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記事No.5735に関するスレッドです

覚醒を読み返すと自分の進歩を感じます / 勘太郎
 ここで云う進歩とは、読んで共感できる気持ちが増えることです。
 エックハルト・トールは言ってます。「自然に段々と自分の内側を見る時間が増えます」

覚醒、この日常の観察の抄で云うところの「それは自分でそうしているのだから自分で理解できます。そうして初めて自分を直視できるようになります。」に近づく事。
 キーボードを打ちながら、ふと手を止めて、掃除機のブー〜という音に聞き入る。そして又画面を眺める。そして網膜の後ろ、耳の奥を眺める。耳の奥は掃除機の音は終わって、ストーブの送風機の音に繋がっています。
 
 耳が音源に繋がっていると感じ易いのですが、見るものが見る対象に繋がっていると感じにくいです。


 昨日は春初めての山でした。60センチの積雪で融雪剤(黒色鶏糞)を撒いてきました。足の疲れが心地良いです。夕べはぐっすり寝ました。
 柳です。ちょっと見たら、木に花が咲いている様です。
 

No.5735 - 2017/04/02(Sun) 09:13:57

Re: 覚醒を読み返すと自分の進歩を感じます / brahma
エックハルトは、四段階か、それに近い、イニシエートだと思います。
No.5736 - 2017/04/02(Sun) 12:03:53

Re: 覚醒を読み返すと自分の進歩を感じます / ubik0101
>  耳が音源に繋がっていると感じ易いのですが、見るものが見る対象に繋がっていると感じにくいです。

たとえばヘッドホンで音楽を聞くと頭の中に音源があるようです。そのように、どうも聞くってことは・・・野鳥とか猫の鳴き声とか音楽とか・・・頭の中で聞こえるのが普通です。

それを、たとえば猫がストーブの近く、あそこにいる、と視覚認識するのであそこにいる猫が鳴いてる、と。聴覚を視覚が辻褄合わせして、自分の外から聞こえるように。チャイムの音がしたら誰かが玄関にいてボタンを押してると空想して、自分の外から聞こえるように。捉え直してるのかもしれません。

そして、たとえば自分の眼と、猫をくっつけたら、猫も部屋も世界も見えなくなりますから、ずっと遠くの対象は小さく見えたり霞んだりしますから。視覚は対象との距離が0でも無限でもない、その間の距離が必要で。そんな距離を優先というか、前提にしてる知覚かも知れません。

ところで、いわゆる自意識がクリアになったら、音は頭の中です。静かな夜の時計の音。虫の声。音楽・・・などは、それを実感しやすいように思います。そして頭の中と言っても・・・実感としては自分という沈黙で・・・音を聞くのは沈黙です。

また視覚から距離をなくすのは、見てる中心が、あるでもないでもない、対象でない・・・自分が世界の、人間関係、過去未来などの因果関係の、中心でない・・・そいうことなのかもしれません。

ここで猫や鳥や部屋が見えながら、また何かを見ながら・・・いわゆる受動にも能動的にも偏ることなく・・・そいうことが満遍なく機能するので囚われず・・・世界は対象でない、と実感しやすいと思います。

No.5738 - 2017/04/02(Sun) 21:28:14