>あるとき仏陀は、犀の角のように独り歩めと言ったといいます。それは仏陀の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。自分の意識の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。臨済は親切にも、親に会ったら親を殺せ、仏陀に会ったら仏陀を殺せ、と言ったと伝えられています。もし人が、自分に会ったら、それは自我です。自我に会ったら、自我をCENSOREDのです。<
耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?
80年前の電気製品が今その働きをするとは驚きです。もしかしたら、雲母蓄電器(反転器?)と同世代の電気設備で現在でも働いていモノがあるとしたら、磁器ガイシの屋内電気配線がふる〜い建物で使われつづけているかもしれません。50年前の電気ケーブルが燃えて停電した先日の東京の事故がありました。
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No.5308 - 2016/11/02(Wed) 21:47:48
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