ティクナットハン師より「こころの対象は心にほかならない。 物理的、生理的心理的領域にあるものはすべて、心の対象でありながら心と分離していません。身体・感覚・心、心の対象の全ては心の対象です。対象と心は一つですから、心が何かを観察するとき、本質的に心が心を観察しているという意味でつかわれています」
おいらはこの言葉を読んで理解もできないでいました。 ニサルガダッタマハラジの言葉 質問者 マハラジは、私がいなくなれば世界はなく、また世界と世界に関する私の知識は同一のものだと主張しています。
マハラジ 物質とマインドは分離したものではない。一つのエネルギーの二つの相なのだ。マインドを物質の機能として見てみなさい。そうすればあなたは科学を手にする。物質をマインドの産物として見てみなさい。そうすればあなたは宗教を手にするだろう。
質問者 しかし、何が真実なのでしょうか?マインドと物質、どちらが先に現れるのでしょうか?
マハラジ どちらも先に現れはしなし、どちらか一方が現れるのでもない。物質は形であり、マインドは名前なのだ。それらは共に世界を作る。浸透し超越するのが実在、純粋な存在ー意識ー至福、あなたの本質そのものなのだ。
おいらには最後の文を理解することはできませんが。世界の片面が物質であり、裏面が意識であるのを朧気ながら想像することができます。
紹介いただいた「栄宗寺住職」さんのページをパソコンを開く度に見ています。
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No.5341 - 2016/11/21(Mon) 20:23:25
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