おいら理解が進みます。
〉以前にも書いたことがあるかもしれませんが
時々
「まだ、私は一体感を感じることができていません」
とおっしゃる方がおられます。
もし、「一体感」を感じることができたら
それは「分離している」ということです。
まず、「一体感」を対象として感じるには
対象となる「一体感」と、対象から除外される「一体感ならざるもの」とが分けられている必要があります。
「対象とされるもの」と「対象とされないもの」とに分けられている時点で、「一体感を感じること」は一体であることを表しません。
また
一体感であれ何であれ「何かを”対象”として感じる」ということは
「感じられる対象」と「対象を感じる者」とが分離している必要があります。
この分離の状態は一体であることを表しません。
つまり
「一体感を感じよう」とすることが、もと一体である今から目を逸らせているのです。
一体とは「一体感を感じよう」とする以前のことです。
「一体感を感じよう」とするだけ余分なことをしていることになります。
ではどうするのか?
どうもしない、のです。
「どうもするまい」と、どうにかしようとするのではなく
本当に
どうもしない、のです。
すると不思議にも
どうもしない中で
見えています。
聞こえています。
感じています。
動いています。
それが
「一体である」
ということです。〈
|
No.5429 - 2017/01/27(Fri) 08:43:34
|