| たとえば、糸の切れた凧。たとえば、地図を持たない探検者。たとえば、ぽっと世界は虚空に浮かんでる。この日常。これは、なぜ、こうなのか?
この、自分の根拠が、どんな、もの、ことにも根拠がないそのことは、実は、自分が自分に根拠。と、いうことのようです。
この自分は自分で自覚できません。なので、自分が自分に根拠があるということは、知覚として、認識として、自分の根拠が、自分にも、ない、ということ・・・とても微妙な機微があります。
つまり、自分が自分に根拠が、ある、と、根拠が、ない、が日常にあって、同じです。とんでもないです。たとえば、世界に生きながら世界に依存しない。なにも知らない。透明な自分、
この自分の背後の、自己、が消えて、残るのは自我ではなく。迷悟が、真理が、基底が、実在が、自分が、消えて・・・それが自分が自分である・・・その、そのことです。
おそらく、どこか日常が心細かったり、ここに急にシフトすると恐怖する人も稀にはいるらしいのです。自分、なにものにも拠り所がない、自分。と、そう自覚さえできないで、完璧。
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No.5373 - 2016/12/05(Mon) 11:43:01 |