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記事No.5406に関するスレッドです

土曜日までは寒いです / 勘太郎
 都心から少し離れているので、今外はー11度らしいです。帰宅した部屋は4度でした。本当に寒い時は雪は降らないのが普通ですので、札幌は雪は降らないようです。
 外犬2匹の1匹は毛がふさふさに生えている所為か?暖かくしてやるとその場を避けてしまいます。電気ヒータを小屋に入れてやれば小屋に入らくなり、いつもの場所の下に断熱シートを敷いてやったら、そこには座らなくなりました。いくらなんでも寒いと思いますが、心に病気を持った犬なので、なんでも変わるのをきらうのでしょうか。

 おいらは、述語しか認識できず、(主語)は絶対に認識できないという理屈を考慮すると。結果としてゴムの木も犬もおいらの肉体と思考も、主語の述語として並列するその他一同となります。述語に区別はなく、おいらも犬も死も生も述語として語られる、ということになります。

No.5405 - 2017/01/11(Wed) 21:01:18

Re: 土曜日までは寒いです / ubik0101&hato

そうです。たとえば、あの掲示版によると・・・なんと、見てる自分と、見られてる自分が、あると言います。

それを探ってみました。ことさら、じっと、部屋を見ます。それは、たとえば、自分が時計を見てる。自分がカレンダーを見てる。見てる自分しかない、です。

しかし・・・その自分は自分で知覚不能・・・知覚にとっては、ない、ことに気がつきます。

・・・《と、そこで、転換》・・・

この見られる世界・・・つまり、この部屋も、自分。猫も、自分。窓の外も自分。思考も自分。寒い熱いも自分。なんでもかんでも、知覚できる、もの、こと、は自分です。

これは、見てる自分に偏ってた状態から、ない、を支点に、見られてる自分に、揺り返した、のでしょう。

このようでない普通の日常は・・・見てる自分は、見られてる自分で、補完、あるもないもない、のようです。

ubik0101

−11度とは体験したことがありません。ここ静岡でも、この冬一番の冷え込みですが、この気温がそうさせるのか、ミューは発情らしく、そわそわし始め、いつもはナナと抱き合ってぐっすり寝ている夜更けに、ウロウロ歩き回っています。

そうしますと、去勢済みのナナちゃんは、すっかり寂しくなってしまって、とたんに人懐こくなって家のなかにやってきます。可愛いのですが、なんというか、ミューが戻れば、やっぱり猫は猫同志がよいのでしょう。いまは、炬燵でこうしてる膝元で、こたつ布団にくるまっています。

なんだかいつも、やっぱり嬉しいお正月のひとときも、あっ、とかいう間に過ぎてしまい、自分たちでなんとかしなければならないことがらに、圧倒されては、ときどき途方に暮れている2名です。が、なんとかなある。なあれ。なろなり!也。

ともあれ、エキセントリックシアターなubik0101と一緒に頑張るhatoちゃんも、一体全体なかなかじゃん!??と、きりりと青い冬空を見上げ、絶賛自画自賛な今日、この頃です。

りんごと一緒にポリ袋に入れておいた渋柿が、食べごろになりました。

これだけで、熟してしまうのですね。

hato

No.5406 - 2017/01/12(Thu) 00:07:06