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記事No.5486に関するスレッドです

永平寺専門僧堂で20年研鑽した南直哉さん / 勘太郎


NHK心の時代のユーチュブ。

南直哉さんは有名な方なのですが、この放送を拾い見すると、おいらには判ってるようには思えない。45分頃に死の問題を話しています。全く仏道に参じた方の言葉とは思えない、死の解説をしてます。おいらの勘違いかもしれませんが・・

 おいらが感じるのは、永平寺で20年間勤めても、仏道に入ることができない。本人が仏道を望んだのか?それとも宗教を生きる糧とするために形(言葉)を欲したのか?仏道は生きろし生けるものの最終着地点と思う、おいらです。

 近くの八紘学園と云う農業学校の昔のサイロを見てきました。直径6m位でしょうか。サッポロドームの近くです。半世紀昔の風景が広がっている場所です。

No.5486 - 2017/02/12(Sun) 20:04:52

Re: 永平寺専門僧堂で20年研鑽した南直哉さん / brahma
よどみなき知の流れ
No.5488 - 2017/02/12(Sun) 20:57:09

Re: 永平寺専門僧堂で20年研鑽した南直哉さん / ubik0101
たしか仏陀は・・・縁起の順観と逆観。つまり、その生起と、その壊滅を説いたのでしょう。うろ覚えですけど・・・これあるゆえに、かれあり・・・だったでしょうか。その生起(組み替え)・・・それだけでは・・・これないゆえに、かれない・・・がなければ、困ったな、です。

でも、たとえばこの掲示版で、誰かはわかってない、わかってる、と決議しても、その誰かにとっては、なんの関係もないです。逆もそうです。どこまでも、その個人は、その個人のことという底知れないルールがあるかのようです。

その人が迷いたいから迷ってるのだ。人は偉大?であり、完全?であり、なにものでもないと言っても同じですが・・・探求を諦めることさえその個人に任されてる・・・誰も望んで愚かでなければ、愚かになり得ない・・・と言いたくなってしまうほどです。

No.5489 - 2017/02/13(Mon) 08:07:07