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記事No.5240に関するスレッドです
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みどりの庭から
/ hato
引用
静岡は、そぼ降る雨模様です。9月の長雨とは、今日のような様子をいうのかも知れません。雨はしずかに降ると、気持ちが落ち着くようです。
庭もすこししっとり冷えて、衣替えの頃でしょうか。初雪蔓。今年は珍しく、白い地色を長く保っています。
No.5238 - 2016/09/24(Sat) 11:55:00
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
むらさきしきぶ。初秋に似合う紫です。
No.5239 - 2016/09/24(Sat) 12:00:22
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Re: みどりの庭から
/ hato
引用
ubik0101さんのリクエストで、もう一枚。
No.5240 - 2016/09/24(Sat) 12:01:12
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Re: みどりの庭から
/ ubik0101
引用
すこし纏めてみます。
たしかに自我の中心は、ない、です。それに気がつくには・・・なんであれ、ない、ということを見るためには、森羅万象を見ることが・・・世界の総活動、体験としての縁起が・・・好ましいです。そうならば、自我が虚構である種明かしをして、消えて行きます。
そでなくても、ふっと、ない、に気がつくこともあります。そいう、ない、に気がついてることに対比して、自我の状態を、ある、と呼んだりします。実際に、自我が、ある、というわけではないです。世界との乖離とか、苦痛とか葛藤とかにあって、それが、ある、と感じられるような気がするということです。
それで、苦痛や葛藤を解決すれば、自我が解決する、無我、と思われるかもしれません。けど関係ないとも言えないのですが、あんまり関係ないです。探求は、なんにしても探求です。この自分が、こう、であることを、こう、と認識すれば、その探求は,探求を導きます。その結果、いかなる探求も、私は何、に収束します。
No.5241 - 2016/09/24(Sat) 12:03:24
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Re: みどりの庭から
/ ubik0101
引用
そして日常、鳥も、猫も、犬も、人も、ない、です。ない、のですが、その、ない、を掴むと・・・とくに、ない、を体験すると・・・それは、ない、を対象にしてることですが・・・ある、と比較してる。ある、と、ない、に、乖離がある。それは、しまった!!です。
ない、を認識してる、その自分は何?あるないの、対比がない・・・正確には、あるでもあり、ないでもある、あるでもないでもない・・・です。それ以前に、喩えはなんでもいいですが、鏡には何でも映るとして、その鏡は見えませんが、それを知覚にとっては、
ない、と呼べますが、曇っていたり、傷があったりすると、鏡が見えるような気がする・・・です。ない、ということは、完全、という意味でもあります。それは、完全だからそれ自身を、それ自身が自覚できないから・・・また知覚とは差の認識で、
あるがあるにある、ない、です。これは、実在、第一原因、神、との関係にあってそうです。これも、ある、を、掴むと、また対比であり、問題がでます。ここで、いわゆる悟りって、世界が、悟ってるのです。誰とか彼とかが、迷ってる、悟ってる、ではないです。
No.5242 - 2016/09/24(Sat) 12:06:15