正確に言うとは夢では無く、起きがけの寝ぼけ夢です。
禅でもインドでも「生きてるうちにCENSORED」という言葉があります。自分という認識が失せれば、それを自分の死というらしいです。 それをすっかり理解出来た様に感じたのです。身に着いたという感覚です。ところがどっこい、完全に目覚めると、言葉の上の理解だけで、身に着いていません。白昼夢でなく、目覚め夢です。本に書いてあることしか分からないから仕方がないのです。
本論 エックハルト・トールは言います。「瞑想を志す人が陥りやすいものに、道しるべに注目してしまうことがある」と。 「山に登るのに、道しるべの看板を顕微鏡や望遠鏡で調ることに熱中してしまう」と。
おいらが思うのに、山がどのようなものか何処にも書いてはありませんから。とりあえずは道しるべの看板を見る事しかできないのです。できることは看板を見て辺りの雲やら霧やらカーテンやらをながめること。
自分は今、道しるべの看板を子細に調べているという意識は持つべきなのはわかる。言葉はすべて、看板に書かれていることなので、なるべく捕らわれないないようにしたいですが、冒頭の夢の様に捕まってしまっています。
下は11月中旬から4月初旬まで約5か月厚い雪の下で、春を待っていたニンニクの芽です。秋に青い芽だったのが少し大きくなって、真っ黄色です。週末には緑になっているでしょうか?これほど長い間よくもまあ枯れないで生きている生き物たちです。
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No.5768 - 2017/04/16(Sun) 21:24:49
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