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記事No.5310に関するスレッドです

時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / 勘太郎
>あるとき仏陀は、犀の角のように独り歩めと言ったといいます。それは仏陀の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。自分の意識の言うことさえ信じてはいけないということでもあります。臨済は親切にも、親に会ったら親を殺せ、仏陀に会ったら仏陀を殺せ、と言ったと伝えられています。もし人が、自分に会ったら、それは自我です。自我に会ったら、自我をCENSOREDのです。<

 耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?

 80年前の電気製品が今その働きをするとは驚きです。もしかしたら、雲母蓄電器(反転器?)と同世代の電気設備で現在でも働いていモノがあるとしたら、磁器ガイシの屋内電気配線がふる〜い建物で使われつづけているかもしれません。50年前の電気ケーブルが燃えて停電した先日の東京の事故がありました。

No.5308 - 2016/11/02(Wed) 21:47:48

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / ubik0101
> 耳鳴りが聞こえます。時計の音・ストーブの送風機の音が聞こえます。この音にくっ付こうとする思考があります。どのような方法(数息観・葉っぱ・壁・タオルを見つめることに意識を集中するなどの方法)を使って意識を消すのでしょうか? 

たしかに、何かに注意することで、思考は止まります。けど、ここは、そうではなくて、見たら見っぱなし、聞いたら、聞きっぱなし、思考したら、思考しっぱなし、です。プロレスで言うと、相手の力を使って相手を倒す、風車の理論です。あるいは3カウントを取りにいかない、投げっぱなしジャーマンです。

これが自然なのですが、おそらく意識にあれば、困難と感じられるかもしれません。ああかも、こうかもしれない、ああでもない、こうでもない、という、ないことを求め続けるのではなく、それを止めようというのでもなく、いつでも注意です。

心がないってことです。たとえば誰かと一緒にいて、面白くないな、もう家に帰りたいな・・・とか思うと、その現実と乖離して、心があるでしょう。そうでなく、ここにあって。逃げないのです。ないものねだりをすると現実に縛られます。

おなじことですが、怒るなら、全身全霊で、怒る。悲しみを慰めようとしない・・・苦痛を時間が解決するとか思いもしない・・・嫌なら嫌・・・思考するなら、骨までしゃぶりつくす、です。

そいえば、何かを意図したわけではないですが、瞬間の思考、を試したことがあります。言葉にしないでも、その内容を、ほとんど一瞬で受け取る。思考しない思考です。

つるつる流れるように起きる、あれこれの物事にいちいち反応して、言葉による思考、その展開、展開、の連想で気を逸らす。それは思考の遊びです・・・に巻き込まれないです。

みんな実はそうなのですが、気がつかず、思考の奴隷になって、風邪をひいた人が咳をして、ウイルスを周囲にまき散らすように、思考をまき散らす、てことかもしれません。思考は言語化された感覚、という言葉を、見たことがあります。

それはそれで深いようですが、言語化されない、感覚そのことで、意味を了解、ということです。それを言葉に翻訳しないということです。それは流れ星のよう、ほとんど瞬間の生滅、です。あと、判断、ということは、どいうことか探った記憶があります。

それは、もの、こと、ひと、を効率よく自分の都合で分類して整理し対処しやすくするということです。でもそれだと、分類されることは受け入れ、分類されないことは、拒否してしまいます。すでに、接着であり、心が生起してます。

そうでなくで、判断しないで、見たことを、聞いたことを、そのまま受け取る。そう狙ったわけではないですが・・・言葉にしない瞬間の思考・・・判断しない・・・怒るなら全身全霊・・・この日常にあって、真摯であること、自分で自分の悟りの邪魔をしないことです。

なんか思考する前に、認識する前に、人は自分の置かれた実情に気がついてるのです。たとえば腕を上げるのも自分ですが、それを意識が認識するのが遅れるだけです。それ、はごく当たり前だから、わざわざ認識する必要もなく・・・それ・・・もしかして不生で見る、生きる、とも呼ぶかもしれません・・・から外れて遊んでしまう癖があるだけです。

> 見つめることに意識を集中すると自分が透明に感じられます、透明感を見つめる意識を消そうと見つめます。見つめようと鼻に穴の筋肉が緊張するのが解ります。その意識を見つめることで消してゆきます。この連続行為により、自己がない・見えないことを確認するのでしょうか?

そのようにやったことはないです。たとえば神、実在、第一原因、それは、在る、です。それは誰かが信じる信じない、また感じる感じない、の範疇にないです。在る、を信じるのは変です。

ない、も等価です。私は見えない風だとして、なびく草は見える。です。私は透明な光だとして、花や鳥は見えます。なびく草。花や鳥、思考を見る・・・ふつうの日常・・・知覚が完全機能・・・富士山の稜線・・・それが見えない私です。

そう意図しないでも、知覚の機能を探ると、そうなっていきます。ただ自分を拠り所にするということは・・・その自分は自覚できないのですから・・・なにものにも、自分にも、依拠しないということです。

VT62イントラ反転真空管アンプです。

No.5309 - 2016/11/03(Thu) 13:24:29

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / hato

今朝はきもち良く早起きして、庭のフェイジョアを採りに出ました。

10本の小木が並ぶ一角に行くと、わぁ,出来てるね!コロンとした固い実が、ヒメイワダレ草の合間におちているのが見えます。こんなん拾うの、嬉しいです。木についてる実は、すこし引っ張って採れるともう採り頃だそうです。

No.5310 - 2016/11/05(Sat) 08:21:19

Re: 時計の音を聞いたら、音を消す(意識を別のところにずらす?) / hato

朝露に濡れたままですが、まだ固い、キウイの感触に似ています。

No.5311 - 2016/11/05(Sat) 08:26:27