありません。
それを誰か人が掴む掴まないに無関係でなくて、どうして真理と言えるでしょう?もちろん真理は、なぜ真理が、真理なのか、なにが真理なのかも、ほかに依存しないゆえ、知りはしないのです。
ある意味、国は国と、人は人と、思いは思いと、出来事と出来事は、どこまでも分裂すればいいです。心をこめて、精神を込めて、魂をこめて、分裂すればいいです。それでなんの問題もありません。
たとえば善が、何か悪を基準とする、悪と対立する、そんな善なら、それは善ではないです。善悪の対立する、そのような善は、たしかに世界に悪を見るのです。そのように悪をつくる善は善ではあり得ません。
No.5119 - 2016/03/13(Sun) 09:05:29
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Re:
/ ubik0101
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また、迷悟に依拠する人には・・・あるいは悟りを、あるいは迷いを自分とするとしても・・・どちらも世界には、たしかに事実として、悟った人と迷った人がいると見えるのです。そんなの、空想、妄想、幻想です。
そんなもの、ありはしません。と、いうより、そんなのも、こんなのも、何もないところからしか、たとえば、ご飯を食べる、音楽を聴く、思考すること、どんなことも始まりません。また、たとえば・・・それはたぶん、よいこととは思われないかもしれませんが、
人がプライドが高いなら・・・ほんとうにプライドで生きればいいのです。そうです。ほんとにプライドの高い人が、どうして人間関係で、あれこれと、また自分の過去未来のことで、ぐじぐじ悩むことが可能でしょうか?
そいうのがあるとして、不安や苦痛に満ちた、自我でいられるでしょうか?なにもない。これは、とくに個別な何かということでも、ものでもないので、失いようがないのです。まあ説明としては、総てがあるので、
まったく透明であり、赤、緑、黄の個別の色は個別のこととしてはないのです。これは事実そうなんです。これは真理という真理も捨てればいいのです。その何もないが、説明過剰ですが、豊饒そのことです。
No.5120 - 2016/03/13(Sun) 09:16:56
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Re:
/ hato
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今日の日中もぽかぽか陽気でした。
スノーフレークや、遅咲きの小さな白水仙が咲いているなか、すもも(黒琥珀)の地植えを手伝いました。土に堆肥をよく混ぜながら、根が入る場所を深く耕し、掘り起こし。苗を入れたら、スコップで地ならしをし、たっぷりなみなみと水をやります。
美味しく、きれいな実がなるといいね。根元には、ubik0101さんがダイカンドラを移植しています。こうして円形に植わると、とても美しいのです。
ふと思います。
大事なことはただ、大事なこと。としてあり、いいわるいでない、善いこと。と同様に、理由なく大事であり、善いことです。
そのように真理なら、それは人に、ほんのささやかで強烈な見えない稲妻が、生涯を通して走ってしまったようなことで、それはもう、人生は生きてみるしか、ないのだ。ということに、面倒でも途方に暮れても、生きてみること、と思います。
No.5121 - 2016/03/13(Sun) 22:06:12
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Re:
/ ubik0101
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コウモリが一昨日の夕方、薄暗くなった庭を飛んでいるのをhatoさんと見つけました。糸の両端に小石を結んで、コウモリのいるあたりに投げ上げる。
すると超音波で察知して虫などの餌と思い
近づいて、糸に絡まって落ちてくる。
そんなことを雑誌で知って、小学生の頃やってみた。ほんとに落ちて来て、もがいてましたが、しばらくして飛んでいってしまった。びっくりして2度やろうとは思わなかった。
No.5122 - 2016/03/18(Fri) 12:48:48
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Re:
/ hato
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この時期しばらく庭を眺めていると、モズはどこかしらの枝にいるのを見ることができます。
狙いを定め、ぴゅーっといきなり地面に急降下、獲物を捕るのです。
ほんとに可愛いのですが、なんというか、このお手並みに毎度、目がテンです。
No.5123 - 2016/03/22(Tue) 20:37:56