「自分が在る無い」ばかりを考えてきました。自動車が在る無い・怒りが在る無いと自分が在る無いは、同じ在る無いなのか? 「在る無い」が在るのか?無いのか?という疑問に突き当たります。 怒りが在る無いが解り易く、感情の海から喜びという波が立ち上がり、怒りという谷が生まれる。風が止んだら、凪が訪れ、海水が粘度を増したかのようにのっぺりと穏やかに夕日を映す。 自動車が在る無いは行き止まりになって、おいらの思考では届きません。
変化しないものを知覚することはできないでしょうから、変化しないものを感じる為には特殊能力(感覚)が必要になるでしょうから、自分を感じることは難しいのでしょう。
泣いたり笑ったりで完璧は遠い世界と感じます。なんとか掘り当てたいです。
hatoさんのお言葉は子供のそれの様に感じます。「良寛さん〜手毬つきして遊びましょう」と言った子供たちの言葉です。 良寛さんは子供たちとかくれんぼして遊んでいて、夕方になり、子供たちが遊び疲れて家に帰ってしまっても、隠れていた、なんていう話を読んだことがあります。
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No.5302 - 2016/10/31(Mon) 22:46:47
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