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記事No.5318に関するスレッドです

他人を見ていると解ることがある。 / 勘太郎
 自分の思考を感じながら生活していると、他人の思考も分類されて感じられます(おいらの自己判断ながら)。自慢・不安・優越・過去の職歴・生い立ちなどが根となって、言動として表面に現れる。

 同居の義母は87歳で痴呆が進んでいます。20時頃朝でこれからデイサービスに行くと思って支度をしていました。昼間はテレビのアンテナ線を抜いて、おいらに「テレビが映らなくなったから見てくれ」と言ってきました。彼女は無意識ながらたぶん、独り自分の部屋に居ることに不安になって、他人と一緒に居たいと望んでテレビを映らないようにして、他人を呼ぶ理由を創り出したのだとおもいました。
 問題を起こす子供が他人から注意を引き出す為に問題行動を繰り返すのと同じパターン。

 昨日の件名の「思考をしゃぶり尽くす」ことができれば、おいらの中の負の波を打ち消して、フラットな自分でいることが出来るのではないか?とおもうのです。
 「思考を20年間記録し続けた」とお聞きして、思考を意識の表にさらけ出す・思考の現状を常に観察するのを続けてみます。
 週末は嬉しいことに、「思考をしゃぶり尽くす」必要のある負の思考が生れませんでした。よかったよかった!

積雪で山の果樹のネズミ除けの冬囲いに行けませんでした。来週晴予報なので楽しみです。ススキを刈って来年の敷草の用意もしたいのです。
当ににおいらにとって、楽しみの宝の山です

No.5316 - 2016/11/06(Sun) 21:46:32

Re: 他人を見ていると解ることがある。 / ubik0101
そうです。ひと一般、誰かの亊。それよりも、まず自分のことの理解。ちょっとしたことだとしても、その自分の思考の、その裏、前提、を探ります。それはその裏、前提が隠れてなければ、成立しない思考です。

その思考の裏、前提が露にされると、その思考は、自分の言動の理由、根拠としては成立しなくなる。つまり自分の拠り所を否定していくことになる。たとえば、自慢・不安・優越・過去の職歴・生い立ちなどに、接着する必要がなくなります。

これはどうしても、誰かに指摘されるのでは駄目で、自分でやらなくてはできないことです。それは、静かに、素直に、真摯になっていく道です。そして、このように理解するということは、どんな構造なのか?も理解されます。

そしていわゆる心理的な問題にとどまらず、時間、空間、偶然、必然、自由とか・・・探求は、ときに詩となり、ときに絵となり・・・精神の冒険・・・生活の総てがそうで。とても面白いことです。

猫小屋の屋上で寝てる、なな&みゅー、です。

No.5317 - 2016/11/07(Mon) 13:56:36

Re: 他人を見ていると解ることがある。 / hato

いますこし前、ラジオを聞いてると、明後日の北海道は、大荒れだそうです。ご家族や犬さんとも、どうぞお大事にしてください。

冬の厳しさはよく見聞きしていて、住まいに縁はありませんでしたが、北海道。憧れの北海道です。

分類をしたことはありませんが、人は本当に、なぜそうなのか・・・の捉え方や、汲み取る意味が違うことに、驚くことがあります。

近所の秋祭りに行った帰り、道端のコスモスです。

No.5318 - 2016/11/07(Mon) 23:30:12