そして普段私たちは
この「貪」「瞋」「痴」の三大煩悩を、架空の「私」に帰属させています。
「貪」「瞋」「痴」の所有者を勝手にでっち上げ
「”私”が三大煩悩を所有している」というふうに思い込んでいます。
「貪」「瞋」「痴」を所有することで「煩悩所有者としての”私”」を実感しようとします。
苦しむことで「苦しむ”私”を実感しよう」としているのです。
これを読んで、今、おいらは実感しました。
自ら 苦しみをつくりだしています。何もない無色の感情に楽しいうれしいを感じたくて、お金を欲しがります。透明な感情でいたら喜びもありませんが悲しみ・憎しみ・後悔・期待も感じません。親が死んでも子供が死んでも悲しみはありません。心は何も感じないだろうと思います。
覚醒とはどんなかんじなんでしょう。思考で感じることは、「感情は自分で創造しているのだなあ」です。
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No.5342 - 2016/11/21(Mon) 22:12:47
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